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”フィードバック”中毒を抜け出さないと成長できない

自身の成長のためのインプットとして、積極的にフィードバックを求めるのは大賛成ですが、成長につながっていないケースを見かけます。フィードバックに依存すするのではなく、自身で考えることが重要なのです。

フィードバックはプレシャー

最近、フィードバック中毒?と思う人が多くなったように感じます。採用面接で「質問ありますか?」と聞くと、「今日の面接についてフィードバック下さい!」と依頼してくる方もいらっしゃいます。

ただ、フィードバックは難しく、例えば、ダイレクトに伝えて相手を傷付けないかと遠慮してしまったり、「問題ないよ」というと興味がないように思われないかと気にしたりと、本心を伝えれていないケースもあります。
特に、面接でフィードバックを求められると、SNSに書き込まれないか?ハラスメントに当たらないか?後の合否判断と整合とれるか?など、頭を過ぎってしまいます。。。

フィードバックを受ける姿勢の課題

では、フィードバックを受ける側はどうでしょうか?残念ながら、素直にフィードバックを受け入れている訳ではありません。以下のような人も多いのです。

フィードバックされた課題を認めない
こんなフィードバック欲しいと期待してたり、こんなフィードバックがあるんだろうと予想していて、予想外のフィードバックがあった場合に、”そこはちゃんとできています”と認めない。

全てのフィードバックを鵜呑みにする
フィードバックをお願いするということは、一定のリスペクトを相手に感じているということになりますが、このリスペクトが強すぎると、全てを鵜呑みにする。

内容ではなく相手で判断する
相手を軽んじている訳ではないと思いますが、相手に”強み”を感じてないトピックについては、無意識に拒否してしまう。(饒舌でない人が話し方についてフィードバックした場合など)

フィードバックの副作用

フィードバックは良い面のみがフォーカスされますが、与える人/受ける人の間に主従関係を作るという副作用があります。(普段、フィードバックするのが先輩や上司であるケースが多いので、気づいていないかもしれませんが。)

その結果、フィードバックした相手が従わないと、”イラッ”として、「この前言ったと思うけど」とか、「何度も言っているけどさ」という言動で相手を恫喝したり、受ける側もフィードバックに対応することに追われ、自分で考えることを放棄するという悪循環になるのです。

なんでも適度が重要ということですね。

フィードバックはを成長につなげるために

残念なことに、フィードバックは根本的な成長に寄与しません。あくまで、フィードバックしてくれる相手からみた”あなた”についての感想です。その人がもう少し踏み込んでくれたとしても、その人が”あなた”だったらこうする、という意見でしかありません。

最近、フィードバックが万能であるような風潮があ理ますが、目標とする自分に近づくための定点観測としてフィードバックを活用するというのが正しいのです。

今後も世界は変化し続けることが予想されます。この変化への対応力を高めるために何が必要か?という観点で、ご自身を見直していただくのも良いかもしれません。


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