見出し画像

良質なインプット祭りに尽きるのだ

 7/10、金曜日。
 久々の出勤を果たしたら、夜は疲労と睡魔でフラフラになってしまった。
 メイク落とさないと…、シャワー浴びないと…、スマホ充電しとかないと…、と呪文のように唱えるが、ひとつひとつの動作がゾンビのようにまったく進まない。ご褒美にコンビニでビールを買って帰ったら、飲んだとたんに寝落ちしてしまった。

 普段はお酒を飲まないので、飲むぞ、と決めたときは値段を気にせず飲みたいものを1本だけ、買うようにしている。ビールで好きなのはハイネケンだけれど、駅前のコンビニには置いてなく、東京クラフト・ゴールデンエールというものを選んでみた。ふっくらとして美味しかった。ビールは、キリッよりも、ふわっ、ほわっとしたコクのあるものが好きだ。

 先々週の平日、録画していたドラマ「スイッチ」を、在宅ワークのランチ休憩時に数回に分けて観た。阿部サダヲと松たか子のコンビは「夢売るふたり」という西川美和監督の映画も良かったので期待していたのだが、今回は坂元裕二の脚本が素晴らしく面白かった。とにかく台詞が丸く尖っている。
 しかしあのような2人がなぜ、わざわざ意識高い系の相手と付き合うことにしたのかが謎であった。そして80年代的ファンシーなお揃いのマグカップをどちらも使い続けているところに泣けた。

 土曜日の晩ご飯時に夫が観たいと言い出したので、一緒に鑑賞。私は続けて2回観ることになったが面白かったので構わない。

 休日も、買い出しがてら近場をうろうろするくらいで、余暇の予定は一つもたっていない。職場では、夏休みどうする? といったやりとりも聞くが、帰省なんてまだまだ無理だ。梅雨が開けても何も始まらないが、この湿度からは早く卒業したい。毎年そんなことを思っているような気がする。

 7/12、日曜日。
 夜は星野源のデビュー10周年ライブ。配信だしなあと当初迷ったのだが、ご祝儀の意味合いも含めチケットを買っていた。結果、観て本当に良かった。
 クアトロの客席にバンドセットを置く独創的な試みもわくわくしたし、新旧織り混ぜた10年物のセットリストもイントロ毎に気持ちが高揚した。演出の工夫によるものだと思うが、画面越しでもちゃんと臨場感があって楽しむことができ、最初から最後まですべてがひとつ残らず温かくて優しい2時間であった。

 バンT買い過ぎ問題というのがあって、今回は着用して参戦できるわけでもないのだし自粛しようと決めていたが、ライブ終了後にまんまとポチってしまった。バスタオルはグッと我慢。グッズの売り上げは、次の制作費やらツアーの資金になると聞いたことがあるので(星野源が言っていたわけではない)、良いパフォーマンスを見せていただいたときは、アーティストへの敬意をこめてできるだけ何か購入することにしているのだ。さて、このTシャツを着て本当の、リアルライブに行ける日はいつになるのだろうか?

 私たちは、待つしかないのだ。画面越しでもいいじゃないか! と星野源は叫んでいた。うん、いい! これはこれで、いい。だけど、やっぱり豆粒サイズになっても構わないから、同じ空間で生の音を聴きたい。今回の配信を楽しいと思えば思うほど、昔の思い出~炎天下の大阪サマソニとか、たまアリのVIVA LA ROCK大トリとか~そういう巨大空間での圧倒的な姿を思い浮かべてしまうのだった。

 翌朝のニュースで知ったが、チケットは10万人が購入したらしい。家族全員で鑑賞した人もいるだろうから、果たして何人があのライブを体感したのだろう。遠方に住んでいたり小さなお子さんがいるなど外出しづらい環境でも、こういう形でなら楽しめた人もいるはずだ。単なるイベントの一つというだけでなく、音楽ファンに向けた新しいインプットの可能性を提示してくれたのかもしれない(アーティストか側からすれば、良質なアウトプットの一環だ)。

 7/14、火曜日。
 コロナ以降に電車に乗って遊びに出掛けたのはこの日が初めてだった。有給休暇を使い、ソーシャルディスタンス仕様下で演劇鑑賞。果たして渋谷は、思った以上に人が少ない。平日昼間だからなのか、それとも自粛の影響なのか、ちょっと心配になるほどだった。経済よ回ってくれ、と切に願う。

 舞台を最後に観たのは昨年11月、池袋の東京芸術劇場で上演された「Q」。半年以上も前のことだ。観劇なんてもっと先になるだろうと思っていたし、無理に行く必要もないと遠ざかっていた。ずっと閉まっていたパルコ劇場の再開、こけら落とし公演。行きたい気持ちはあったがチケットの手配をすることもせず、なんとなくネットで情報だけは集めていたという感じだった。スマホのアプリで抽選の通知を受け取り、ダメ元で取ってみようかな、とふと思いついて申し込んだら当選したのだった。三谷幸喜脚本・演出で主演が大泉洋、行くしかないじゃん。

 劇場では二種類のマットで靴裏の汚れを落とし、手指の消毒、検温、マスク必須の厳戒態勢で、座席も前後左右を1つずつ空けた特別仕様になっていた。おかげでステージ自体はとても見やすかった。
 三谷幸喜曰く偶然らしいのだが、演じることを禁止された俳優たちが収容された施設を舞台としていて、まるでコロナ禍により次々と舞台やライブが中止になった最近の世相を体現したかのような物語であった。かなりシビアなラストだったが、でも現実に起こりそうだよなあと妙に納得してしまった。笑いどころもため息の数も同じくらいに多く、見応えのある重ための舞台だった。

 新しくなったパルコでピアスを買い、レジでもらった割引券を使って天ぷらを食べて帰った。特に外出したがりな方でもないのだが、テナントをうろうろするだけで新鮮な気持ちになり、ものすごく楽しかった。夏物のセールも気になったが、ほとんど在宅ワークで着ていく場所もないため雑貨や本を中心に見て回る。ネットショッピングも便利だが、リアル店舗をぶらぶらし、気になるものがあったら覗いてみるという行き当たりばったりな行動がこんなにも胸躍るとは! 感染予防には万全を期す必要があるが、今後もたまには出かけてみようと思った。

 7/18、土曜日。
 珍しく夫が映画を観に行きたいと言う。映画館で、昔のジブリ作品を上映しているらしい。夫が予約を取り、「風の谷のナウシカ」を鑑賞。火曜日に続いてまた渋谷。

 今住んでいる家を引っ越すことにしていて、ぼちぼちネットで検索を始めているのだが、目星をつけた街の雰囲気が分からないため出掛けたついでに散策してきた。途中下車して数駅、駅の周りを中心に歩くがいまいち決め手に欠ける。建物自体は良いのだが1階にしか空きがないとか、近くにコンビニがないとか、駅ビル以外に買い物できるスーパーがないとか、やはり実際に見て気づくことはある。本格的な冬の到来前には新居へ移りたい。

 タイトルこそ知っていたけれど、実は「風の谷のナウシカ」を観たのは初めてだった。こういう物語だったんだなあとしみじみ。虫がたくさん出てきて、おおお……と思ったりもしたが、狂った生態系、人と自然との調和、決してなくならない戦争、など永遠に解決の見えない事柄がテーマになっていて、きっと30年後も50年後も人々は同じ視点でこの映画を観続けていくのだろうと思った。映像の古さとか、今作ったらきっと入れないだろうと思われる効果音など、気になる点もあったけれど(初めて観たからこその感想なのかなあ)、総じてクオリティの高い作品でした。
 普段、映画館でアニメを見ることはほとんどないのだけれど、夫に誘ってもらい、良いきっかけになった。そして夫は映画館で号泣していた。

 頭がぐつぐつになるくらい、多種多様のインプットを行った1週間だった。身体だけでなく頭も、一つところで固まっていたのかもしれない。久しぶりに自由に、脳みそがあっちこっちに動き回れたような気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?