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韓国のサウナで、上沼恵美子たち(ときどき芦田愛菜)と共に蒸される。

ああ、整いたい。
私がサウナにハマりだしたのは、『サ道』を見たのがきっかけだった。『サ道』とは2019年の深夜に放送されたドラマだ。ネプチューンの原田泰造が主演で、おっさん達がサウナに行ってひたすら整うだけのドラマだ。ひっそりと放送されていた番組だが、これが火種となり日本国内にひっそりとサウナブームを引き起こした。
私はこのドラマを韓国人の旦那からおすすめされた。

サウナで「整う」とはどういうことなのか。
まず、体を清め、湯船につかり熱さに慣れておく。
心静かにサウナルームに入る。蒸され、水風呂に入り、休憩を挟む。これを3回程度反復すると、頭はすっきりしているのにフワフワした感覚に陥る。これを「整う」と表現する。ドラマの中でおじ様達があまりにも気持ちよさそうにしているので、私も近所の銭湯で試してみた。すると、あのドラマと同じ感覚になった。心が平和で満たされる。今なら「おっぱい『は』大きいのになぁ……」などという非常に面白くない失礼なイジリを受けても笑って受け流せそう。

このように私はサウナにハマっていった。

私が今住んでいる家の近くに銭湯がある。
近くにあるのに行かないわけにはいかない。しかもこの時、私は無性に整いたかった。
区役所でとてもぞんざいな対応を受け、はらわたが煮えくり返っていたのだ。
必要な書類を入手するため区役所の窓口に行ったのだが、私がお願いした「家族関係証明書」ではなく「婚姻関係証明書」を渡してきた。「書類間違ってます」と言うと、もう一度私がお金を払って発行申請をする必要があるとのこと。しかも謝罪の言葉の代わりに「そちらが言い間違えたんじゃないですか?」とゆっくりはっきり余計な一言をプレゼントされた。
おいおい、初めにあなた「あ、分かりました。家族関係証明書ですね」って確認してたやないか。え、もしかして話しながら寝てた?
とにもかくにも……解せぬ。外国人をなめているのか?
これだからこの国の公共機関というものがあまり好きではない。
あくまで個人的な意見だが。

受付でタオルを2枚もらい、脱衣所に向かう。
着ていたものを全てむしり取り、いざ銭湯へと向かう。

見た感じは日本の銭湯と全く変わらない。
大きな円形をした浴槽が中央に位置しており3つに区切られている。
左手奥にはシャワースペース、右手奥には水風呂がある。
そして右手前にはお目当てのサウナだ。
銭湯は全体的によく掃除されており、年季は入っているが清潔感があり綺麗だ。

しかし、よくよく見てみるとサウナ側の壁伝いにステンレスラックが設置してあり、それには洗顔道具などが入ったプラスチックのカゴが、何十ケースと並んでいる。
これは……? 常連さんのビューティーセットが保管されている。素晴らしい地域密着型経営だ。

そして左手手前にはあかすりスペースがある。
あかすり名人はあかすり手袋をはめて、お客の古い角質をこそげ落としている。
その恰好はブラジャーにパンツだ。しかも上下ベージュだ。もう裸でもいいんじゃないだろうか。

色々目がいくが、私は整いに来たので早速準備を始める。
お湯につかり、いい感じに体が温まってきたのでお目当てのサウナに入る。
扉を開けると、おば様方の愉快な笑い声が聞こえる。
ヤバい。この様子では整えないかもしれない。
私はとりあえず小さく礼をして、一番端の空いているスペースに座る。
熱さはちょうど良い感じ。湿度はそんなに…

「オンニ(お姉ちゃん)! 頭にタオルかぶせとかなあかんで! 汗かいてきたら頭から匂ってくるさかいに」

え? と思い周りを見渡すと、皆確かにタオルを巻きつけている。

「あ、はい、すみません……」と言い慌ててお尻に敷いていたタオルを洗い、頭に巻き付ける。しかしここで問題なのがサウナマットが常備されていないので、そのまま座るとお尻がめっちゃ熱くなるのだ。今タオルは1枚しか手元にない。
困ったことになったと思っていると、さきほどのおば様がサウナから顔を出し、誰かに声をかけ、新しいタオルを持ってきてくださった。
優しい。

ありがたく頂戴し、私は無我の世界に入るため再度集中を始める。
目を閉じ、呼吸に集中する。吸って、吐いて。吸って、吐いて。吸って、吐い……

「オンニ(お姉ちゃん!)コーヒー飲み!」

コーヒー? 目の前には氷とコーヒーが入っているでっかいボウルがある。
おば様がお玉ですくい、コップにコーヒーを注ぐ。そのコップを私の方に突き出す。頂いたものは飲まないわけにはいかない。一口飲むと、ほんのり甘いミックスコーヒーの味がした。
うまい。うますぎる。からからに乾いた私の体にコーヒーが染みわたっていく。
そして追加でスイカが運ばれてきた。これも甘くてウマい。
私が感謝を伝えると「次はアガッシ(お嬢さん)が奢ってや」とおば様はにやりと笑った。

今日はもう……整うのは諦めよう。
そう思い周りを見渡すと、とても不思議な光景が広がっていた。
美女がサウナで本を読んでいるのだ。その美女は横顔が芦田愛菜に似ていた。湿気は大丈夫なのか心配になったが芦田愛菜は蒸されながら静かに本を読む。本の題名は『アナウンサーが教える発声法』だ。

話を聞いているとこの人達は、この銭湯で出会ったサウナ友達、つまりサウ友のようで、
自然と集まるようになっているらしい。美女はCAを目指している就活生だった。

おば様たちの弾丸トークは続く。
「旦那のお父さん亡くなったって言ったやんか? あの後の相続の手続きほんま大変やで。しかも相続税で半分くらい持ってかれたわ」
「私の一番上のオッパ(お兄ちゃん)おるやんか。そうそう。今年70歳になんねんけどな。道歩いてたら知らん女の人と手つないで歩いてんねん。新しい彼女作りよってんあの人。もうええ歳なんやからほんま勘弁してほしいわ」

この光景どこかで見たことがある。
そうだ、上沼恵美子だ。
伝説的な女方漫才師の上沼恵美子だ。M-1グランプリの審査員をしていたこともあり今では関西だ地方けでなく全国的に知られている。
韓国の上沼恵美子たちが繰り出すキレッキレの赤裸々トークは、聞いているだけでも面白い。週刊文春もびっくりだ。
ちなみに後日旦那に確認したところ、この現象は女湯にだけ見られる光景で、男湯サウナはひたすら寡黙に蒸されているらしい。

このように私の韓国サウナデビューは衝撃と共に幕を下ろした。
不思議なことに、銭湯を出るころには私の怒りも治まっていた。整ってもいないのに。
外国人とかそういうことを取っ払い、ただサウナで蒸される人として情熱的に接してくれたおかげで、区役所での嫌な体験が浄化されたのだ。
世の中90%は良い人で、残りの10%は嫌な奴。勝手に自分の中で人口比率の法則を作ると少し楽になった。

実はそれ以降、私はサウナには行っていない。
家に簡易湯船を買ったのと、ごちそうになったコーヒーのお返しをしないといけないプレッシャーに負けてしまったからだ。
いつか私もサウナで堂々とコーヒーを奢ることができるだろうか。

人々は日々の疲れを癒すため、裸になり、蒸され、汗を流す。
韓国と日本でその形態はだいぶ違うけれど、蒸されて新しい自分に生まれ変わるのは同じだ。
銭湯で古い角質とストレスを洗い流し、今日も女たちは己を磨いている。

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