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「作り話」うたたねのうたかた

*これはいつもの「ついて」シリーズでも、見聞録でもない作り話です。

ーーー

居ると決めた場所。あるが為に決めた選択。覚悟。自分の身に受けた呪いも祝ぎも、伴に受け入れると誓った。

此処は、どこにでもあるでもどこにもない、昔ながらの田舎を錯覚させてくる日本の風景のような場所である。山があり澄んだ川があり、穏やかな人が暮らす地域がある。活気も静寂もどちらもここに揃っている。人の住む区域から少し離れた一角に、少々おんぼろの寺がある。そこには、大きな桜の木が柵に囲われ、育てられている。まるで、こことは別物と守られる境界線かのように。其処には一人、そこに住む者がいた。男とも女ともとれる中性的な面立ちでさらりとしていて髪は短い。すらっとした体格で人形にも見紛うほど。名前は「水目」、言うなればここの管理者である。

映る桜や他の樹々や少し離れた人の活気を見つめながら、目を細めて口元を緩める。

春は誇り、夏には踊る。秋は暮れ、冬には眠る。
その他愛のない命の繰り返し。それが愛おしい。

ある一日。ふと桜の木を見上げる。花の季節が終わりほとんど葉桜に変わっているにも関らず、一輪だけ咲き残っていた。たいてい、こういう時はなにかしらの面倒があると決まっていた。そう長く残ってなかったはずだから、つい最近であろうと推測する。眉を顰めて桜を見上げる。

「ねぇ。要件があるなら、言えば?やる事あるんでしょ。」
問いかける。一般の樹木であれば、返答はない。傍から見ても異様であろう。しかし、例外はある。この桜の木に意志が宿っているのである。だからこそ、必要な時には声が聴こえる。躊躇しているのか、枝は力なく揺れている。
「何。」
木は揺れる。僕は応じた。桜の風に吹かれる音が少し変わった。
「そう。いいよ、受けてあげる。」
僕のすべき事は決まった。

ーーー

今日も今日とて、古いお寺。柱に腰掛けて、囲われの樹は元気に花を咲かせているのを眺める。
一人、平和だとぼんやり思う。暫く耽っていようと思った途端、がしがしずるずると似つかわしくないこちらへと駆けてくる音が聞こえる。4,50代くらいの女が慌てた様子で参拝の為に手を合わせて拝んでいる、必死に唱えている。
「神様、どうか父を助けてください。明日から手術と入院で、とても困っています。どうか、まだ連れて行かないでください。お酒の飲みすぎで、こんなことになってしまったけどまだまだ元気ですし、私は父の介護で明日から引っ越しで、独り知らない所に向かわなきゃいけないし、仕事も頑張らばきゃで一杯一杯なんです。どうぞどうぞ助けてください。お願いします。お願いします。」
完全に聞こえたわけではないが、こんな内容をぶつぶつと同じ内容を繰り返し、手を合わせて嘆願していた。涙を流して声を絞り出していた。拝み倒して、また元来た道を走って帰っていった。

適当な場所に腰掛けながら、それを見ていた。ふあっと欠伸をし、ぐっと伸びの為に立ち上がる。桜の木に近くに移動しながら、ぼやく。
「せめて、神と仏の区別くらいしてきた方がよかったかもね、さっきの。」
抑揚もなく感想を零す。
「まあ。そう言わずに。彼女は親の為にきっと必死なのです。」と苦笑を混ぜながら、桜は返す。
「へぇ。」
「随分、冷やかですね。」
「そう?君が人らしすぎるんじゃない?既にどうしてそうなったかも明確に出ていて、本人ではない者がそれをなかった事にしてくれだなんて、それこそ随分な話じゃないか。」
同情の余地はないと一刀両断する。きっと他の植物と喋るとなれば、悉く皮肉なのかどうなのかわからない返しをされてストレスで枯れてしまうのではないかと推察する桜の木であった。
「貴方に言われると本当に「人」ごとみたいって思います。あら、上手い事言えたかしら?」
「ぷ。あははははっ、いいね。そのセンス!そういうの好きだよ、僕。」
「本気なのか、馬鹿にしているのかわからないですね。」
「えー。失敬な!こんなに本気で素晴らしいと賞賛しているのに。上手だったよ。」
本気で「ひとごと」の洒落がたまらなく気に入っていたようでしばらく笑い続けていた。一頻りの後、その声はぴたりと止んだ。
「水目?」
「今日は一段と賑やかだ。」
こうしてまた駆けてくる音が聞こえる。門の方から歓喜の声があがった。
「すっげー!!」
感動を体現しながら、桜の木を見上げる少年が現れた。ふと、こちらに目を向けて水目に気が付く。
「こんにちは!」
「こんにちは。桜の満開、そんなに珍しい?」
「珍しい訳じゃないけどさ。ここんとこのが、ちょっと咲いてる期間が長くて、散っても散ってもずっと満開みたいに見えるって聞いてさ。すげー気になってたんだ。」
「へええ、そんな謂れがあるんだ此処。」
「あれ、それで見てたんじゃないの?」
「大した意味はないよ。桜って見てて飽きないからね。」
「だよな!ここ、よく来てるけどこんなに満開なのは初めて見た気がする。あ。俺は錫弥っていうんだ。よろしく!」
「スズね、よろしく。僕は水目。敬称はいらないよ。」
「みずめ。なんか、確かに名前のままって感じ。」
「そう?ありがとう。」
「なんか、綺麗な女の人って感じがした。」
桜の木が噴き出して笑った。きっと一瞥を向けた。
「期待を裏切るようで残念だけど、僕は男だよ。」
スズは面食らったように目を見開いた。その反応に少々、水目は心外と言わんばかりの目を向けた。

ーーー

スズは少なからず将棋の知識があるというので、簡単にチェスの駒の説明をして、指す。縁に腰掛けて何度も対戦してみた。しかし、一度として水目に勝てていない。
「あのさ、チェックするとき、いつもクイーン使うよな。普通、ナイトで王様負かすもんじゃないのか?かっこいいと思うんだけどな。」
「そう思うのなら、一度でも僕に勝ってから言いなよ。」
盤上から目を離さずに笑顔で一蹴される。勝てていない事実、容姿から想像しにくい底意地の悪い言葉が憎らしさを倍増させる。ぐうの音もでない。
「一言余計だっつうの。」
「そう、ありがとう。スズはヒロイックをかっこいいと思うんだね。一応その質問に答えるなら、僕は女王(これ)が王を跪かせるのが一番かっこいいと思うから、かな。」
「そういうもんなのか?」
「英語圏なんかじゃ、女性を表わす女王や淑女って意味もあるけど、他にも「王の相談者」「指揮者」っていうのもあるんだよ。実際、王よりもよく動くしね。」
そういいながら、ポーンを俺の陣地の一番端にまで置く。
「クイーン。」
「げっ!」
ポーンは相手陣地まで到着すると希望した駒に変わるという。中でも、女王の駒は縦横斜めと動ける範囲の広いのが特徴である。水目は例え自分が有利でも、相手が最も嫌がる局面に余念がない。スズは一回は勝ちたい気持ちでじっと盤上を睨みつけて考える。そうしている間は不思議と水目はちゃちゃを入れたりしない。俺が動かすまで、静かに待ってくれる。指し方を吟味しながら、水目って変なとこで律儀だよなとぼんやり思う。
あ。此処にこうしたらどうかなと思いながら、駒を指す。次はお前だよと顔を上げて言おうとすると、少し目を見開いて驚いた表情をしていた。それを見逃さなかった。そしていつもみたいに笑って、お見事と言いながらしっかり王は奪われてしまった。
「はい、お仕舞(チェック)。」
「ああああ、また負けたー!!」
「最後、よかったよ。僕は思いつかない所だった。」
今のはまじりっけのない純粋な褒め言葉だった。それが、負けを上回って誇らしくなったのである。
「一気に強くなったよね、スズ。」
「へ!?お、おおう!」
唐突に認められ、頭が回らずに素っ頓狂な声がでてきた。
「はあ。水目、強いよな。俺、全然勝てねぇ。大会とか出たら、強いんじゃないか。」
終わった盤面を見ながら、少しだけ恨めし気に愚痴を零す。
「どうかな。僕の指したのが結果だし、勝敗はおまけくらいに思ってるよ。僕が負けたら負けたで、相手をもっと追い詰める指し方を考えて突きつけたいね。色々実験も兼ねて。」
今さらっと放った言葉、聞かなかったとしたいとスズは思った。水目は自分の言葉通り、勝敗には頓着してはいないのが、話し方や興味のそぶりでわかるようになってきた。むしろ、相手を追い込める、いうなれば嫌がらせにより磨きを掛けるのを楽しそうに話す様が恐ろしく感じた。
先ほどの「強くなったね」はそう思っている点もあるだろうが、今にして思えば「もっと追い込み甲斐がありそう」という意味も含めていると嬉しさの半分が凍り付くのが感じられた。勝てない方がいいのかもしれないと思えてくるくらいだ。
「なんで、そんなに強いんだよ。」
「んー。僕が僕だから?」
答えになってない!と突っ込みたくなった。指し終わって盤上に置かれていた女王を持ち上げて、手のひらで遊び始める。徐に口を開いて、虚空に向かって話す。なんだよそれと、気が抜けてしまう。
「生きてるのこそ自分が指し手で駒の盤上遊戯。」
「え?」
遊ぶ手を止めて、ゆっくりスズに、向かい合う。
「思考、思想、思索は指し手、それに則って動く体は駒。全部自分に返ってくる。」
「どういう意味だ?」
「さあ?なんだろうね。君はばかじゃない。だから、いつか君にもわかると思うよ。」
またはぐらかす、とスズは少々そっぽ向いてしまった。水目はその様子さえ愉快に眺めていた。

しばらくして、水目は徐に口を開く。
「ねえ。もしもさ。僕が指を鳴らして、手品みたいに消えたとしたら、どうする?」
「はあ?なんだそれ?」
右手で鳴らす前の構えを水目はする。
「僕が指を鳴らして君の目の前から画面が切り替わるみたいにいなくなって、君の記憶から生活から体験からも「僕」がいなくなる。って、ちょっとした喩え話だよ。」
「縁起でもないの止めろよ。」
「ふふ。考えてみなよ、ここは寺。そういう怪談の類が合ったって不思議じゃない。そう思わない?」
笑って話しているのに、冷淡に響いてくる。ぐっと言葉に詰まった。睨まれているわけではないのに、真っすぐな目と口、起こり得そうと恐ろしく感じた。頭の中で、そんな事起こるわけないと打ち鳴らされているのに、全身のざわめきが消えない。
「じゃあ、お前はどうなんだよ。」
思わず声が震えた、すぐには答えられないと判断した。スズは、きっと返してくれるに違いないと期待した。
「僕から答えを聞いて擬えようとしても無駄だよ。」
「なんだよ。ケチ!」
「なに、本当にそうだったの?」
「な。」
「ちょっとカマかけてみただけけど、その通りとは思わなかった。まあ、頑張って悩みなよ。」
「な!!」
桜の木はこの人の子の不憫さにを憐れむように枝を揺らす。
「水目ってさ、実はすげー意地悪?」
「言うようになったじゃない。人聞きの悪い言い方は目を瞑ってあげるとして。スズは凄く素直だよね。」
この「素直」という表現も的確ではあるのかもしれないが、掴みどころがなくてむっとした。ただ、確かに質問したときにヒントが貰えるかもって期待した。言っていないのに見透かされている気がした。そして、この妙に尊大な態度が腹が立つ。
「答えなくてもいいよ。あるかもしれないくらいに留めておいてくれたら。」

もしも、俺がここで会った水目を忘れて、普段の生活に戻って、生きていったら、そんな事起こる訳ない。そんなはずない、俺は今ここで生きてるんだから。

「改めて聞くけどさ、お前はどうなんだよ。」
「僕?」
「さっき俺に訊いた、俺にもそのチカラみたいなんがあって、水目が消えて忘れてってなったらさ。」
自分が聞かれると思っていなかったのか、首をかしげる。そうだなーとお道化て考えている姿は女の子を錯覚させる。詐欺だと内心で呟く。
「僕は、大丈夫だよ。」
笑みを浮かべて静かに言った。水目の言う「大丈夫」には敵わないという決定打を突き付けられた気がした。波打たない水面の上に立っている気分だった。

水目とスズが話していると、青い顔した女が、さらに青くなって拝殿の方へ向かい、手を合わせた。水目はいつかの女だと聞いてる途中で思い出した。
「神様、どうか聞いてください、父を助けてください。お願いします。お願いです。前よりも悪くなっています。私はちゃんと正しく間違いのないように生きてきました。お詣りにも来たし、両親の言う事もこれまでちゃんと聞いてきました。それなのに、神様、私の願いをひとつも聞いてくれないなんてあんまりです。一生のお願いですから、父をまだ連れて行かないでください。」
淚を滲ませて、声を絞り出さんとする姿にスズは思わず声を掛けようと、一歩踏み出した。水目は「ダメだよ。」と止めた。声を一言発しただけが、やけに重い足枷に感じた。参拝が終ると、女は暗い面持ちのまま深くお辞儀をし、寺を走り去っていった。無音が寺を包んだ。スズは平常を装いながらゆっくり水目に訊いた。
「なんで止めたんだ?」
「君が手を貸そうとしてたからね。」
さも止めるのが当たり前みたくさらっと答えた。
「困ってる人が居たら、助けたいってなるもんじゃないのか?」
「かもね。ただね、あれは「彼女の願い」であって、「その父自身の願い」じゃない。」
「え?」
「彼女が自身の欠点や弱点を克服したいと祈り、それを努力するのは美しいと思うよ。けどね、彼女が彼女以外の誰かに対して思い通りにこうしてよって願うのは身勝手だよ。」
「そんな言い方ないだろ?」
「そこにスズも入って、彼女の父を完全な回復にできるの?そして、二度とそうはならないようにできるの?あの子の父親はそれを望んだの?」
言い終わらないうちにズケズケと質問が重なり、スズは言葉に詰まった。水目の一言は時折重くなる。冷やかな言い方が癇に障った。
「なんだよ、役に立たないって言いたいのか?」
「冷静になった方がいいって言ってるんだよ。」
無感情な物言いに悔しくなる。多分、水目の言う「冷静になれ」は正しい。でも、今それを認めたくなかった。ここで同調してしまったら、自分も彼と同じになってしまう気がしてしまった。
「スズにだから、もう一個、言っておくよ。誰かの願いを他の誰かが叶えてはならない。単純だけど、その通りだよ。」
「でも、なにかあるかもしれないだろう?!」
「かもね。けれども、手立てがなくて、介入をしようとするのは無謀で自己満足だよ。」
「なんでそんな薄情な事、言えるんだよ。」
何処までも澄み透った水目とは対照的に、スズは肌がひりひりと焼ける感覺を憶える。これ以上は耳を塞ぎたいと折れたくなった。
「どういう意味?」
「水目の言うように確かに自身に向けてのことじゃないけどさ、家族だぜ?子が親を助けたいって思うのは誰にだってあるだろう?」
「僕は真っ向からその問いに答えたよ、その相手に同意や正解を求めるのもおかしなことじゃないかい?」
「正解のない正解かもしれない。でも、正しいって思った事をしようとして何が悪いんだよ!」
「問いには必ず答えがある。その逆も然りだよ。その正解のない正解というふざけた文言が虫唾が走るほど嫌いなんだ。あと、僕は一言も悪事だとは言っていない。」
口角は上がったままなのに、言葉から冷たい空気が放たれ、水目の周りの温度がいつもより低く伝わってくる。「嫌い」の度合いが一目瞭然だ。スズは本能的に怯み、後ろに一歩足を引いた。
「みんな、幸せっていう正解を見つける為に生きてるようなもんだろう?」
「僕は今、君と一対一で話しているつもりだよ。いつから、大衆の意見を宣えるくらい賢くなったの?」
水目はふうと短く溜息つきながら、さらに質問を重ねる。
「スズの言うのが本当なら、外部から得た刺戟を受け取る事が幸せってことになる。「正解」や「幸福」が、誰かによって既に用意されている、教わった通りにする、見つけられなかった時は、誰も教えてくれなかったと嘆く、思い通りや期待通りで無かったら怒りを吐き散らして拒否する。まるで雛鳥の口を開けて餌を待つみたいに。」
「やめろよ。」
水目の声が、頭に直接ノイズが流れるごとく響いてくる。
「無いと見つからないは別物だよ。」
制止もあっけなく、容赦なく言葉の激流が続く。
「百歩いや、そうだなぁ。百不可説不可説転譲ってその「無」が証明されたら、君がその解を新しく作ればいい。どんな、過程で選択で決定であれ、それはスズのものだよ。」
「簡単に言うな!」
吠えてしまった。
「俺は水目みたいに頭よくねぇし、器用でも強くも賢くもねぇからそんな風にすっぱり切り捨てるなんてできねぇし、お前みたいにすぐに答えがわかるかよ!」
静かな境内に少年の叫んだ。しいんとその音はあっけなく溶けていった。
「君が僕になる必要はない、当然だよ。」
少しだけ、心のどこかで同調してくれるのではないだろうかと期待した。けれども、水目はそうはならず、揺るがなかった。スズは自分との間にある深い溝を知り、裏切られたような気持に陥った。
「お前、人の心がねぇよ。」
吐き捨てて、激昂のあまり、寺を駆けだした。

「なんで、あんなこと言えるんだよアイツ!」と頭の中でずっと悶々としていた。駆け下りていく中で息が荒くなり、心臓が胸を叩くように脈打つ。すると進行方向から無数の黒い手がスズの方に這いずって伸びてきた。強風を思わせる囂々とした音が迫ってくる。禍々しさに足が凍り付いて動けなくなってしまう。終わりを覚悟して目を固く結ぶ。閉じた暗闇から声が聞こえる。
「やれやれ、危ないなぁ。」
軽口でなにやってんのさと言わんばかりの拍子で水目は自分の前に立っていた。黒い影はその背後ろからまだこちらに迫ってきている。「うし、ろ。」と言いたいのに声がでない。ぱくぱくと口が渇いて、伝えられない。なのに、水目は笑っていた。
「大丈夫、直ぐに終わるよ。」
手を広げ通せんぼしてみせる。影は水目の背から津波みたいに高く伸びる。やっと声を出せそうになり、名前を呼ぼうとすると。
「ほらね。」
言葉と同時に、黒い影はズタズタに引き裂かれてなくなっていた。
「終わったでしょ。」
変わらずニコニコしたまま腕を、降ろす。ちょっと埃を払った程度だったと言わんばかりである。本当は助けてくれた事を感謝すべきなのだろう。だが、意地になり黙って横を走って通り過ぎた。顔を見たくも、見られたくもなかった。どんな顔をしていたのか、全然わからなかった。

ーーー
これはスズが来る前の時間。

「何。」
水目は訊いた。
「人の子を一人、こちらに呼び込んでしまいました。」
水目の眉がぴくりと綺麗に上がるが、表情と声は下がっていく。
「言っている意味ちゃんと解ってるんだよね?」
冷やかな口調が桜の木には冬を思わせた。
話を出そうとする割に、言い淀むのが多いことだと、水目はふうと嘆息する。催促と受け取った桜は言葉を手繰りながら伝える。
「彼はとても素直で一生懸命な子です。貴方がこの境界となる場所に来る前、彼はこの寺をとても気に入ってました。よく来てくれました。調子のいい時も、そうでない時も。ここに来るといつも快活な面持ちで出ていきました。ただ少々、気がかりな事があったので、一度だけ彼の夢に入り込みました。」
「それで?」
「その時に垣間見た、彼の夢は無数の墨のような物体が深い暗闇に沈められていくものでした。抗ってはいましたが、無駄でした。なので」
「悪夢に飲まれかけるその子の精神をかわいそうに思って、助けてあげたんだ。入れ込んでいるんだね。いつ助けたの?」
苛立つもなく、寄り添うもなく、中立に事態を把握していく。桜の木は「ほんの先日です。」と恐縮して答える。
「そう。いいよ、受けてあげる。君はこれまでと同じ、花を散らして次の季節へ流れる。言うまでもないと思うけど、次はないからね。」
顔色が読めなくなった時の水目は無表情の人形のよう、けれどもその存在感はそれとはまるで違う別物を放つ。
「こちらの「先日」なんて、人にとってはほんの瞬く間とそう変わらないからね。」

ーーー
時は戻り。
先の感情の爆発はあまりに一方的で、冷静になって悔いた。詫びたい相手が居てくれたらと思う反面、居ないでくれたらと考えてしまう。そうすれば「自分は悪くない」とどこかで縋ってしまいたくなる。ただでさえおんぼろのお寺で雰囲気がある分、妙に意識すると足が強張ってくるのがわかる。足枷も手枷もないのになぜか前へも、後ろへも引かれていく感覚さえある。
そして、アイツはいた。ほとんど桜の木を見上げていた。その一画だけ一つの額に収まった絵画。そんな風であった。ゆっくりとこちらを向いて笑う。
「来ると思ってた。」
さらりと言ってのける、本当に腹が立つくらい清々しく。おかげで、言い出そうとした言葉がそのまま喉に押し返されたようである。向き合う形で目の前に歩み寄ってきてくれた。
「あの、さ。この前のさ。」
「うん。」
次の言葉が出てこないので、すうっと思いっきり息を吸い込む。
「この間は悪かった!!!」
力を込めて言うあまり、ほとんど叫び声になって寺に声が響いた。
「すっごい、カッとなって、なんか言われたのがなんていうか、ほんと、なんていうか、解ってもらえないみたいで厭でむかついたんだ。でもあの後、助けて貰って、なんにも言わなくて最低、だったなってさ。だから、ごめん!それから、ありがとうな!」
「この距離でそんなに叫ばなくたって、ちゃんと聞こえてるよ。」
穏やかな笑顔を浮かべて、ただ受け止めてくれる。少しだけ、気持ちが緩んだ。
「でも、水目が言ってることも、正しいってわかってたんだ。「役立たず」ってことじゃないけど、俺じゃ助けられないんだって。頭じゃわかってたんだ。でも、無力って思うのが凄く悲しくて情けなくて、それと向き合うのもできなくて、目を背けたくて。八つ当たり、したんだ。「心がない」なんてひどい事言って、ごめん。」
深々と頭を下げる。水目はその誠実さはきっとかれの宝になるだろうと思いながら、目を細めた。
「そう。それで、君はどうすべきか、答えは出た?」
「多分。俺は、ちゃんと生きるよ。自分の中に幸せを創ってみせる。嬉しいも楽しいも、悲しいも苦しいの気持ちも考えて決めたって想うことも全部、俺自身が大事にする。」
スズは清々しい表情をして、水目に宣言した。
「やっぱり、きみはばかに素直だね。ちゃんと自分で「答え」を出した。君は君のままだし、その選択も君のものだ。」
水目は桜を背に、スズに満足そうな笑顔を浮かべる。
「おう!」
晴れ晴れとした面持ちで、元気よく返事をする。
「だから。これで、さよならだよ。」
「え?」
「ばいばい、スズ。」
パチンと左手で鳴らした。
「—————――。」
「み、」
水目と名前を言おうとした瞬間、スズの視界が暗転した。唐突に景色が目に飛び込んでくる。何かを伝えていたが、口の動きだけで何一つ聞き取れなかった。
「え?あれ?」
辺りをきょろきょろと見まわす。
「俺、なにして?」
覚醒しつつある意識から自分を認識する。町に自分が立っている。人の声が飛び交っている。何をしていたんだっけと考え込んでしまう。
「おーい、錫。遅れるぞ!!」と遠くで仲間が自分を呼ぶ声がする。今行く!とその声に応じて駆け出す。自分の世界に吸い込まれていく。失くしたことも無かったように。
今日も終わったら、あの場所に行こう。

ーーーー
場所は変わり、水目たちの居る世界。強いていうなれば、本来の空間。桜の木は、変わらず一輪だけ花を咲かせている。満開の桜はいわば、切り取られた空間であり、人とも妖怪とも違う時間。均衡を乱さない、中立を守る役目。
本来、水目の姿は誰にもみえない。なりふり構わず父の病気を遠ざけたいと嘆願して通り過ぎて行ったあの女性は、水目からすれば平常の事なのである。あの場でスズと女性が実は話すことのできない位置にあると明るみになれば、均衡が崩れて彼を元の場所に還すのが困難になったリスクもあった。区切られた空間が自分たちから見れば、満開の桜であっても、人の世からすれば既に夏が始まろうとしている季節に差し掛かっている。流れている何もかもが異なる。その中で人間がたった一人で、魂と体が乖離したまま、居るのに誰にも識別されない瞬間をずっと身に受ける。本来の人が堪えられる寿命の事よりもずっと永い話なのである。
「水目、すま」
「謝罪なら不要だよ。」
怒る、悲しむ様子もなく言い切る。
「君から依頼されて、僕は彼を帰すと決めた時、此処から居なくなる結末なんて分かりきっていた話だよ。」
「相変わらす、揺らがないですね。」
「うーん、そうでもないかな。僕が彼を少なからず気に入ったのは、ちょっと誤算だった。助けてあげたくなるの、一ミリだけ理解したよ。」
おどけて笑みを浮かべたまま居なくなった方を見つめる。
「気に入ったからこそ彼は彼の世界で、彼がちゃんと生きる事を願ったんだ。ここに居たらそれが止まっているも同然だからね。記憶が初めからない事になっても。現れた瞬間に帰すのも可能だった。けれども、元を絶ってからでないと、彼は何度も此処に戻ってきてしまうだろうから。それじゃ無意味だからね。」
「貴方の方がよほど本当の意味で人らしいですね。誰より長生きの妖怪なのに。」
「生きてきた長短は些末なことだよ。大事なのはこれまで何を経験しどう活かしてどう流すかだよ。」
「貴方が言うと誰も耳にしたくない本になりそうですね。」
「言ってなよ。」
子憎たらしく舌を出して挑発をする。桜は、この妖怪相手にできるのが自分でよかったと何度目か思った。
「水目、貴方は淋しくはないのですか。」
「それを訊くってさ、もしかしてこの短時間で老木にでもなったの?」
絶好調の口の回りである。その口調に悪意のないのが、桜は枝が擡げるような心地を覚えた。
「今回は特別仕方ないから答えてあげる。「淋しくない」だ。君の見ている景色と僕のは違う、全て分かり合えるなんて思っていないよ。付け加えるなら、かりに淋しかろう、選択は変わらない。それだけ。彼が居なくても、会った、経験を刻んだ、そして記憶されて今の僕の一部になっている、だから大丈夫。」
堂々とした出で立ちで桜に答える。
「さあ、君も僕との誓約は守って、さっさといなくなってよ。」
そういうと、僅かに風に揺られて、桜はただの木となり最後の花が散った。声は消え、寺には水目だけになった。穏やかに風の流れる音だけが寺を包む。夏がこれから訪れる。

「To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour

所詮は一粒の砂。」

此処にくることは決してないだろう。ただ、もし、もしも、戻ってくることがあれば、次はきっと二度と逃がしてあげられない。だから、どうかきみは「幸せになって」。変わらず笑みを浮かべて、小さく零した。

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ここまで、お付き合いいただき、ありがとうございます。
初めて、通しで物語というものを書いてみました。普段、投稿し扱っているものとは全く手ごたえが違って、ここまで書き切っておいて難ですが不安です。いくらかに自分が実際経験した内容も混ぜていますが、正直に言って果たしてこれでよかったんだろうかという気持ちが凄まじいです。
文章をなぞって頂くだけでも、伏せた言葉のセリフや感情を考えて頂いたりしてご自身の浮かび上がった言葉を大事にしてもらえたら嬉しいです。私の記事をよく読んでくださっている読者様は「違う所で、これみたな」って頭を掠められるものがいくつかあるかもしれません。よく読んでくださる読者の方はこの「呪い」と「祝ぎ」がなんなのか直ぐにお分かりになるかもしれませんね。

このお話の続きはありません。


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