ゴミ拾いがメンタル的にコスパ最強な話

ゴミ拾い。

やったことありますか?

大きなことじゃなくても構いません。

ゴミ拾いというと、ボランティアで袋片手に公園や道のゴミを拾うイメージがあるかもしれませんが、そんなに気合い入れなくてもゴミを拾えばゴミ拾いです。

道に1個だけ落ちているゴミを拾う。
自分の部屋に落ちているゴミを拾う。
職場に落ちているゴミを拾う。


このゴミ拾い、めちゃめちゃコスパ良いメンタルケアです。

僕は普段からゴミを拾うことを心掛けています。

自分のお店近くの公園で毎週のゴミ拾いもしています。


そのきっかけであり目的のひとつは「自尊心を上げるため」です。


ゴミ拾いなんてのはもちろん、本来自分がやる必要はないことです。

誰かがやってくれます。
(清掃員の人とかが)

けど、そのゴミや汚れを今自分が綺麗にすれば、次にそこを使う人がストレスなく使える。

掃除をする人も楽になる。

だったら、どっちかと言えばやった方がいいと僕は思っています。


けどやらなくても咎められることはない。
やっても別に得はない。
むしろ捨てる手間が生まれるので損します。

良い悪いはなく、選択は自由です。


でも僕は

やった方がいいと思うことをやってない自分

やった方がいいと思うことをやっている自分


どっちの自分を誇れますか?
どっちの自分が胸張って生きられますか?


って聞かれたら
やってる自分の方がめちゃめちゃ好きだし
自分を誇れると思うんです。


別に誰の役にも立たないかもしれない。

けど
誰に見られてなくても、人の役に立ってなくても

自分だけはそれを見てるし、自分の誇りを守れるんです。


たったひとつ、たった数秒。しかも無料。

そして、自分を誇れる選択を自分でしたんだ、という事実は、誰がなんと言おうと、誰に評価されてもされなくても、絶対に積み重なっていくんです。

過去の事実は変えられないので、絶対に消えない自尊心が育ちます。


めちゃめちゃコスパ良くないですか?


という話をすると

「そんな聖人にはなれない」
「できなかったときに自己嫌悪になる」

ということをよく言われます。

大丈夫です。

僕ももちろん完璧じゃないし、出来ていないことも多いです。
なんなら部屋はめちゃめちゃ汚いし、疲れて掃除サボることもよくあります。


けど、それでも恥じることはないし、こうして偉そうに大口も叩きますし、自己嫌悪にはなりません。

自尊心は上がる一方です。


自己嫌悪にならないコツは

できなかったときに

「本当は拾いたかったよね。悔しいよね。大丈夫。誰も知らなくても、俺だけは本当の気持ちを知っている。」

と、自分の心を抱きしめてあげることです。

本当は拾いたい。

できていなくても、その気持ちを持っていることだけは忘れないであげて下さい。

誰にでも調子の波はあります。

毎日できてたのに、全然できなくなることもある。
たまにしかできないかもしれない。

それでもいい。
できる時に、できるだけやればいい。

本当はやりたいと思ってるのに、やれなかった現実から逃避し、自分の心を無視し「どうせ意味ない」「偽善」などと、

自分で自分の価値観を歪めて自尊心と感性を失うより一億倍マシです。

できてないことに腐って全てを放棄する人と、できてなくても、泣きベソかきながら、あるいは顔に出さず歯を食いしばりながら、ずっと自分と戦ってる人、どっちを応援したいですか?


どっちの自分を愛せますか?

ゴミ拾いに限りません。
ちょっとした行動、あるいは言葉掛け。

挨拶する、笑顔で微笑む、ありがとう、ごめんなさい、いってらっしゃい、おかえりなさい、靴を揃える、間違いを教えてあげる、見えなくなってもお辞儀する、神棚や仏壇に手を合わせる、洗い物をする、お釣りがないようにする、早めに連絡する、忘れてないか確認する、恩返しをする、許す、寄付をする……

なんでもいいです。

繰り返しになりますが

誰も見てなくても、自分だけは絶対に見てます。

見られてるかどうか
見返りが返ってくるかどうか
意味があるかどうか
何も関係ありません。


自分を大切にする。
ただそれだけのためにやることです。


生活の中に、自尊心を高めるチャンスは山程あります。

生活の全てがそうだと言っても過言ではありません。

その中でもゴミ拾いは、意識しないとできない、目に見えてわかりやすい、誰でもできて、人にも話しやすいオススメの習慣です。


まずはゴミ拾いから、ぜひ意識してみて下さい。

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