見出し画像

【雑文】新年度の目覚めがゆううつで、アドラー心理学を思い出した話

4月1日。新年度が始める朝。

「社会人4年目になって、私はこんなもんなのか」

目覚めて一番に、そう感じてしまいました。


未だに後輩や部下を持たず、大きな責任が無い仕事。
仕事でも家でも、誰かに守られている立場。
メンタルも体力面でも頼りなく、信用できない自分。
中途半端な知識と乏しい経験、不明瞭なキャリア。
良くないと思いつつ、そこから抜け出す勇気がない現状。

学生時代の自分が思い描いていた「社会人」像とはかけ離れている。
というか、学生時代の自分とほぼ変われていない。


私と同じ時期に新社会人になった彼ら(彼女ら)は、きっともっと「大人」になれているはずなのに。
下の世代を指導していたり、責任もって難題に取り組んだり、誇りをもって働いていたり。
「仕事しんどい」「上司が~」と愚痴を零すこともあるかもしれないけれど、それでも逞しく生きているんだろう。
なかには既に結婚、出産、育児を経験していて、次世代を育んでいるのかも。

そういう意味では、もう自分より若い世代の人からも、遅れをとっているかもしれません。

由々しき事態。
誇れない現状のあれこれ以上に、何よりも問題なのは、新年度の朝っぱらからこんなネガティブなことを考えてしまう自分自身

どんな現状であれ「自分なりにがんばろっ!」と思えていれば、こんな目覚めのわるい新年度にならなかったはず。まず変えないといけないのは、私の「自分」に対する捉え方なのかもしれません。


そこで、今年はこれを肝に銘じておきたいと思います。

すべての悩みは、対人関係の悩みである。


昔読んだ、アドラー心理学の本の内容。「対人関係論」。
人の悩みには必ず他者の存在が関係している。
うろ覚えですが、たしかそんな感じでした。

今の自分に、ピッタリな言葉。

先ほどから悩んでいるのは明らかに、「自分と同年代の人」「自分以外の社会人」に対する劣等感だから。

他者がいるから悩む。

他者と比べるから自分がきらいになる。

逆に言えば、比べなければ自分を嫌わず、悩まなくてもいいはずです。


さらに、こんな内容もありました。

「自分の課題」と「相手の課題」は分離する。
そして「相手の課題」で悩まない。

私が現状どうであれ、「他者からどう思われているのか」については、他者の問題でしかない。
もし誰かに「情けない」「みっともない」「劣っている」と思われていたとしても、それはその人の気持ち(問題)なので、私には変えようがない。


もっと言うと、私は他者の問題も自分事のように心配してしまう癖がありまして。

特に家族が抱えている問題は「心細い思いをしているのではないか…」「知らないところでつらい思いをしているのではないか」と勝手に想像して、もやもやしてしまいます。
後で話を聞いてみたら、そうでも無かったらしいと気づかされるのに。

どんなに人のことが心配になっても、それは結局は私の問題ではなくその人の問題。その人自身が解決するしかなくて、私がどうにかしようとしたり悩んだりする必要は、本来ない。

ちょっと手を貸すぐらいなら良いけれど、悩むのは無駄にエネルギーを使うだけなのでしょう。



「転職」という大きな目標があって、ただでさえ悩みが多そうな今年度。

だからこそ、

・人と比べないこと
・他者の問題を心配しすぎないこと
・自分にどうもできない事(他者からの評価など)で悩まないこと

この3つを、すぐに思い出せるようにしておきたいですね。
潰れたり荒んだりする前に…。



自分なりのスローガンが見つかったところで、そろそろこのnoteを締めたいと思います。


新年度の最初からダラダラとした文章、失礼いたしました。
そして、お付き合いいただきありがとうございました。

明日からいよいよ、本格的な新年度。新生活を迎える方も、そうでない方も気負いすぎず、みなさんにとって楽しみな春を迎えられますように。

今年度も、よろしくお願いいたします。



野乃








サポートに相応しいnoteを書けるように、サポートに相応しい人物になれるように、今後も努めて参ります。 もしも、万が一サポートして頂くようなことがあれば…泣いて喜びつつ大切に使わせて頂きます!