見出し画像

子どものやりたいようにやらせればいい、はホント?

ある方のフェイスブックの投稿から。
ーーーーーーーーーーー
ほめて伸ばすやら個性の尊重やら、
やりたいことをやらせるやら。
そういうものが流行ってたり、
いい教育だなという印象があったりする。
そういうタイトルの本もよく目にする。

子どもが「やりたくない」「できないからいやだ」と言えば、
丁寧に問いかけたりじっくり待ったりして、やりたくないことではなく、
子どもが「やりたいこと」「できること」をやれるようにしたりする。
子どもの「やりたい」を最優先する。

・・・これってもちろんいい面もあるだろうけど、
よくない面もあるんじゃないか。
我慢強さや忍耐、反骨心というものが身に付かないのではないか。
「本当にやりたいこと」に取り組むためには、「やりたくないこと」「気が進まないこと」にも取り組む必要があるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

これは難しいところですよね。
赤ちゃんの発達で考えてみましょう。

まずは、ほめるよりも、できたことに心からすばらしいと驚き、一緒に喜ぶことが基本です。赤ちゃんは発達のスピードが速いので、大人は自然に驚くことができます。わざわざほめなくても、自然に「すご~い」となります。

(ですので、子どもたちが大きくなったときにも、子どもたちを日々観察していて、新しくできるようになったことに自然に驚いて、成長を喜ぶことができる感性というか、そういう力が大人に必要です)

その上で、
0-1歳過ぎまでは、欲求の充足が第一です。
安心を得た上で、自分がこれから生きる世界を理解したいという欲求(生き延びるために必要な好奇心)が満たされることで学びが進みます。
まだ自力で生きる術を持たないので、庇護されていることが前提です。
ケアギバーが行動制限します。できないことだらけですが、やりたいように(でも安全に)やらせてもらえること、がこの時期の発達を促します。

一方、1歳半を超えると、いろいろとできることが増えるので、
完全な庇護から離れ始めます。
自分の未熟な思考(少ないことばや経験をつなぎあわせて作る)で考えてみた仮定と
既存の社会から求められる要請とに折り合いをつけることを覚えなければなりません。
2歳過ぎにもなると、イヤ!と言ってみることで、大人の限界、社会のルールを見極めながら、自分が安全に動ける範囲を探り始めます。

たとえば、熱い鍋に触ってみたい。でも大人はダメだというとき
抱っこしてほしいのにしてもらえないときなど、

やりたいのにやらせてもらえないのには、
親の機嫌や体調も含めて、必ずしも
赤ちゃんから見て、あるいは、一般的にも、合理的とは限らないけれど
「(自分を育ててくれている)大人が考える」理由があるわけです。

この社会で生きていくためには、
自分が生活している空間の安全基準(親が怒る=安心して庇護が受けられなくなる、も含めて)を理解して行動が選択できるようにならなければならないのです。

その辺りの発達の機序がわかっていないと、
「ほめればいい、やりたいようにやらせればいい」になりがち
です。

大人が頭でっかちに、「やりたいようにやらせなければ」とか、これがこの子の主体性だ、大切だ、とか思いこんで、無理をして、勝手にやらせていると、いつか大人に限界が来ます。周囲の社会が認めなくなります。

ただ、このときに、

<我慢強さや忍耐、反骨心というものが身に付かないのではないか。
「本当にやりたいこと」に取り組むためには、「やりたくないこと」「気が進まないこと」にも取り組む必要があるだろう。>

というのも、ちょっとよく考える必要があって、

子どもが自分自身で「ここは我慢しよう、忍耐しよう」「やりたくないけれど、気が進まないけれど、やろう」と思えるように育つことが大事で、

無理やり大人が我慢させての「我慢させられる」「やらされる」体験が積み重なると、
自分で行動を判断したり、自分の行動に責任を持ったりできなくなって、
 上官の言うことを聞く歩兵、
 大人のご機嫌をうかがい、忖度する子ども
になっていきます。

一方で、我慢しない、忖度しない子どもは、「反骨心」があることになりますが、
それが「反骨心」と肯定的に評価できるものになるのは、もう少し大きくなって、大人と対等にやり取りできる力がついてからです。
それまではただの「反抗」と捉えられて、抑え込まれて、自分の無力さに打ちひしがれて終わる可能性が高くなります。

つまり、相手の発達段階によって、あるいは状況によって、大人の「よりよい」対応は変わってくるのです。
自分がよりよい対応で育てられた人は、それが自然にできるでしょうが、
そうでなかった人(が、95%でしょう)が、いつも良い対応を気にして、「子どものために」と考え続けるのは疲れますし、不自然ですので、

そうはできなくても、頭の中で、どうするといいか、は
知識として知っているといいのではないかなと思います。

少なくとも「我慢させる」のがいいとか、「子どもの言うことをそのまま聞く」のがいいとか、思わないことが大切です。

確かに最近、ほめられてばかり、やりたい放題で、「過保護でわがまま」に育てられた子どもが目立ってきていると聞きます。親は、それが「主体性があっていい」と信じているので、そうでない対応をする大人からすれば「モンスターペアレント」になってしまうわけです。それも困りものですね。

と、いうわけで、子育てを一人でやるのは難しいものです。責任負えません(笑)
だから、いろんな大人がいて、子どもがその様子を見ながら自分で判断して、選んで、決めて行ける状態をつくることが、ウィンウィンな方法となりますね。

※ 写真は、映画「崖の上のポニョ」の舞台となった広島県福山市鞆の浦の元保育園で、今は学童になっている「さくらんぼ」から、夏、子どもたちが柵を超えて飛び込む海の風景(2023年11月30日撮影)を、柵のところで撮っったもの。

#子育て #教育 #我慢強さ #忍耐力 #ほめる #反骨心 #社会的マルトリートメント #一般社団法人ジェイス #わがまま #個性の尊重 #主体性 #好奇心 #しつけ #発達 #親 #子ども


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?