見出し画像

恋人未経験へのコンプレックスのルーツを考えてみた。


知り合いのパートナーの有無に一喜一憂する私

私の友人・知り合いには大抵パートナーがいる。むしろいない方が珍しい。「シングル同士頑張ろ!」と昨年言っていた友達にも付き合って1ヶ月の彼氏ができた。
今フラットシェアしているのもカップルで、「ああ同棲するってこんな日常なんだ」って思う。
私はフリータイムは一人で過ごすのが好きだ。でも、周囲にパートナーがいる人が多く、フリータイムをパートナーと過ごす人が多いと、「私って一人でいけないのかな?」とモヤモヤ、劣等感を感じることがある。

愛が見えにくかった環境にいた私。一人はいけないこと?

私には生まれてからパートナーが一度もいたことがない。恋愛のあれこれは経験してきたし、いろんな人に出会ってきたけれど、真剣な交際という経験がないことに引け目を感じている。
「何で彼氏できたことないの?すぐにできちゃいそうだけどね」「一人で寂しくない?(一人行動好きな私について。旅行とか、誕生日祝いも一人)」と言われることが度々ある。
この質問に対して理由をいくつか考えることはできる。
⚫︎私が生まれてから私は母と母方の祖父母と暮らし、父は単身赴任していた。だから家族全員では暮らしたことがなく、両親がラブラブしているのをみたことがなかった。母はそういうことを人前でするタイプにも見えないし、両親の前では恥ずかしかったのかもしれない。親子感の物理的な距離もなんだか遠かった。だから高校時代留学した時ホストペアレンツがいかなる場所でもラブラブしているのをみたことが衝撃であり、物足りなさを感じた。親子間でもハグやキスが盛んで、自分がその中にいなかったことから寂しさを感じることもあった。
⚫︎もしくは私がいろんな地を転々としてきたため(nomadであり、nomadであることが好きだから)、遠距離恋愛を好まない人たちとご縁がなかった。
⚫︎留学、受験、キャリアなど恋愛以上にフォーカスしたいことが多かった(母の姿を見て意図的に多くしていた?)
などだ。

それでも私はこの質問が苦しい。何だか「パートナーがいないことはおかしなこと、いけないこと」と言われているように感じるからだ。これまでしてきた私の経験が(そこまで人に打ち明けるわけではないけれど)、真っ直ぐではない、外れたもののように感じられる。「そんなことないよ」って言って欲しい。「もうすぐいい人が現れるよ」じゃなくて、「madoはmadoのままで大丈夫だよ。パートナーの有無には関係ないmadoが好きだよ」って言って欲しい。「madoはそういう風に育ってきたんだから、そうなるのも普通だよ」って。一人でいるのがそんなに異常なことなのか。楽しければいいじゃない。人と楽しむ時間も素敵だけど、ソロトリップ、ソロバースデーもソロクリスマスもソロニューイヤーも工夫の仕様ですごく楽しくなる。

Being with peopleを最上級の価値に仕立て上げたのは誰?メディアや広告?

「パートナー=補い合う関係」→「シングル=不完全な私」というbelief statementができていた

上のような静かな、底から込み上げる怒りが渦巻いている。
それから小さい頃大人の雑誌に書いてあった言葉が今でも心に残っている。
「夫婦関係とは、自分の欠けた部分をお互いに補い合う関係だ」

つまり、独身は不完全ってこと?いつかは結婚しないとなあ。結婚できるかなあと思っていた。この思いが、恋人未経験のステータスへの不安を駆り立てていたのだと思う。

「私」と言う満ち足りた存在は、パートナーの有無に左右されない。

最近ある友達(2ヶ月前彼女ができた)が言っていた。「僕は自分っていう存在がまずいて、その前提があって初めて友達や彼女がいると思っている。」「誰かと一緒にいる時、その人のことを知ろうとするよりも、まずその人といる時自分はどんな状態かを観察するといいかもね」
誰かとデートしている時、「この関係を発展させないと」と思い、緊張していつもの自分らしくいられず、終わってから一人反省会をすることもある。
もしかしたら、パートナーの有無に左右される私は、心のどこかで恋愛至上主義なのかもしれない。今回の留学前はさらにその傾向が強かった。でも今は緩和してきており、一人の時間も楽しめる。それでも「シングルはいけない?」と時々心が揺れる。

友達の言葉を聞いて、少しずつ私の心も軽くなり始めている。mado、あなたは満ち足りている。無理しなくていい。そのままで十分素敵だよ。

恋愛で自分を満たそうとしない。大丈夫、名前の通り十分だよ!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?