見出し画像

「記憶」について

こんにちは。
早速ですが、皆さんは「記憶力」いかがでしょうか?唐突で失礼しました。
私は、物事によって極端に細かかったり、逆にそんなことあったっけというレベルで覚えている差が激しいです。たまに、仕事でもやってしまう事があります。よくはないんだろうけど、頭だけに任せてしまうとどうしても偏りがでてしまいますね。
人間だから、そんなもんよという意見があれば、それも然りなのもそうだと思います。ただ、これでいいかもしくはこうした方がいいかと選ぶのはまた別になりますね。全部じゃなくても必要の最低限は馴染ませられたらいいなと思う今日この頃なのでした。

自分の体験、経験したことを憶えておくのはそんなにいやではありません。いい事も悪い事も、新しい発見になるからです。特に悪い事の時は、あれは本当に良かったんだろうかと事によって悶絶することがあるのが玉に瑕です。会話が上手な方ではないので、良かったんかなって一人の自省録会します。上手くいかなかったとき、苦しかったり落ち込んだり勿論します。ただそれで、自分の何もかもがだめと思わずに、落ち込みながらも部分でこれがだめだったな、とまず一時停止するように心掛けるようになりました。最近ですが。
後は、どう行動するのがよかったんかなと色々思い返しては、散歩に出て歩いているうちにマインドリセットされて、「起こったことは取り返せないからなぁ、まずは私の軸を取り戻そう」とぶれの修正から考えるようになりました。

旅行のこと、本の内容やそこから導き出した自分の解、誰かと話をしたこと、何かを戴いたこと、などなど頭の中に蓄積されます。ただ、覚えておきたい事でさえ、たまに思いっきり忘れてしまうこともあります。我ながら情けないことではあります。なので、忘れたくない事はなるべくノート、ここ(note)もそうですが、紙のものにも書き纏めておくようになりました。自分しか見ないし、書き方は誰にも決められていないから自分で決められるし、字が雑でも気になりません。なるべくは綺麗に書きたい願望もあるので、自分で言ってて地味に悲しくもなります。

文字に出して書くと不思議ですね。その日のうちにでもある程度、記録しておいて、読み返すとだいたいどんなことがあったなと、引き出しから引っ張り出されるように思い出せます。日が空いても、続きが書けたりします。手品でもあるような、耳からハンカチの端と端が結ばれて、さらさらと何枚もでてくる、あんな感じです。手紙も似ているかもしれません。だから、自分の事を書き残す日記やログというのは、忘却の予防とされるのかもですね。もうひとつの不思議はそれで気持ちがフラットになることです。

仕事でよく耳にする「メモして」というのは言葉通りにすれば、本当に書くだけで終わってしまいます。けれども、大事なのは「これをあなたの頭の中に記憶しておいて、疑似でも経験として蓄積させて活かしてね」という伝えた側への意識に留めておいてほしいということなのかなという気がします。省略した文章の中身を解くのは難しいですね。体で覚えるから書かないなんていう事も聞きますが、形は真似できてもその意図をそれで一回で理解して次で出来るなんて例はかなり相当に稀なタイプだと思います。

文字を書いて、読むとこんな事実があったなと一緒にこういう気持ちだったなと感覚や感情が一緒に湧きあ上がってくるの、面白いですね。先ほどのハンカチに音や景色が浮き出てくる、触ると頭の中で再現するレコード盤になっていくみたいです。
純粋な事実、それを基に今はどう感じ受け止めているのか、受け止めてどうあろうとするのかが大切な次の過程なのかなと思われます。美化したり逆に押し込めて封印したりするとそれは今でいう鬱やメンヘラ(使い方あってるか怪しいですが)であったり、私悪くない権化になってしまったりしてしまう気がします。
文字から頂いた嬉しさや活力、懐かしさ、などのありがたい気持ちを受け取れたり、中にはもう関わり合いにならない事実に少々空虚さのあるものもあったりします。それも合わせてちょっとは受け止め方で成長できているのかなと期待したいです。どうかな、できてるかな成長。

この記憶について書こうと思ったきっかけは2点あります。
1点は覚えておきたいから。ちょくちょく自分で書き留めていくうちにふと「文字って書いていくとなんだかわからないけど、その時の事想い出されるなー」となんとはなしに浮かびました。その時はまだnoteに書こうとまでは思っていませんでした。ただ、思い浮かべていただけでした。

2点は「エメの鉛筆」のピアノアレンジを聴いたから、またタイトルの「鉛筆」に考えさせられたから、かなという気がします。
こちらは清水コウさんの2ndミニアルバムに収録されています。オリジナルも勿論ですし、アレンジも素晴らしいです。強弱の表現で言葉や基とは違う一面が浮かんでくるように感じました。オリジナルはテンポが速くで、軽やかだけど女の子がどこか拗ねているようだったのに対して、ピアノはその真逆で一人でぽつり泣いているのから心境の変化がそのまま音に乗っているようでした。

関連になるかなと思った歌詞の一部、少しだけご紹介させていただきす。オリジナル楽曲はアルバム「電脳感染」に収載されています。この電脳感染もエメに引っ張られて明確になったかもしれないので、実質3点かもしれない。

私しか書けない愛のメッセージ
通せんぼ見えない壁はもう無くなったことにしたんだ 
(私は描きたいことを描く。ばいばいお母さん。)

君だけが読める愛のメッセージ
忘れないよ泣いてばっか教科書通りなんかは
いかない 知らないことだらけだからさ 
(絵はずっと生きてるのに、)

ちなみに動画でも視聴できます。全体の愛らしさも爆発です。気になった方はぜひ、ご覧になってみてください。エメ(発音Eme)はフランス語表記だとAimer、意味は「愛する」になります。歌詞出ではないとこにメッセージ隠れていたようで面白いってなりました。

映像は「絵を描く」少女の物語になっています。勘の冴えている方は違和感、というか「おやあ?」ってなったかもしれません。
「鉛筆」というと絵や字を表現する道具として使用されます。これだ!って思いました。その中で、絵は「描く」「(線を)引く」「(色を)塗る」という動作を表わす言葉がよく用いられます。ですが、この歌詞では「書く」と「読む」という言葉が繰り返されています。絵に纏わる言葉から少しずらされているようです。「書く」「読む」は強いて挙げると文字や文章、原稿、本のように字に対して、使われる方が馴染みがあります。歌詞は書き手の私には読み手の君、記憶に残ってほしい事柄がある、その逆に読み手の私は書き手の言葉をこうして受け取ったよと、その心はこうなんだねというやりとりをする手紙に似ている気がします。

このシリーズの終曲「電脳感染」ではデータ=記憶ではない、「病む心と戦う力をくれるのが、大切な記憶なんだろう。」というメッセージが綴られています。この中で記憶に触れうる文字が「お兄ちゃん」と「メア」という兄妹を表わす関係性とこれまでなんだろうなというように感じられます。大事であった深さが沁み込んでくるような温かさが溢れているみたいです。他が他を想うときにも何かの一言を渡しています。
ここの記憶とデータという言葉から、データが記憶を引っ張り出すものであって、データそのものは写真とかそういう「物」そのものでそれ自体はただあるだけかなというのが正直な所感です。そのデータから記憶は自分だったらどういう風に引き出されるかなと思ったときに、私にとっての媒体は「文字」や「言葉」「声」からが比較的身近なほうかなという気がしました。
読んでくださる方の中には、もっと物質的な物からという人もいるかもしれません。それは、その人によるからなんでもいいと思っています。たまたま私は文字を目にしている事が長かった、こうなんだと思います。こうして「これを書いてみたい」となるきっかけをくれたこちらの音楽があったおかげでこうnoteに記録できてるんだと思います。書いてもいいと許可をくださったコウさん、物語を創ってくださったCharis Recordさんに感謝です。ありがとうございます。

そして、ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。
読んでくださった貴方の大切な記憶を思い浮かべられるきっかけとなれたら嬉しく思います。経験は良い事も悪い事も、忘れる事はあっても、あったものがなかったことになる喪失する事はないと考えています。その中で今一番の大事が想いだされたり、それが次に進む活力となるように願っております。
ただし、鬱やPTSDなどを引き起こしてしまうような強烈な記憶は暫く眠らせて置きましょう、強制的にでも。いつか、もう大丈夫って胸を張れるようになったら、その時に対峙して消化していけることを願っています。

この記事書きながら、そういえば自分でこれまで「素敵」って言葉を何かと多用していたと思うので、今年は極力制限して書くように心掛けてみようと思います。
良ければ、これからの記事はそちらを記憶して読んでいただければ幸いです。

最後に読んでくださった皆さんに質問させていただきます。
貴方はその記憶は大事ですか?
貴方はその記憶の時の自分は大事ですか?
貴方はその記憶が起こった時の時間と今の時間は大事ですか?

全部イエスとお答えの方は、素晴らしいことです。これからもそのまま超人になって活きましょう。一つでもノー或いはグレーだと思われたら、どうかご自愛を大切にしてください。
あれは良かったから好き、あれは悪かったから嫌い、ではなく自分の全部をまとめて受け入れられるともう文句なしに無敵だと思います。

私はよく手紙で「ご自愛ください」と使います。それは健康や活力もそうですが、もっと根本的に「私は貴方が大事です。貴方が貴方を知って、貴方自身を大事にしてよりよい変化が起こるように愛する事ができるように願っています」をぐわしぃっと纏めた言葉だと思っているからです。さっきの「メモして」に近いかもしれません。
分からない時はAIや質問でこの質問をコピペしてみたら、ヒントをくれると思います。

私もそうあれるように日々を記憶していけたらと想います。

それでは、読者皆さんこれからもどうか「ご自愛ください」。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?