不満

ふざけている、とまでは言わない。言わないが、やはり全体主義は個人のすぐ側にあるのだとは思った。こんな理屈がまかり通る社会ではやはり駄目だろう。仲間の臨夏さん等は革命だ革命だと常日頃言うが、今日ばかりは私も革命だ革命だと叫びたい気分である。

敢えて強い言葉を使って表現をするが、今日私は弾圧を受けた。一ヶ月の短期労働の初出勤日で、弾圧を受けた。弾圧の対象は服装である。何時もと変わらず甚平を来て出勤をした所、その甚平が駄目だから別の服を着て来てくれと言われたのである。何食わぬ顔をして着て来て言うのもなんだが、その様な指摘を受ける可能性はあると思っていた。しかし本当に指摘されたのだから驚きである。こんな指摘は指摘と表現しては不適切で、弾圧である。個人否定、全体主義、不当な扱い、もっと言えば差別である。だから流石にそんな弾圧はされんだろうと思っていた。その予想が外れた。

理屈としては、「みんな同じ様な服装をして欲しい」との事。私は面倒事が嫌いなので、「一回だけゴネさせて下さい」と断り、一回だけゴネるに主張を留めた。何なら日本の伝統的な作業着である作務衣すらよろしくないらしい。私は作務衣か甚平しか着物を持っていないので、取り急ぎ安いTシャツか何かを買わなくてはならなくなった。この分の出費は賃金として補填してくれないかしらん。

しかしまあ、今回私はその職場の課長から優しくその様な指摘をされた訳だが、その課長は私の糾弾対象ではない。寧ろ課長は課長で苦しみを持った上での指摘だっただろう(そうであると信じたいが)。何せ、やっている事がやっている事である。個人弾圧である。まともな個人と個人の付き合いの中で、その様な弾圧が生じる筈が無い。経営者と中間管理職と労働者と云う関係性を予め規定されている以上、仮に良心に反していたとしても、中間管理職と云う立場としては言わねばならぬ事の一つや二つはあるはずだ。それを言わなければ、今度はその中間管理職たる課長が不当な扱いを受けるのだから、課長としてはやむを得ない。何度でも言うが、私の糾弾対象はその課長ではない。課長に非道をさせた何かである。ひょっとしたら経営者かもしれないし、社会の風潮かもしれない。私が糾弾したいのはそのXである。

その弾圧事件の他は何一つ問題無く作業は進んで、かつ職場の仲間とも上手くやって行けそうな予感がしただけに、カンカンに煮え滾る様な怒りはあまり湧いて来ず、逆にどうもやりずらい。何ならその課長も私は何年も前から知っている人物で、親切な方である事を知っている。故にこうやってつらつらと日記に不満を書き連ねるぐらいしか不満の発散方法が無いのである。全く、逸民とは立場の弱いものである。逸民と云う単語を、ニートと云う単語に変えても良いだろう。はたまた、プロレタリアと置き換えても良いだろう。真、逸れ者には社会は辛いものである。

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