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呼吸と読経

瞑想や呼吸に以前から興味があり、
色々とやってましたが、
結局、読経がもっともよかった。

なぜなら、文字に集中することで、
何も考えない状態に近い、瞑想状態になれる。

また読経は息を吐く時間が吸うよりも多い。

空気を吐ききって息をすることになる。

息を吐ききって吸う、その時に呼吸の筋肉がつく。
深呼吸、

要は、深い呼吸もできています。

深い呼吸ができるようになると、
まず体が楽。

体が軽く、少々遠くても歩くか自転車で行きたくなる。
( 運動しよう、運動しないといけない、ではなく、動きたく
なる。〜したくなる、というのが大きい。)

そして、最近になって気が付きましたが、
短い睡眠時間でも翌日、眠くて仕方がない、
ということは無くなりました。

ときどき、夜中に本を読んだりしていると、
つい深夜1、2時をすぎることが
あります。

それでも、翌朝は4時頃に起きても、特に頭がいたい、
体がだるい、重い、と感じることがない。

寝ている時間も深い呼吸ができていたからだと
考えています。自作の枕の影響もあるとは思いますが、
呼吸がポイントのはずです。

というのも、ずっと以前は最低6時間は寝ないと
翌日は辛かった。

気分も下がりがちだったのは、よく覚えています。

もちろん、6時間くらいは寝た方がいいのですが、
3時間くらいでも別に違和感なく
過ごせています。

ぼーっとしていたとしても、
以前より目が開いているのか、

今まで考えもしなかった常識を疑い、
疑問に思うことが増えてきました。

例えば、なぜ明らかに体に悪いはずのお菓子を
皆、進んで食べているのか、


体に悪いとしか思えないものが
あふれる世の中になっているのか、

よくよく見れば、人の好み(甘み、食感、香り、見た目)に
巧みにつけ込んで企業に
買わされていると
さえ思えてきます。

多くの人は、今生きているのは、奇跡的だと
すら考えていない。

少しでも先祖の話を遡れば、明治から昭和にかけての
戦争等で奇跡的に生き延びて
いたことがわかる。

生き伸びていたからこそ、今の自分も生きている、と
考えると、明らかに寿命を
縮めるようなものを
自ら進んで食べることはないはず。

年をとれば、体力が減っていく、
という常識も
呼吸が深くできれば
変わってきた、とも思っています。

なぜ多くの人は都会を選び、マンション住まいが
多いのだろうか、
などなど、わきあがる疑問の例を
あげるときりがありません。

それと呼吸が深くできるようになると、
悪い空気がわかるようになりました。

先日、実家に帰る途中に街中にでましたが、
排気ガスが以前よりも強烈に強く感じました。

車の量はそう多くなかったのに、排気ガスの匂いがよくわかる。
香水やトイレの消臭剤も、結構きつい。

これだと化学物質等だらけで、鼻とのどの
感覚がおかしくなると感じた。

呼吸が深くできると、このような辛いことも
でてきました。

市販のおせち料理も味が濃すぎる、
砂糖があまりにも多い。

ただあまり言ってしまうと場の
雰囲気も乱すので、
言わないものの、

こんなのばかり、毎日大量に食べていたとしたら、
病気になろうが、
入院しようが、癌になっても全然おかしくないんじゃないかな、
とすら思えました。

排気ガス、化学的な匂い、悪臭、砂糖過多、油の多さ、
毒だらけ、とさえ思えてきます。


現状、市販のものを見る限り、
甘いもの、食感がいい、見た目がきれい、
といったものが多い。


高速道路で車間距離を縮める車も
よく見かけますが、あきらかに人の気持ちが乱れている、
って思っていました。

そのため、よほどのことがない限り、
高速道路等は使わないことにしました。

濃い味の食べ物、あるいは、乱れた空気などの
総体でおかしくなっているのじゃないか、って思えてきます。

テレビも久々に見ましたが、
結構うるさい。これだと人の感覚、考える力、
疑問に思うようなことも
減るのかもしれない。

 便利なようなものが、何か弊害があるように
思えてきます。

いざ帰宅して、いつのように、野草等をみていると、
改めて良いように思えてきます。

ネコヤナギですが、一月でここまで育つのは異常です。

植物や生き物にふれると、何か浄化でもされているのか、
落ち着きます。

野菜や野草は自然がつくる、

読経は人間にしかできない。

しかも日本人には馴染みのある文字。

実際につづけると、読経が実は瞑想、
呼吸のトレーニングにもなっている、
お祈りもしている、ってわかりました。

たぶん、以前に始めた丹田呼吸も読経で
できてきている。

体力、妙な不明な自信、
落ち着き感、その他、まだ気がついていないだけで、
文字の力か、何かあると思います。

健康には食事、運動、解毒、っていうけども、
読経・呼吸は外せないと思えてきました。

実は般若心経の読経を毎日30回以上を
3年近く続けています。

とある気功治療の話で、癌患者には
最低1日30回以上の読経(音読)
をすすめられていました。

とはいっても、そんな大病のときに、
30回も読むのは辛いはず。 そもそも呼吸がきついはず。

だから健康な状態のうちに
始めておこう、体感しておこう、知っておこう、
と思いました。

読経は息を吐く時間が細く長い。
呼吸自体が気功法と同じになるそうです。

別に般若心経でなくてもいいかと思いますが、
ちょうどいい長さで、日本人には合っていると思います。

あと、韻を踏むのか、文字、文章がきれいで
なじみやすいからなのか、

続けるとスムーズに
音読できるようになります。

読経は、お坊さんが読むもの、
葬儀等で聞くもののような印象でしたが、
だれでもできる。

私の住んでいる地域では、行事ごとに読む機会があり、
暗唱される人も結構います。

特別なものではなく、日常に溶け込んだ生活習慣のような
感じです。

始めた時は、読むのすら時間がかかっていましたが、
続けると、読経って何かいいものだと思えてきました。

楽譜もないので、棒読みでできること、
まるで誰でもできる、日本人には馴染みやすい音読、
音楽に思えてきました。


2ヶ月くらい前から、観音経も始めました。
観音経は長い。通しで読んで、約8−9分は最低かかる。

要は観音経だけでも約10分の呼吸と瞑想です。

般若心経とあわせてしていますが、
さらに良さを実感しています。

観音経は文字か表現に
何かふしぎなものがありそうです。
まだまだこれからです。

何気ないコケですが、
こういったものをきれい、貴重に思えてきました。
見て感じ方が変わってきたのも、読経をはじめてからです。
個性、性格、また模様等みても、
不思議さ、生きているもの、奇跡的なもの、って思えてきました。


ヒノキですが、あると空気はきれいです。
あらゆる植物が、貴重に思えてきます。
とっても気持ちよさそうに飛ぶ、トビ。
松は空気の浄化、また悪い空気をよく吸うといわれています。
山の松を時々使っていますが、とてもいいものです。
ススキの種もほとんどが飛んでいきました。毎日変化しています。日当たり、風、
時間帯、天気で変化します。

何気ないものですが、こういった、些細なものでも
楽しめる。
読経をつづけてきてからのことです。

謙虚な気持ちになれる、
些細なことをたのしめる、

これだけでも十分なことかもしれません。
ただ、やはり体が楽だからこそ、余裕はなくても、
何か余裕のようなものができてきた、と
感じてきます。

本当は、ヨガなどを始めるとさらにいいと思います。
ただ、今一つ興味がわかない。

それでも、呼吸をきたえると、とにかく良いことが
読経でわかりました。

意味がわかる、スラスラ読める、暗唱する、というのは
特に大事ではなく、読経だと誰でも容易に呼吸のトレーニングに
つながる、って思います。 

だからこそ、30回の読経を
すすめられていたのかもしれません。

考えてみれば、読経は日本人ならではの、
利点です。

それと、地域の比較的高齢な方で健康に見える人は、
ほぼ皆、般若心経の暗唱ができています。

(暗唱できることが大事ではなく、
読む習慣があること、続けていることに意義がありそうです。 
おそらく年齢の割に、呼吸する力が強いのでは、
って思います。呼吸の力があるから、酸素をよく吸える。
血流よく、たぶん、体の臓器もよく働く。)

読経か呼吸のトレーニングは
健康なうちからやっておくといい、
って思いました。

まだまだわからないことはありますが、
読経と呼吸は意外な盲点、
呼吸の力は強いのと弱いのは全然違う、
ってことです。

私の場合は、読経で呼吸の力がついた、体が楽、軽い。
見えるもの、感じ方が変わった(些細なことを楽しめる)など、
現段階で感じています。


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