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FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第5話

主治医 フライッシュマン先生

放射線照射第1日目: 待合室には、まるでスポーツジムに来ているかのような筋肉質男性や普通の女性。痩せこけた男性はベッドごとの移動で待っていた。名前を呼ばれ、カ一ドを渡す。着替え室で上半身を脱ぎ、タオルでおおい、もう一枚のタオルを台に敷き、横たわった。2人の女性が位置は正しいか確認しながら、マスクをカチッカチッと顔に止める音がする。身体は動かさないこと、何かあればカメラで見ているので、手を挙げるようにと言い、分厚い扉を閉めた。懐かしい80年代のポップミュ一ジックが流れている。鋭い片目で狙いながらライフルで、獲物にバ一ンバ一ンと打っているかのように音がカチャッ、カチャッと聞こえた。えっこんなもの?!?と思った放射線照射1回目だった。

翌日朝早く、抗がん剤の投与のため入院する病棟の受付に行った。私は朝食抜きでいったものの、その必要はないことを知ると、100㌔は軽く超えている、手に蝶のタトゥーをしている受付の女性が、パンとジャムをもってきてくれた。コ一ヒ一、お水、ハ一ブティ一はセルフサービス。(ドイツはお水はレストラン、カフェでも有料、町によってはビ一ルのほうが安い町もある)入院費はすべて込みで1日1,300円ほど。重そうな体で病室を案内してくれた。Wifiパスワ一ドももらえた。2人部屋は、耳鼻咽喉科の病室よりは明るく広かった。食事も美味しく、病棟によってこんなにも違うのか。シャワ一付きのトイレは隣の部屋との間にあり、両室から使用できた。隣ベッドにいた髪の短い女性に軽く会釈し、担当の先生に会った。

またもや若い、感じのとても良い男性医師でFleischman フライッシュマンという名前。直訳すると、”肉の男”。ご先祖様は屠殺でもされていたのか。大阪で実習をされたそうだ。私に「食事は日本のほうが美味しいでしょう」と。「いいえ、そんなことはありません、ドイツのもおいしいですよ」なんて、お世辞でも口が裂けても、あの時は言えなかった。

抗がん剤の前に水を点滴。看護婦さんが来て、初期治療者にこれからの放射線治療と喉のお手入れについてお講座をするから、廊下の一番突き当りの手前の部屋に来るようにいわれた。点滴スタンドを引きながら、廊下の奥へと進んだ。お花の数が増えてくる。たどり着いたお部屋は、ピアノがある小さなお部屋。どうやらここでは、今はコロナでないが、ケ一キを食べながらの音楽お茶会、日曜日には礼拝があるらしい。長い廊下の突き当りには、ガラスドアがあり、ここからは末期がん患者の病棟だった。ドア越しにあるたくさんの綺麗なお花を見ていると涙がでてきた。

小さい部屋に集まってきた患者さんは、みな点滴スタンドを引きながら、首に包帯を巻いていた。私のように首に転移があり、組織をとったんだろう。

婦長さんのような貫禄のある女性が放射線治療の説明をした。放射線が身体の悪い細胞、良い細胞も破壊していく。始めの数日は、免疫力が必至に戦い、壊れた細胞を修正していくが、毎日の放射線に力尽きて死んでいく。これからロ一ションを朝晩、首にたっぷり塗布すること。できるだけ空気にあてて、紫外線はカットすること。放射線照射の2時間前には紫外線クリ一ムはとっておくこと、などなど話した。食事は食べれる間は、何でもいい。甘いケ一キも生クリ一ムもOK。驚いたが、今から思えば、間もなく味覚がなくなるので、今のうち好きなものを十分食べておくんだよ、ということだったと思う。一人の男性は、点滴スタンドを引きながら、首に包帯がグルグルの状態で、煙草を吸いに外に行った。『まだやめられへんねんや~...😮』

部屋に戻ると、隣ベッドの女性は、33回の放射線照射を終えたものの、猫を飼っていて、胃ろうが炎症しているそうだ。『あ~終わりがある!』彼女はモルヒネを投与しており、私に「イチゴ味だよって」。どう返答すればよいのか、わからなかった。ただただモルヒネは使いたくない!

1回目の抗がん剤が投与された。体調は何も変わらなかった。ドアのノックが聞こえ、落ち着いた声の温和な感じの女性が私のベッドに来た。カウンセラ一と自己紹介し、私に今時間があるかと聞いた。私は彼女と30分ほど話した。そして私の子供にもカウンセルが必要であれば、是非話をしたい、「来週もまた来ます」と言って、同室の女性に移った。

翌朝、フライッシュマン先生が病室を回ってきた。まず隣ベッドの女性に行ったが、彼女はちょっとたばこを吸いに行ってくると言って、先生を待たせたまま行ってしまった。『えっ、モルヒネも打ってるに、たばこをまだ吸ってる!そして先生を待たせて行く~。すっすごい、ドイツ人! 医師と患者に上下関係がない!!』







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