FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第7話
胃ろう
金曜日から日曜日にかけて、抗がん剤投与のために入院した。病室は8畳から10畳ぐらい、2人部屋。週によっては、1人の時もあった。カ-テンで区切られてもおらず、トイレにシャワ一がついており、隣のお部屋の方と共同使用。Wifi付き。スリッパ、パジャマなどは自由。
毎週、同室になった人は違った。ある週、同室になった女性は、放射線治療で喉が真っ赤、ただれていて、とても痛そうだった。私の喉は看護婦さんから言われたとおり、放射線治療が始まったときから、喉に毎日朝晩、クリ-ムを塗ったためか、先生によくケアしていると褒められた。
主治医のフライッシュマン先生に、胃ろうは痛いですか、と聞いたところ、しばらくはお腹の筋肉痛のような痛みだが、良くなると言われた。『お腹の筋肉痛って、どんな痛さやろう。。』
胃瘻をつける日。家族も親戚のいない私は、すべていつも1人だった。コロナ禍では、私だけではなく、他の患者さんも同伴者は基本的に許可されていなかった。もし、私だけが1人だったら、同伴者がいる人を見るのは辛かったかもしれない。
手術後、お腹から管が出ていた。自宅に戻ると、強烈な痛みでどうしようもなかった。私が苦しんでいる姿を見て、15歳と12歳の娘はとても不安がった。深夜、どうしてよいのかわからなくなり、隣人の背筋のピンとしているおばあさんに娘に電話をかけてもらった。
遅い時間にも関わらず、すぐに来てくださった。おばあさんは、救急車を呼ぶようにいった。実に不思議なもので、おばあさんの落ち着いた、かつ、私たち親子への温かい言動を見て、安心したのか、その後、眠ることができた。
翌日、消毒のため病院に行った。一歩一歩歩くのがアリよりも遅い気がした。どうやら炎症をおこしていたようだった。看護婦さんが親切にも翌日も離れている放射線治療の病棟に、消毒に来てくださった。
治療が始まって毎週月、木、採血をした。そして金曜日、抗がん剤を投与する前も採血をした。両腕には注射の針の跡だらけになってきた。皮下ポートは一体いつ使ってくれるのか。。。
始めは胃ろうが、なかなかうまくいかず、食事がとれなかった。娘が手伝ってくれたが、逆噴射して、娘の服にべったり栄養食が飛んだことも度々あった。後でわかったことは、胃ろうの栄養食は高い位置に設置し、流れるスピ一ドをゆっくりすること。早く摂取すると、吐き気をもよおした。
強烈な便秘になった。便意はあるが出ない。2時間以上頑張っても、どうしてもでない。拷問を受けたことはないが、拷問のように思えた。
医師に今まで経験したことのない便秘だと伝えると、体への負担も軽く、便秘が治る薬が処方された。そういえば、病棟のトイレはこの薬のにおいだった。抗がん剤投与患者は同じ症状で、同じ薬を飲んでいるんだろう。
吐き気がだんだんひどくなってきた。口の中に口内炎ができてきた。医師はこれに効くうがい薬を飲むようにと言った。日に数回このうがいをすると良くなったが、放射線を照射すると、また口内炎がでてきた。喉が痛くて、痛み止めも数時間ごとに飲んだ。錠剤のお薬をとるのが痛くてできなくなった。
会社にはタクシーで通勤した。電話で呼んだものの、なかなかタクシーが来てくれない時もあった。タクシーから降りて、オフィスに走りたいのだが、胃瘻が痛いのと身体も弱くなってきて、ゆっくり、ゆっくりとしか歩くことができなかった。
日本の製造会社で、駐在員の上司1人と私1人、2人でスタ一トしたドイツ支社だった。私がいなければ、ドイツ語も分からないドイツに来たばかりの上司は致命的だった。長い間願っていたポジションで、自宅からも近く、給与も良く、職務内容も私の希望するものだった。辞めたくなかった。胃瘻を会社にもっていかなければならなかった。上司の不快な表情が見えた。
仕事をしていることを知った医師は、「病欠証明書を書くから、休みなさい!貴方の命がかかっているんです!」と私に叱責したが、仕事を転職したばかりの試用期間で、私はシングルマザ一だというと医者も黙った。通常ならばドイツは病人は解雇できないが、試用期間はいかなる理由でも解雇することができるからだ。
週に3回、胃ろうを消毒するヘルパ一さんが自宅に来ることになった。50代後半の男性の人だった。ガールフレンドを数年前に癌で亡くしたらしい。
この週3回のヘルパ一さん、胃ろうの栄養食、消毒のガ一ゼも健康保険が支払った。私は毎月の31日分の栄養食に、10ユ一ロ(1300円ほどだけ支払った)胃瘻の栄養食は1袋500カロリ一。1日1500カロリ一は最低、摂取するように言われた。
ホ一ムドクタ一(ドイツでは、かかりつけの医師をつけなければならない)から、放射線治療が始まったらすぐに頭の頭皮を凍りで冷やすと髪が抜けにくなるから、すぐにした方がいいと言われた。ヘアキャップに氷を入れて頭を冷やした。
身体がだんだん青白くなってきた。