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特別な関係性に憧れるけど



人間関係は2つの船だと思う

パートナーとか彼氏とかは何度も憧れることがあるし、実際の友人知人にもそういう人がいたりとか、メディアの話題になっていたりだとか、ガストロや旅行の宣伝で「カップル・夫婦におすすめ」とかあったりすると、「そういうsignificant oneと行くと楽しいのだろうなあ」と流されるように思うこともある。

それでも、なんだか私はまだまだ誰か特定の人と特別な関係を築くことが想像できないし、なんだか違和感を感じる。

上の枝瀬泰さんの記事にあるように、一人一人は独立した存在で、たとえ非常に近しい関係にあってもお互いにパーソナルな領域はあるし、分かり合えない部分もある。
また私は人は一人で生まれて一人で死んでいくのにどうして特別な関係を築きたいと思うのだろうとも思う。私がまだそれだけ強い想いにさせてくれる人に出会っていないということなのだろうか。

知り合いで、「趣味が彼氏」と言っている女の子がいて、なるほどその子は仕事以外はほぼ24時間彼氏と一緒に過ごしているらしいけど、私としては冷や汗を垂らすしかなかった。その子は主語としてI (私)を使わず、We(私たちカップル)を使うことが多い。他人のことはどうでもいいけど、その子は

きっと自分と彼氏が一体化して、自分という核が消えていったのかもしれない

と思った。またweを使うことで、私はその子が責任逃れをしているように感じられた。 "You(mado) are XXX, but we are YYY"という対比を使うところも、なんと言語化していいかわからないけど、1:2のパワーバランスができているというか、私はその子の生き方を尊重したり理解しようと努めようとは思うけど、私のやり方ではないと思った。

自分のない人に嫌悪感というか、違和感を覚えるんだと思う。町で実際に行ってよかった日本料理店を紹介した時、「値段は?クオリティは?」と聞かれ、説明した。ヨーロッパで和食を食べるのは高い。「この量でこの価格じゃ私の彼氏には足りないわ」彼女は言った。あなたの感想はどこ?彼氏に自分の感想を代弁させてない?
(安価な値段でクオリティの低い経験を買うということが私にはまた理解できない。家では有機栽培とかのものを買うのに、どうして外食になると価格重視?)

一人の人に縛られる理由??

上の趣味が彼氏の女の子は友人付き合いにも彼氏を連れて行くし、どこに行くにも彼氏と一緒で、彼氏がいないと行動できないという印象を受ける。一人の人に縛られることで、私は自分が体験する世界をどんどん狭めているのではないかと思う。ドイツに来てから、本当に人の価値観やその人のストーリーって人の数だけ多様なんだということを知った。私はこれからもいろんな場所に行っていろんな価値観やストーリーを知りたい。だからカップルという関係性が似合わないのかもしれない
あと思ったこと。人間関係を「カップル」「結婚」「友達以上恋人未満」「脈あり・なし」とか型・タイプに当てはめたくない。こういうのってメディアがマーケティングのために作った虚構なんじゃないかって思う。最近までこういう記事に自分の関係性が当てはまるか検証して、一喜一憂していたこともあったけど。

それから他人を束縛したくない、所有したくない、同じように他人に束縛・所有されたくない、お互いの自由を尊重したいという理由もある。これはきっと過去の人間関係からくる思いなのかも。

今の価値観もひっくり返る時が来るのかな

それでも、今の価値観がひっくり返ることもあるのかもしれない、ひっくり返ることもありだと思っている。
夏生さえりさんのエッセイにも恋愛に対する価値観がひっくり返った経験が書かれていて、彼女のbeforeは私と似ているから、そういう可能性もあるのかもと思った。

それから友達が言っていた「孫が欲しい」という言葉に「確かにそうかもしれない」と共感した。家族を持つことはまだまだ実感が湧かないのだけど、年末年始とかたくさん孫を呼び寄せて、お年玉をあげたり、美味しいご飯を囲んだり、一緒に遊んだりするのも楽しいのかもしれないと思った。そのためには子供がいないとだよなあ。

でも血のつながりにこだわらなければ、本当に親しいと思った人やその友人家族を集めてお祝い事をする、私がコミュニティのクリエイターになるという関係性の築き方もありかもしれない。

そうそう忘れちゃいけない。
私は多様性を知るのも好きだけど、私もこの世界の大切な多様性の一部だと。

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