見出し画像

仕事の捉え方は人それぞれ。
ただ、私達教員は労働ってなんだろうって考えることがあまりないと考えます(人によるでしょうが)。

仕事とは、「職業や業務として、すること。また、職業」。

また、

労働とは、「賃金を得るために知力、体力を使って働くこと」。(Oxford Languages)と定義されています。

仕事とは、職業(プロ)としてする行為のこと。
なら、私達教師の仕事は、授業やクラス運営、学校運営に必要な業務のことですね。

ただ、私は仕事と労働とは、ちょっと違うと思っています。

労働は、「賃金のために」働くこと。
仕事は、「職業として」働くこと。

なんですね。

だから、労働はプロじゃなくても、できる。
その職業についていなくても、労働はするし、その対価の賃金はもらう。

でも、仕事は違う。
仕事は、プロとして働く。プロってことは、その職業での仕事に必要なスキルを上げて、常に生産性を向上させていく、という要素が含まれるわけです。


私達教員は、仕事として教師をしています。だから、プロです。
労働をしているわけじゃなく。

当然、教員の仕事にも労働的側面はたくさんあります。
プリントの丸つけとかしているときに、よくそう思います。
丸つけをしたくて教師になった人は、基本的にはいないと思います。
したくないけど、やらなければならない作業を、私は労働と呼びます。

私は、教師としての価値は、労働ではなく仕事のクオリティにあると思っているのです。

つまり、授業力をつけたり、学級経営をコントロールする術を身に着けたり、子どものことを考えてあれやこれや教育方針や指導内容を考えたりする。
学校という組織、システムを円滑に、スリムにしていくための努力だって、仕事です。

でも、でもね。

私達は、そんな「仕事」をする時間よりも、膨大な「労働」が多いのが現状です。
つまり、やりたくてやっているのではなく、やりたくないけどやらなければいけない作業ばかりが多いのが、教職だと思っています。

それだけ、勤務時間にゆとりはなく、しなければならないことは膨大です。

作業ですから、効率化はできるでしょうし、なんなら手抜きもできます。
ただ、「しなければならないこと」ですので、手を抜けばどこかにしわ寄せがくるってものです。

結局、作業は時間が物を言うので、作業時間がないとこなせない。
でも、私達教員に与えられている作業時間はほとんどないです。

だからこそ、限られた時間で「仕事」をしなければならない。


人生の「時間」を何に使うか

究極、私が最近思うのは、自分の人生の時間を何に使うかで、その人の価値は決まるんじゃないかと思うんです。

価値は誰かが測るものではなく、自分の中の尺度です。
だから、誰かの人生に価値があって、誰かの人生が無価値、とは思いません。

そうじゃなくて、私が自分自身の自己満足として、
自分の時間を、何のために使ったのか、ということ。
その自分の人生の時間に、意味を感じたいのです。

歳を重ねるごとに、自分の人生の時間の使い方について考えるようになりました。
昔は、12時まで残って仕事をしたものです。
12時を回る時計を聞くと、「あぁ、仕事しているなぁ」って思ったものです。

そんで、「あの先生、仕事しないでさっさと帰って。また帰ったよ。その分、私仕事しているんですけど。」なんて会話が聞こえてきたのを覚えています。

でも今は違います。
私自身の価値観も変わりました。

遅くまで残るということは、自分の能力が低いことを表している、と考えるようになりました。
当然、やらなければならない作業が多い日は残業だってします。
月40時間は余裕に超えますよ。

でも、与えられば勤務時間内にできるよう、仕事の効率を上げ、生産性を上げ、大切な仕事に集中できるようにする。
労働時間を短縮し、仕事の時間を増やす。

・プリントの丸付けは授業内にできるような工夫をする。
(低学年は難しいですが、中学年以降はいけます)
・授業内容はシンプルに。なるべく既存のものを活用する。
・話し合いの時間を短く。共有掲示板を利用する。
・作業をする場合は教室で、時間を決めて(ポモロード)

こんな感じで、とにかく勤務時間に占める労働の割合を減らしていきます。
そして、自分にとって本当に大切なことに時間を使うようにしてきました。

私は、自分の時間を何に使うのかを決めています。
一番大切なのは、私の大切な人のために使うこと。
家族や仲間です。

次に、自分自身の自己実現のために使います。
しんどいと思って毎日土曜日・日曜日が来ることだけを目標に、ただ毎日を消化している、そんなしんどい先生を救いたいと思っています。
そして、しんどい思いをしている人を減らしたい。
本当に苦しんでいるのは、こどもです。
家族と、社会と、大人と、友達と、そんないろんなことに板挟みになっている子どもを救いたい。

どれだけ長く生きたかではなく、どう生きたかなんだ。

私達教師も、もう一度考えたい。
お金をもらうためだけに働いていないか。
作業に時間を使っていないか。
子どもたちに接する仕事が、作業になっていないか。
そして、本当にあなたがしたいことは、教職か?

どれだけ長く生きたかではなく、どう生きたかなんだよ。

よろしければサポートよろしくお願いします。サポート頂いたら、これからの若手教員を助けるための活動に使わせていただきます!