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FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第10話

クライマックス

喉が激痛で唾液を飲み込めず、ティッシュに出していた。ごみ箱はティッシュでいっぱいどころか、床に散乱していた。ちょっと動くだけで吐き気。嘔吐は続いた。私の病気のことを何も知らない母から電話がある度に、気丈に会話をした。母は父を亡くしたばかりの81歳の一人暮らし。何度言っても時差のことをわかってくれないのか、わかろうとしないのか(電話がある度に、今そっち何時?と聞くので時差があることはわかっているよう)、私の病気のことを知ったら夜中でもガンガン電話をかけてくる、ましてはコロナ禍にかかわらず、フランクフルトまで飛んできそうだったので、治療に集中したいのと心配かけたくないため、病気のことを知らせていなかった。どうやら兄と連絡がつかないらしく、私からラインで母に電話するように書いてくれという。兄に"ママに電話してあげて"、と書くのが精一杯だった。

金曜日からの抗がん剤投与のために入院していたが、隣の部屋からも、ず-と嘔吐をしている音が聞こえた。放射線照射には、同じように車椅子で来ていた女性がいた。私のあとにどうやら、台に横たわるときに嘔吐したようで、看護師、看護婦が走って来た。

水も飲めず、声もでなかった。放射線照射には、ただ幽霊が機械になったかのように行った。ラジオにかかっていた映画ロッキーのテーマ曲、サバイバーの”Eye of the Tiger”( Tabata Workout Music (20/10) - Eye Of The Tiger (Survivor) Rocky - TWM #35 - YouTube) の音楽が意識の遠くに聞こえていた。家では隣の部屋にいる子供には、声がでなかったので、携帯から自宅の電話にかけ、何かあるときて私のベッドに来てもらった。両手にはもう採血の注射の針を打つところはなかった。皮下ポ-トがあって助かった。
子供が練習しているピアノとバイオリンの綺麗な音色にとても慰められた。

介護タクシ-のエチオピアから来た若い男の子は、父親が政治犯としてドイツに逃げ、そのお父さんをたよって来たらしい。彼はドイツの教育、制度もすべて素晴らしいと褒めた。「エチオピアは貧しくカオスだ、でもエチオピアが一番好きだ」と。そう、故郷ってそういうものだと思う。

ベッドに横たわり、白い壁や窓からの景色をみていると、あの日のことが何度も脳裏に蘇った。大好きだったピアノが、ピアノのレッスンから帰ってきた日、消えていた。ピアノがあった場所に何もなかった。ガラ-ンとしたスぺ-スと色が少し変わっていた壁。両親の会社が倒産し競売にかけられ、差し抑えになりなくなっていた。元気になったら、またピアノを始めたい...

放射線治療の最後の日、介護タクシ-の社長が、個人のBMWの新車に近い車で迎えに来た。どうやら介護タクシ-が動かなくなって自分の車で迎えに来た。『この車の中で吐いたら大変や』、そのことばかり気になった。我慢できず、車を止めてもらった。何とか新車を汚す最悪の事態からは免れた。痛みのピ-クだった。痛くて痛くて、ただただ涙が出た。痛み止めも効かなかった。もう口の中が触れてはいけないゾ一ンに。何がおこっておいるのかわからない。眠れないと思った。この痛みを何とかしてください、と神様にひたすら祈るしかなかった。祈りの後、不思議なことに眠れた。8回目の最後の抗がん剤は、投与できないとフライシュマン先生に連絡した。とても起き上がれる状況ではなかった。

放射線治療日が最後の日ではなく、続けて照射があったら、モルヒネが必要だったと思う。2020年8月13日から始まった治療は9月25日に終わった。33回の放射線、6回の抗がん剤。体重は約9キロ痩せ、2度と口から何か飲食はできないだろうと思った。



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