根津美術館を訪ねて vol.2 ~二月堂焼経 紺紙銀字の美~
東京南青山にある根津美術館、7月に続き、今回2度目の訪問です。
最寄りの表参道駅からはゆっくり歩いても10分弱、ちょうど良い散歩道。
現在開催中の企画展は、こちら。↓
企画展は【展示室1・2】ですが、それよりなにより先ずはお目当ての品が待つ【展示室5】へ直行します。
二月堂焼経ー焼けてもなお煌めくー
二月堂焼経とは?
奈良東大寺で毎年3月1日~15日に行われる修二会(通称:お水取り)※
寛文7年(1667)、修二会最中に二月堂が炎上した際、火中から取り出されたことから、「二月堂焼経」と呼ばれています。
※<修二会>は752年大仏開眼と同じ年にはじまり、いちども途切れることなく現在も続いており、奈良の人々にとっては「お水取りが終わらないと春が来ない」と言われるほど生活の中にとけこんでいるそうです。
今回展示されたのは、2017年~2022年の5年間で補強や字の定着等の修理がされた巻物。歳月を経ても美しく輝く白い字から、以前はプラチナ経とも呼ばれていたようですが、今回の修理にともなう蛍光X線分析で、銀泥であることが判明しました。
こちらの画像が全体像がわかりやすいです。(おそらく修理前の写真)↓
書かれたのは740年頃、奈良時代。
奈良時代は国家事業として、遣唐使が唐から持ち込む膨大な仏典を書写するための写経所が設置され(現代風にいうと国立写経センター?)、そこに所属する写経生によって書かれたものであろうと考えられています。
遠目にも銀の文字が輝いていましたが、近づくと更にそれは美しくみえました。一文字一文字きっちりと、崩すことなく、常に一定の大きさ書体で書かれた端正な文字。
藍の染料に何度も漬けて乾燥させた深い紺色の料紙に、銀泥で書かれた文字はまるで浮き上がっている様にもみえ、その美しさにしばらく見入りました。
なんて、美しいんだろう・・・。
銀の色がこんなに鮮やかに残っていることにも驚きました。数年ぶりにシルバーアクセサリーを出してみたら黒くなっていた、という経験から考えると、1300年前の銀がこの美しさとは!
比較対象として、もう少し後の時代の金と銀で交互に書かれた巻物が展示されていましたが、様子がまったく違いました。金字がはっきりとしているのに対して、銀字はくすんで読みにくくなっていました。
二月堂焼経の美しさが奇跡的ということがよくわかります。
奈良時代の写経生の息吹、焼けてもなお大切にしてきた人たち、そして現代修理を施しさらに次の時代へつなごうとする熱意。目の前にあるのは二月堂焼経というモノだけど、思いがあるから今ここに存在していると思うと、胸がじんわり温かくなりました。
満足、です。
満ち足りたあとは庭園散策へ。
7月に訪れた際にはあまりに暑く、10分と外にいられない状態でしたが、今回はちょうどいい陽気でのんびりと散歩ができました。とてもすてきな庭園でしたよ。
庭園から戻り、企画展の展示室もさらっと見ましたが、やはり甲冑や刀には胸がときめきませんでした。
さて、気になる次回の特別展はこちら。↓
フライヤーがいつものペラ1枚ではなく、見開きの4ページ仕様でした。国宝数点、メトロポリタン美術館からも特別出品されるようで、かなり力がはいっています。
でも、これは見なくてもいいかな・・・と閉じようとしたそのとき、目に入ってきた東京・大倉集古館蔵の『国宝 古今和歌集序(巻子本)』の文字と写真。
これは、わたしが見たくて見たくて恋焦がれているものではないですか!収蔵している大倉集古館のHPは、いつみても「古今和歌集序の展示は未定です」となっており、半ば諦めていましたが、こちらに出張予定だったんですね。
一度行ったら終わりではなく、また次の展示が見たくなる・・・東京の美術館通いは、しばらく続きそうです。
お気持ちありがとうございます。大切に使わせていただきます。