種なし日記
自分が何がしたいか、すら、こうして言葉を考えて選ぼうとしても思いつく言葉に、しっくりこない。
とりあえずはっきりしているのは、金があるから生活できているだけ。
生きていく為の必要なお金を何とか周りの人たちのお陰や色々な人に力を貸してもらって何とか成り立たせているように見せているだけ。
・・
誰だって何かしらあるから、そういうものは、誰しも秘密や実態(実際)のところ、ふところも事情も他人にはそう見せないものだ。
僕はこうして発信するタイプなだけ。
・
20年前はこうしている事も普通じゃなかったんだよ。
僕は昔から好きなんだと思う。
この日記は僕がした事、してしまった事だけど、僕と直接会える人も少しは見てる。
だから僕は、自分で自分の首を絞めているのはよく解るけど、まあ、まあ、僕はこういう人間だから仕方が無いと言うしかない。
そして、何もしたくない。
・
こんなに生きるのに目標が無くなる事を想定していなかった。
ちなみに、
想定をするのは良い事とは言い切れないと、メモ程度に書いておく。
準備や、予習復習は必要だけれど、想定し過ぎて、自分が想定できる事が全てと思い込んで準備をするのは決して良い事とは言い切れない。
・
何も無くなった事は無かったから、変な。
自分が自分ではないみたい。
・・
・・
エヴァの記事にビューがついたので自分で少しだけ読み返していた。
この時から僕は言う事は変わっていない気がした。
している事は全然違うけど、さすがにこの頃の僕とは別の世界も見えている。だから生きているし、大丈夫。
この頃の事を思い出したいと思う時がある。
けど正直、これだけの事をしておきながら、思い出せない事の方が多い。
この頃は毎日自分のキャパシティも超えていたと思う。
実力が伴っていないのは今もそうだけど、この頃はちょっと度を越えて、足が宙に浮いているくらい空回っていたと思う。
でも、それでも思い出せない。
人間なんて、そういうもんだ。
・・
時々、大学生の頃や、懐かしいと思い出したがる頃の、恋心や好きな空気を思い出してしまう時がある。
ああいう人が好きだった。
こういう感じの子が好きだった。
あの店が行きつけで、あの街が日常を生きる僕らだった。
そんな淡い、灰色恋心を思い出して、ナンバーガールを思い出して。
今日は曲は聞かないけれど、僕は、この世界には、あの子と一緒に暮らして、あの子と結婚して生活をしている人がいる。
あの子の今を僕は知らないけど、あの子もその続きの人生を生きている。
そう思う。
あの子の本当も、僕は何も知らない。
・・
・・
風をあおる事で、僕の切なさを抑えている。
風をあおるって、どういう意味?
溜息と、仰ぐ、を同時にしてるようなモノとか言いたいのかな。
煽ってんじゃない。でももう仰ぐ気も無いわ。
・・
アウトプットするのが苦しいのは、書くのが大変だという事。
僕は日本語も変だし、間違っているから。
途中までの考え事、それをそれ以上、
前に向かって深く考えていくのが辛い。
深くってそんな対それた事じゃないけれど、苦しい事。
現実と自分の真実を重ねて、修正、訂正、成長しているだけ。
みんなは黙って心の中でそれをしているんだよね?
だから僕みたいに、どこかに書く人の感覚や気持ちが無いから、わからないだけで、てか、多少の度合いや見えるか見せて居ないかだけで。
知ってる事もあるから何も思わないけど、僕から見れば、
全員がやる事やってる悪人だよ。
・・
下書きメモが増えてしまっている。
中途半端なままにしている。
その中途半端の続きは自分の中ではちゃんと整理できている。
だから、それで何も問題も無いし、それ「良い」。
いつかその時が来たら、笑って。無様、戒めの公開日記だと思って。
・
・
例えば僕の中で、最近読んで少しだけわかったことあるから引用させて。↓
教養というのは、知識がその本質ではなく、歴史や理論体系によって矮小な自己が否定される経験。生まれ持った感覚や、育った環境による慣習や常識、そういう生来の感覚が否定されて自己が変容していく過程こそ教養の本質なので、自分の感覚を強化するための知識は教養とは逆行する。
だから教養というのは、知的能力よりもむしろ、そういう自己変容に耐えられる、精神の強さや心のゆとりに大いにに関係する。これはリベラルと保守の関係を考える上でも重要で、自己の信念を強化してくれる陰謀論は知的能力より感情や自我の未成熟の問題であって、知的に反論しても意味がない。
教養はその意味で自己肯定感を前提として成立する。自己肯定感がない状態で知識に触れると、とても自己否定する知には耐えられず、自己を肯定してくれる知識に吸い込まれる。「階級」や「分断」はこうした精神と環境から生まれるのであって、知的能力や経済力だけを基準にしては捉えられない。
・・
最近、永遠少女で向井君が謳い方が変わっている事に気が付いた。
・・
「今の人は食べもん(食生活)が悪い」
そういいながら糖尿病と軽度の認知症の老人が言う。
その間食のお菓子、スナック菓子、炭水化物だけの食事。
その栄養素は何だ。
・
たまにか知らないけど、今僕の前で嬉し気に飲んでる酒。
あなたは
「酒は身体に悪いから飲まないわ」
と言っている。けど今、嬉しそうに酒を僕の前で飲んでいる。
自分の発言を、首根っこに突き付けられて
「このお前の発言どういう事?」
と、問詰められることが無いから、そんな事が平気で言えるんだろう。
だから、そんな事を適当に無責任に言えるんだろう?
どの面下げてモノ言ってんだと思うけど、それは皆一緒か。僕も一緒だ。
・
ここでは例え話で「酒」に関する僕の目の前で起きている日常を書いているだけ。
だから、僕も相手にしていなければ怒る事も無いし、話もしないだけだからいい。
もし僕がそこで本当に怒ったり追及していたら、相手は「そんな事される(言われる)筋合い無い」と思って反論なりビックリするのだろう。
僕はやっぱり人が好きだけど、嫌いだ。
・
あなたは酒自体を否定し、酒を飲む人の事も非難している。そのくせ、あなたは自分が酒を飲む事は、飲む時は、嬉し気にそんな事は我関係なく、都合よく講釈垂れているのです。
そんなに酒が身体に悪くて、酒はそこまで好きでもないのに、そうやって飲んで楽しいなら、早く、その酒を飲んで死ねば良い(good)と思う。
だから、もし僕が適当に返事していた所から急に
「それは発言に間違いがある」
と言われて言葉が出なくなるなら、
最初から飲む場所に来ないでと僕は思う。
・
僕も僕の周りにも色んな人がいるし、僕自身も色々人様に迷惑をかけたと思う。
だから、気に入らないなら来るな、が基本なのだろうと僕も学んだ。
だから、お酒を良いモノと言いたくない人は、お酒を飲む人や、アルコールに関して、否定し続けていれば良いのにと心底思う。
それが都合よくヘラヘラ酒飲んでるから、そいつの言ってる事が、
僕は、気に入らないだけなんだけど。
・・
・・
昨日、ニュージーランド人のリーさんという人と席が隣になって話をした。
ほとんど日本語が話せないリーさんと、こちら二人は英語が全く話せない男。会話しながら、無茶苦茶で、人には言えない話を笑ってしていた。
リーさんは、口が上手いので僕は34歳で、彼は28歳に見えるらしいと言ったが、僕らは同じ歳で、そういえば昨日同じタイミングで髪を切った中年のおじさん二人だ。ちなみにリーさんは44歳らしい。
帰り道、リーさんは「私の日本語は3歳児レベルです」と言っていて、ほとんど日本語が話せていなかったけど。
よく考えると、僕がリーさんと関係ない会話や、普通に別の話をしている内容を、ほぼほぼ理解していたので、リーさんの語学力は、どこかに嘘があると思う。
・・
・・
・・
「男なんて奇形。キモイバケモンだと思って相手してる」
「女は寄生虫と一緒だと思ってるんで。こっちも来たらホイホイと相手するだけで」
と言ったって。
どっちも金でトラブってるし、どっちも僕から見れば詐欺師ペテン師だ。
・
嫌いじゃないけど、時々、こいつらの数年後はどうなってんだろうと思う。
他人事じゃないと今は思うよ。
誰に良くしようと、良くしなかろうと。
のうのうと、どうどうと生きていけるのが人間だ。
死ぬほどの事じゃないと言っても、事実だけで考えずに、人の気持ち、人間の心の面を見れば、本人が耐えきれなければ死んでしまう事だってあると思う。
・
そういう事も踏まえて、僕はこの人たちといる事で楽になっている部分がある。久しぶりにこの感覚で生きている人たちといると、少し僕は楽になる。
口では、こういう人たちもそう言いながら、そういう生き方が完全にしがって出来上がっている人と。
考え方としては持ち合わせているけど、実際には、そこまで非情や非道に離れない人がいる。
・
僕は完全にそういう非人情的な考え方の人とは関わらない。
大抵、僕と世代が近くなると、実際には傷ついていたり、古傷で今も心体も痛めている。でも、帰り道にこう思った。
そこで怒ってどうなる?
・
そこで私は、俺は、怒ってんだぞ、気に入らないから許さないぞと、態度で表明したところでどうなる?
そこで殺し合うのか? 無理だろ。
僕だって死にたくない。今すぐ絶対に嫌。死にたくない。
だから、それは後の事。後々の事を考えれば、
そこは黙ってヘラヘラしておくのがベストなのだと思った。
ただ、何もしない。
相手にもしない。
殺したくなるまで泳がせておけば、いつか次、僕らはそれよりも強大な悪意に襲われる。更に今までに出逢った事も、経験した事も無い絶望、怒りでブチ切れた時。
おそらく一段階くらい、今は「お前らわかっておけよ」と思っている対象が、ひとつだけ後回しになるのだと思う。
それが人間が言う「時間が解決する」って奴。
・
だから、何もしてない奴は変われないし一生そこで立ち止まってしまう。
何かしていても、「お前ら解っとけよ」と僕が刺す人たちは、変わろうと変わらなかろうと、どうしていようと忘れるな、と思う。
ただ順位が下がるだけ。そういう事だと思うよ。人間って。
・・
最後まで恨まれた奴が「シクジッタね」って奴だと思う。
だから、全員が全員、自分がしてきたことをすべて振り返って降りかかってくる訳ではないと思う。
その最悪のケツの部分で、帳尻が合わなくなって上手くいかなかった奴のところで時限爆弾みたいなものが、それまでの数えられない人数の何かが、そこで爆発しているだけなんだと僕は眺めている。
それをそこらじゅうで、誰かが、どこかの家の中で、どこかのグループの中で、しょっちゅうやりあって起きているだけだと思う。
・・
・・
昨日、大叔父の家に久しぶりに行った。
おっちゃんが亡くなってから何か月だろう。
完全な空き家になっているが、ここも一日でも早く売って遺産分配するか、誰かが金額の取り分を減らしてこの家自体を貰う奴が出てくるか。
これは、昔に大叔父側に僕と同じくらいの年齢の兄弟がいて、大叔母が一時期その魂胆を聞いて怒り、出入りを一時的に禁止にしていたから知っている。
大叔父側の親戚は、僕が聞いた話と、大叔母が亡くなった時の事を背景にして考えると、金に群がるだけの人間たちばかりだと僕は思う。
・
お金を持ってるスミコさんは分からないけど。
意地汚い人間たちばかりだなと思う反面、そりゃそうだ、この大金があれば人生が一気に変わるもんな、と考えると、僕もこうして人の事を非難できないなと思う。
けど新築の家一軒と、大叔母から
「おっちゃんを頼む」
と託されて、数千万の遺産を貰って岡山に逃げたヒロコっておばさん以外は、僕は知らない。
本当に人間の生き死にの瞬間は、こういうのが露骨になるから大変。
人間だなと思う。
・
大叔母の葬儀に、生前、散々金の無心や面倒を見てもらっておいて、看病にも、見舞いにも来ず、葬儀で酒や煙草を食らって、また食べ物まで持って帰ろうとしていた大叔父側の親戚の事は信用できない。
だから僕はここまでは書く。
実際にこの10年間、身の回りの事をしていたのは実際には僕だった訳だ。
昨日おっちゃんが亡くなってから初めて誰もいない、あの家に行って、初盆の今も僕は当然無関係者になったのだから、虚無感。
「大人にしてくれてありがとう、本当にごめん」
としか、大叔父、大叔母には言えない。
・
久しぶりに大叔父の家に行くと、庭はもう入れないくらいの雑草が僕の背丈以上まで伸びていた。
10年。
ここの草抜きを僕がずっとしていたのだ。
この家や庭の手入れを僕がしていたのだ。
外から見るとクーラーも取り外されていた。
僕は遺品整理を仕事でしている。だから考えられるのは、中にある金目のものは全部持っていかれているな、という事だけ。
大叔父が亡くなる前から、それはもう10年以上前からここのお金、遺産については混沌としていた。
僕は最後の最期でしくじって、大叔父さんを裏切りながら傷付ける形になったけれど。
それでも、その後の事をおじさんは知らずに死んだからそれだってもう別に済んだことだ。
・
去年の今頃に防草シートを僕が炎天下で張ってあったんだけど、そのシートを突き破って地面が見えないくらい草が生い茂っていた。
あの時は、僕が珍しくおっちゃんに露骨に目の前で怒った時だ。
今のこの様を見て、これが人間がする事だと僕は言いたい。
・
大叔父の葬儀の時を思い出した。
初めて会う、大叔父側の親戚の顔。
それまでは気難しい連中だと聞いていたけど、葬儀での、あの満面の穏やかな顔。
やっと大金が入ってくる。
それで態度が一変した連中だ。
・
子供がいない大叔父、大叔母の財産は、大叔母が亡くなる前から大叔父側の親戚は遺産を狙っていたから、そういうもんだ。
ここまで綺麗に泥棒のように物が無くなる。
閉店セールの店に群がるハイエナと同じ。
金目の物を一気に取って、それから落ち着いて法律に則って分配。
法律に則る前の、その金目の部分(時)が人間が瞬間的に見せる
露骨な欲、だと思う。
人にバレない内に、人目につかないように、という部分だ。
僕だってあるよ。人には言えない事、過去。
大叔父さんにだってあるよ。きっと大叔母さんにも。
大叔母、大叔父の物語は、僕の中では生きて残るけど、概ね、完結だ。
僕は負け惜しみみたいな、負け組の遠吠えをしているだけ。
人の命は金よりも重くも無ければ軽くも無い。
勝てば官軍と言うけど、勝たなくても官軍なのだ。
とりあえず、全員が、一線を越えている奴は、死ねばいいと僕は思う。
・・
・・
南海トラフ地震の事がある。
とはいえ、僕はどこにも行かない。
そういえば、先輩が「○○が地震を心配して連絡くれた」「やっぱり仲間だよな」と最近よく先輩は言うが、僕は少し違う。
少し前から先輩たちは、色々とありながらも、ちょっとだけ痛みや経験を年と共にして、落ち着きが出てきたみたいな感じがする。
でもね。
心配するなら俺も心配して連絡して来いよと思う。w
・
こう書くと、僕が怒っていたり気に入らない、みたいに捉えられると思う。
一部は当たっているとしよう。
先輩たちは自分がされたら嫌な事を、他人にしない、という考えは理解できても、それを当然のように考えることは出来ても。
自分が面白いと思ってする事、している事が、相手を傷つけている、相手を気付つけてしまう可能性がある、という点を、まだ、一切持てていない。
どこまでいっても一人で生きているとそうなる。
自分の視点が絶対の軸になるからそこはやはりそうなってしまうのかもしれない。仕事で役職が付いていたり部下がいても、だからといって新人教育や自身の出来が良いとは限らないのだけど、そこも人は見えていないから難しいのだ。
それを別の先輩は
「あいつは馬鹿だから」
と言うのも変だ。
僕がつい言ってしまう
「先輩はウンコちんちんで笑うような下品が好きだからなあ」
と言ってしまうのも変だ。
そもそも僕ら全員が馬鹿だから、あんな三流大学なのだ。
だから、他人事だから別に皆そこまで気にしていないのだと思う。
そういうもんだよね、という風に事を済ませているから、僕らは子供のままだった。そして今になって僕は、そこと合わなくなってきたのだと思う。
全員が、自分に都合が良い事を、全体に対しても良い事、として全体の空気や、今の総意みたいに考えてなるのが僕は今は嫌いなのだと思う。
・
人の痛みも分からない奴が、人の痛みなんて偉そうに語るな、だ。
これだ。そして、この言葉も僕にブーメランのように刺さる。
人の気持ちや、人の事が、わかっているように、できる男や出来る女みたいなツラでモノ言うけど、お前ら、してる事、解ってんのか、と思う。
だから、僕はこの連絡網に今年から、不毛を感じている。
・・
・・
今日の最後に、、
僕が検索して見ている人の日記や記事はたいてい、生き辛い、とか毒親とか機能不全家庭に関することが多い。
正直HSPとかHSS型HSPは嫌いだけど、今でも読んでいる。
でも、最近思ったのは、
日記以外の事を書いている人の記事は、みんな内容が一緒。
いわゆる自己啓発系とか、ここではスピリチュアルは関係ないかもしれないけど、○○とは、何々について、みたいな説明の記事は、ほとんど書いてある内容は同じだと思う。
ネットで検索すれば簡単に出てくる内容。
だから、コピーだと思う。
過去に誰か、有名か有力な人がネット上に書いた内容。
コピーでなくても、それをなぞっているだけ。
わかりやすい説明を、そのままコピーして、またそれを誰かがコピーして、またそれを誰かが引用して、の繰り返しでメンタルヘルス系の日記や記事は僕も含めて同じような記事しかない気がする。
今なら小学生でも、言葉だけなら、検索して出せるような日記や記事ばかりだと少し思っている。
・
だから、これには限界がきていて、何が限界かというと、ここには価値が無い、価値が無くなる可能性の方が強い、とふと気が付いた。
みんな自分の欲で書いているだけだから、僕も気にする必要ないけど。
自分がしている事が虚しいと言うか、自分が思っている以上に自分の為になれば良いけど、自分の為になっているのか分からないくらいなら、人様の目に付かない方が良いと思うようになった。
・
僕が経験談で日記を書く事に、僕の生きた証や生活があっても、僕が情報発信者として、何か人様の為になるような事を書けるのかなと思うと、それが僕の人生をかけてまでする事ではないから違うと思う。
それに、まず僕がそのレベルに居ない。
心の問題なら、それは医者やカウンセラーが発信すればいい。
だから、僕の日記を見るのは、僕の事が好きとか、僕と関わりがある人だけで良いなと思う。
・
昨日の帰り道、「それをして何になる」と考えながら同時に。
世界中の不特定多数の人が、それも何千人、何万人の人間に一気に見られて、有象無象の人間の欲や悪意や、ましてや好奇の目を向けられるのは、今の僕は無理だ。
だから、ちょっとだけ、苦しいのは一緒だけど、どの道、苦しいのは同じ。
それならば、自分が壊れて、壊れましたよと自分で日記に書くのも違う気がする。
・
痛い辛い思いをしないなら、きえたい。
また逢おう。連絡して、待ってる。でもその電話は壊れてる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?