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人間関係の幸福論~別々の船に乗ること

※今回のコラムは、
イメージ過多の内容でお送りします。
自分の言いたいこと、伝えたいことを比喩を用いて表現するなら、どうなるかな?という実験的試みの一つだと思ってお読みくださるとありがたいです。

テーマは「人間関係」です。

高校教師になって15年になります。
今が成熟して、昔は未熟だったという単純な捉え方はしたくないのですが・・・、

昔の自分は、生徒の首にぐるぐるとリード綱を巻き付けてコントロールしようと必死でした。そのリード綱の長さも短いんですね。生徒が思い思いのところに歩きたいと思っても、僕がダメだと思ったら、ぐいぐいリード綱を引っ張るので、さぞかし生徒は窮屈だったろうと思います。いっぽう、僕も無事ではいられません(苦笑)40人の学級でしたから、手綱を引っ張る僕も始終目を光らせていなければならず、心身がずっと緊張していて、気の休まる時間がなかったです。
お互いに不自由な感じとでもいいますか・・。

僕の経験値が増えるにつれ、
関係性も変化していきました。

生徒のことをより理解し、彼ら彼女らの意志に任せたほうが、目が輝いているな、失敗することもあるけれども、そのときの応急処置の仕方を(自分一人で抱え込むことなく)同僚や保護者、地域の支援を得られることができれば、決して恐れるような最悪の事態は起こらないのだ、ということがわかりました。

次第にリード綱が長くなり、生徒の動ける範囲が広がっていきました。リード綱を持つ僕もぐいぐい引っ張られることがないので、ストレスフリーです。

今はどうか?というとリード綱なしの放し飼い状態です。首に何も巻いていません!

僕も含めて、生徒たちは一人ひとり、思い思いに自由な時間を過ごしています。
その中で、グループを作りたいならつくればいい。小グループがいくつも乱立している状態で、必要以上にベタベタすることなく、そのグループは流動性のあるものがいいですね。好きなときに、好きに集まればいい。一人の時間を大切にしているなら(いい意味で)放っておけばいい。基本的には、お互い、不干渉。自由。
でも、お互いの気配や感情は絶えず、感じている距離にいる。

僕はノーストレスになりました。
不思議なもので、その方が生徒の幸福度も成長も高まりました。

これが(僕の好きな)クラス経営です。

クラスに限らないかもしれませんね。

夫婦にせよ、
親子にせよ、
兄弟にせよ、
恋人にせよ、
師弟関係にせよ、
いわゆる、「近しい」「運命共同体」とでもいえる関係であっても、

「お互い、別々の舟に乗っていた方がいい」

 ↑ ↑ ↑
これは僕自身、
メンターから教わって大切にしている言葉です。
金言だと思ってます。

一緒の舟に乗っていると、
窮屈だし、好きなとき、好きなことができないし、最悪の場合、難破する可能性だってありますよね。

もちろん、夫婦や親友なら、同じ舟に乗りたいときもあるでしょう。そのときは、舟を近づけて、
どちらかが、どちらかの舟に乗ればいいのです。
でも、それはあくまでも「一時」のこと。時間が経てば、また別々の舟で航海して、それぞれが新しい発見や気づきをまた一緒になった時に共有すればいい。

多様性の時代です。
個人の時代です。
「正しい」も「おもしろい」も、
それぞれの価値観によるもの。
絶対的なものはありません。

別々の舟の方が、
個人の幸福度が高いはず。

前回のコラムで
「どうでもいい!」と思ったほうが
関係性を良好に保てる、と書きましたが、
いい意味で、相手の事情を放っておくことは絶対に必要です。

ただし、これを達成するためにはいくつかの必要条件がありそうです。

①個人として自立していること
②依存ではなく、支援しあう、という意識をもつこと
③お互いに理解し合うこと
④寛容であること、許すこと

特に僕は
④寛容であること、許すことがキーワードになる気がしています。

自分にとって
常識を超えたもの、
フツーじゃないもの、
理解しがたいこと、
むしろ、そういうものをこそ認めて受け入れる鍛錬を積むことで、
別々の舟に乗って、自由気ままに航海できる気がします。

結論、人間関係は容易には築けないって話でした(笑)

イメージで文章を書きました。
また機会をもうけて、今度は理論的な説明もしていけたらと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。これを読んでくださったあなたの少しでもお役に立てたら嬉しいです。

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