人生が掛かっていないから何も解からないし変われないんだよ
僕が去年から言い続けている事。
人生がかかっていないから、何も解からないし、何も変われないのだ。
人生が賭けるのではなく、懸かっていないから。
今の自分がしている現状で、そのままで、何も変わらなくても、何も分からないままでも、そのままで生きていけると本心では思っているから何もしなくてもそのままでいられるのだ。
僕もそうだ。彼女もそうだ。
僕で言えば、僕の婆ちゃんは爺ちゃんがいたから生きてこれたと思う。
爺ちゃんも同じだと思うが、最終的には何か困ったり、逃げたくなっても、爺ちゃんがいたから婆ちゃんは何とか楽しくやってこれたと思う。
「死にたい」と言えば何でも爺ちゃんが助けてくれた。ケツを拭いてくれた。
責任も、お金も、生活すべてが最後の最期までそうだった。
泣いても喚いても、嫌でも、発狂したくても、例え、そうだったとしても。
・・
病気を理由に、生き辛さを原因に、言い訳をすれば何とか最終的にはなる。
突き詰めて言えば子供のままで生きていけたのだ。
母は仕事も私生活もやるべきことはやったと思う。
母は人間として、大人の女性や母として学び変わらなかった。
気が付かなければいけない人間関係。
それは生活が成り立たなくなる訳ではない。
仕事や生活面は自分で切り開いた。それだから生きていけた。
だから
「何が悪いの」
「あんたに言われたくない!」
と反論できるのも、確かにそれは事実。間違ってはいないのかもしれない。
・・
僕やあの子は、結局は何もせずとは言わないが、結局のところでは家族に面倒見てもらったり、誰かの協力で生きて生活を成り立たせてきているからそのままだったのだ。
僕は去年、確かに今も、まだまだ甘えていると思う。
自分の力で、自力で自立は出来ていない。
全然何も出来ていないし、まだまだ逃げている。言い訳をしている。
・・
僕はと言うか、これは僕の親や祖母を観ていてよく分かる。
今は特に祖母だ。さっきも、優しく説明した。毎回この話になる。
怒っている相手に対して
「ごめんなさい。あ、そうだ。これをこうして。こうだよね。うん。こうする。こうしなきゃ。あ、そうだ。こうで、こうで、こうだ」
と、言いながら相手の怒りや説教が終わったら、次の瞬間には
「はい、おっけー」
とは言わなくても、
心の中ではもう事が済んでしまっているのだ。
相手の怒りが収まったら、自分はその問題や課題をやる、あるいは改善するように準備や予習復習をしなければいけないのに何もしない。
それをやらずにしたままで次の事をして、遊んだり、自分がしたい事だけをしている。
だから何も学ばないし解らないし変わらないし成長しないのだ。
・・
怒ると言うのも少し間違っているとは思う。
怒っているのは、怒って気が済んでいるのは怒った本人だけだ。
本人は違うと言うと思うけれど、目的は怒る事ではなく教える事だ。
・・
相手に教える。
相手にそれを解決させる為に怒るのではなく説明して相手に理解させる。解ってもらった上で、それを実行させるのだ。
もし宿題をしなければ何故いけないのか。
それは怒られるからではない。
もし子供(学生)に勉強や宿題をしていない事を説明するには
・勉強をしなければテストの点数が悪くなる
・テストの点が悪いと試験や受験も落ちる
・それはカッコいい事なのか。カッコ悪い事なのか。
それを何回も教え、子供自身も痛い目やカッコ悪い思いが身に染みて、そこから学ぶようにアシストするのが親の力だと思う。完全に全部するという話ではない、補助すると言う意味だ。
補助ではなく、代わりに全部しようと子供の代わりに最終的にしてしまう親では子供は学ばない。胸が痛いけれえど、僕や婆ちゃんがそうだ。
・・
子供は本心から勉強しなければ何も身に付かない。
自分の事として向き合ていない。
だから「やるべきこと」をやらない人間が出来てしまうのだ。
・・
引き籠りを立ち直らせるのは、精神的な病気があるならば。
治療をしながら社会復帰させるのが親の役目だと思う。
年齢にもよる。
30歳、40歳、50歳にもなって、ずっと引き篭もっている子供がいれば親も
「もうどうしようもない」
と言ってしまう。そうなると思う。
いきなり正社員なんか無理ならアルバイト。
年齢的に嫌だと言うなら週に一日でも二日でも外の世界。
社会との接点を持たせて、大人として社会の一員としての訓練や勉強をさせなければ、
本人は一生何も変わらないまま親のすねや財産を食い散らかしながら生きていくのだ。
・・
それが誰の事を言っているのかはあえてここでは言わない。
僕もまだ分かっていない事ばかりだと思う。正直それは胸が痛い。耳も痛いし、自分の姿を考えられるようになれば恥ずかしい事だ。いくつになっても大人になれない人は自分の姿を見れるようにならないと一生そのままです。
そこで終わる気なんだよね。
そういって一生やっていけると余裕かましてるだけだ。
いつの時代もいる。
一生そのままで生きていけるような家に生まれてそのままで年齢だけ食ったような奴。
それと同じになっている自分の姿が見えたとしても、痛くも、かゆくもないから一生そうやってガキのままで御託並べている奴。
何も解かってないから。
・・
ひと時の至福と共感を得て、
お前らどうやって生きる。
自分と対峙しろ。
逃げるな。
自分から逃げるな。
これは僕の大好きで尊敬する、チョモランマトマトの歌詞だ。
本当にあれから十年以上、かなりの時間が経ってしまったけど。
本当にあの言葉や叫びは僕の人生に大きな財産と想いで。
生きる力を今でも僕に与えてくれる。
言葉並べてもどうしようもない。
食っていかなければ意味がない。
そう言う事が身に染みていないから。
そう言う事だ。
世の中が悪いんじゃない。誰かが悪い訳だけじゃない。
約40年間の、いや、一生と言う人間のあっという間の年月から、俺もお前もそうしてただ逃げているだけじゃないか!!
・・
https://www.youtube.com/watch?v=3u5OkNGOYbE
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今日も色々ありました。
これ覚えておこう。日記に書こう。誰かに言いたい。
これも、あれも、ああこれも、あああれも。
辛い。嫌だ。逃げたい。やりたくない。もう嫌だ嫌だ嫌だ。
でもやらなきゃ。死にたいとは言ってられない。
逃げてちゃ何も出来ないし、生きていけない。
そうやって家に帰ってきたら、自分の時間で好きなことが出来る、ってのは子供と一緒だ。
あれもしなきゃ。これもやらなきゃ。
そうやって生きている。
僕らはそれでも生きていく。
明日も今日も、昨日も僕は生きている。
では、また明日ね。
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