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母との30年

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2023年5月の記事一覧

この場所があってよかった〜後書き

母は、ただ、私の帰省を楽しみにしていた、ただそれだけだったんじゃないかと、書いていて思った。

それを母からの呪縛のように感じて、勝手に重く背負ってシンドイと思い込んでいたのは、私が作り出した幻想なんじゃないかと思った。

そう思うと、母に申し訳なく、なんだかいろんなことを、母や母の病気のせいにしていたのかもしれない。

母に頼られてるようで気が重かったと思っていたけど、私も母に充分甘えていたのか

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この場所があってよかった 

この場所があってよかった 

私は、1、2ヶ月に一度、実家に帰省していた。

実家から一人暮らしの部屋に帰った時に、よく思っていたことがある。

そして、この日は特に、強くそう思った日だった。

ある日の帰省した時のこと。

母の調子がよくなくて、症状が強く出ている時だった。

私が実家から帰る時に、母が、
「もう向こうに帰らなくていい!ここに居たらいい!」と怒り始めたことがあった。

症状が強く、妄想的になっているから、特に

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こんな夜更けに、、

こんな夜更けに、、

母からは、よく電話はかかってきていた。

就職して、母の症状が悪化してきてからは特に、よく電話で喧嘩していた。

というのも、だいたい正常ではない母が、激高した状態で電話をしてきて、電話口で私への文句をガンガンに言ってくる。

私も、なんでそんなこと言うのよ!と、こちらもガンガンに怒って文句ぶつけて、ボロボロに泣きながら、最後はもうヘトヘトに疲れ果てて切って終わるという感じだった。

どれくらいの

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その後の母の症状、私の将来。

その後の母の症状、私の将来。

この出来事から半年後か一年後だったか、母は通っていた遠方の病院に入院した。
お見舞いに行ったのを覚えている。きれいな病院で、2人部屋だった。

入院中というのもあり、症状も落ち着いていて、普通に話せた。「来てくれて、ありがとう」と言ってくれた。
相部屋の方や他の患者さんとも、それなりに仲良くしていたようだった。 

この辺りからだろうか、入院が増えていったように思う。
それまでの3〜4年に1度が、

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そんなことで泣いていてはダメですよ 後編

そんなことで泣いていてはダメですよ 後編

そんなこんなで診察が終わって、帰りにデパートなどに寄ったりして、母は機嫌がよかったと思う。  

私は、どうだっただろう。
だいぶ泣いたし、かなりダメージはあったんじゃないかと思う。

なのに母は、割と機嫌よく食事や買い物などをしていた気がする。

別に機嫌がいいならその方がまだマシだけど。。

でも、さっき、娘が医者にケチョンケチョンに言われまくってるのを黙って何にも言わなかった母には、やっぱり

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そんなことで泣いていてはダメですよ 前編

そんなことで泣いていてはダメですよ 前編

このフレーズ↑

これ、私、人生で2回、言われたことがある。

しかも初対面の人に。

2回もな。。

まぁなかなか、初対面で言われる言葉じゃないよね。

これから書くのは、その1回目のお話。

母の調子がなかなか良くならないのもあり、私はあることを考えていた。

というのは、ある著名人の方が鬱病持ちの方で、その方の主治医の先生が名出ししていたのを見て、私は、この先生なら、母の病気を治してくれるん

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母の変化、再発。

母の変化、再発。

短大卒業後、私は帰郷せず、その地で就職した。

就職氷河期の底みたいな時で、就職は難しかったけれど、学生の時からアルバイトをしていたところに就職することになったので、それほど大変ではなかった。

しかし、短大卒業後辺りから、母の調子は、さらに大きく崩れていく。

母も40代後半になってきて、更年期などで心身に影響が出てきていたようだった。(これは母本人や叔母たちからもそう聞いていた)

そして、幻

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自分の性格 また補足

自分の性格 また補足

心理学的なものが好き、と前回書きましたが、
そのきっかけになった出来事がある。

小2の時、私はよく男子にちょっかいを出される(いわゆるスカート捲りとかしょうもない意地悪される的な)ことが多かったのだけど、これを見て、その時に仲良くしてた友達が言ったことが衝撃だった。

「好きだから意地悪する」

え?そんなことあるの?

今ですらそんなこと当たり前の概念だけど、小2にとっては、とても衝撃的な考え

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親元を離れての生活

親元を離れての生活

親元の離れての生活は、私にとって、とても有意義なものだった。 

寮生活ではあったが、都会に住むというのは、とても刺激的だったのだ。

門限ギリギリまで、街を散策した。
初めの頃は、1人でただひたすら街を歩いていた。

CD屋、服屋、中古レコード屋、古着屋、クセのある雑貨屋、ライブハウスとか大きな手芸店とか、田舎にはないものが全てここにはある。 

特に、音楽やファッションには興味があったので、好

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私の進学

私の進学

高校卒業後、私は県外の短大に進学することになった。

実は、当初は親元を離れての進学は、全く考えてはいなくて、家から通える短大に行くつもりだった。

しかし、推薦入試で、通える学校は落ちて、通えるか微妙な距離の学校だけが受かった。

通えるか微妙な距離だったけど、寮があったので、寮に入ればいい、というような理由もあって、そこを受験したと思う。

でも、多分、そこしか受からないことになるとは思ってい

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3回目の症状から、その後

3回目の症状から、その後

私が高校生になって、母の症状は以前と変化してきていた。

今までは、何年かごとに発症し、入退院して一時的に治って帰ってくるというものだった。

なので、発症してない時は普通の状態なので、そこまで深刻な状態でもなかったのかと思う。

しかし、3回目の発症の2年後くらいから、徐々に慢性化してきた。

というのは、今までのよう大きな症状が出ない代わりに、小さめの症状が短い間隔で何度か出始めた。

それま

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自分の性格 補足

自分の性格 補足

なんだか、結局、何が言いたいのかよくわからない文章だったので、補足しました🙏

昔は、考えやすい、深掘りしやすい性格をネガティブな方向へ使うことが多かったけど、
今は、それを前向きな方に使えてきているように思うので、ポジティブな方向につかっていきたいと思った、ということです。

と、言いながら、深掘りしても、それをまだ上手く文章化できないところもあり、訓練していきたいと思います🙏