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赤ちゃんと赤ちゃんがこっつんこ

子育てのひろばというようなところに行くと、数人赤ちゃんがいて、ハイハイやよちよち歩きくらいの赤ちゃんたちが、いつもは出会わない赤ちゃんに興味を持って近づこうとする場面によく出くわします。

そういう時に、しばしば次に目にするのが、親が、別の赤ちゃんに近づこうとする赤ちゃんを引き留める(後ろからグイっと引っ張って近づかないようにする)動作です。

赤ちゃんが、せっかく興味関心・好奇心をもって、主体的に他の赤ちゃんに近づき、コミュニケーションを始めようとしているのに、自分の子どもが他の子どもを叩いてしまわないか、ぶつかって倒したりして泣かせないか、引っ搔かないか・・・そうして相手の親に嫌がられないか・・・を気にして、好奇心、主体性、自律性を阻害してしまうのです。

多くの場合、赤ちゃんは、一回や二回そうされても繰り返し頑張って近づこうとするのですが、親がその都度引き離すので、10回から20回もそうすると、あきらめて、一人で、近くに置いてあるおもちゃに向かって遊ぶようになります。
乳児の時点で「あきらめ」を覚えさせられるとても残念な場面です。

赤ちゃんは赤ちゃん同士で交流したいのです。関係性を作りたいのです。大人とは違う存在とつきあってみたいのです。

体格や身体機能が同じくらいの子同士の出会いであれば、あまり危険なことは起きないでしょう。おずおずと様子を見て近づいて、距離を測るでしょう。

でも、月齢差や発達の差が大きいときは、強い子が優勢になって、力加減ができないので、小さい子、弱い子を押しのけることがあるかもしれません。
そのときは、大人たちが、倒されたときに周りに危険なものがないようにするとか、柔らかい敷物の上で出会うようにするとか、そういう工夫をする必要があるでしょう。そうでないときは、理不尽に思えることやびっくりするようなことも大事な経験として見守ることが時には必要です。

また、何らかの理由で、小さい子をやっつけたい思いが強い子がいるとしたら、むしろ、強い子よりもずっと年上の子を組み合わせると、年上の子が配慮してくれて、うまく行く場合があります。

かつては兄姉や近所の慣れた子どもが、しばしば下の子をうまく扱ってくれたり、ときには理不尽なことを体験させたりする役割を果たしてきたのですが、今は兄姉がいないので、赤ちゃんは経験不足のまま大きくなります。

そして、実は、昨今、一番理不尽なのは、好奇心を持っている赤ちゃんからその好奇心を奪う(理不尽なことをしないはずの)「よい親」による「興味ある存在」からの無理やりの引き離し、引きはがしです。

(良かれと思ってしていることが、子どもの立場で言うと、理不尽な場合がしばしばあります。たとえば、ご飯を子どもの食べたいペースではなく、大人のペースでスプーンで食べさせてしまうとか・・・)。

子どもを他の子からさっと引き離す親は、可能な場合は、その場から子どもを連れ去るので、親同士が仲良くなるのも難しいです。親自身が、コミュニケーションが苦手なのかもしれませんね。

私の立場上、声を掛けられるときは声をかけるのですが、必ずしもそうできないとき、見ているしかありません。

あるとき、同月齢の子が、お互いに近づきたがっているのに、親が引き離しを一生懸命にしている場面に出会って、思い余って、どうしたものかと、近くにいた人にそっと話しかけたところ、

「その子にとって、近くにいる子どもはおもちゃのように興味深いものかもしれませんが、人間はおもちゃではありませんから」
「今のお母さんたちの行動規範なんです。それを見守って下さい」
と言われました。一理あるのですが、なかなか難しいなあと思いました。

親たちにとっては、今はそれでいいのかもしれませんが、後々、子どもが何ごとにも好奇心を持たなくなって、無気力無関心に苦労なさる可能性が高まることが私には危惧されます。家族(今どきは親のみ)とのコミュニケーション以外のさまざまなコミュニケーションのバリエーションを学ぶ機会を逸してしまうのではないでしょうか。赤ちゃんの発達にとっては大きなマイナスです。

子育て初心者の親に、赤ちゃんが他の赤ちゃんに近づこうとすることの発達上の意味とそれを阻害することの意味を伝え、危険のない範囲で、赤ちゃん同士が(たとえちょっと泣いてしまうようなことがあるとしても)交流することを促すことがとても大切であるということに気づいてもらうように働きかけることが、その場にいる先輩の行動として求められるのだと思うのですが、なかなかそうはいかないのが、今どきの子育て事情のようです。

一方の親が、心の中でそう思っていても、もう一方がそれを理解できない場合には、トラブルになりかねないし、非常識な親と思われたくないと必死な親たちの気持ちもひしひしと伝わってきます。

親子が繰り返し出会う場面だったり、地元に根付いた居場所であれば、次第に親も育って、第二子、第三子を育てている親も混じったりして、子育てのあり方が見えてくるのだと思いますが、お出かけしていくような一回きりの場所であると、なおさら気づいてもらうのは難しくなります。

そこにいる子育て支援者が、「ちょっと見守ってみましょうか。素晴らしい好奇心ですね」「ちょっとぶつかる位は互いの発達の段階で起きることですよ。危険がないように工夫して見ていましょうね」と、個別に、あるいは全体に伝える機会を作ることができればいいと思うのですが、今は、社会全体の変化からでしょうか、それができない支援者や居場所も少なくないように思います。

子育ての支援は簡単ではない、というのはそういうことなのです。

子育てにおいては、何も起きないことがいいことではなくて、何か小さなトラブルが起きて、そこに対応できることが大切です。

でも、少しでも失敗したりぶつかったりすることはいけないことと学んで育ってきた今どきの親たちに、そうなることに心から感情的にも納得してもらうには、注意する相手への信頼が必要です。

人間への基本的信頼、は赤ちゃんの頃に身につけ、育まれていくものですが、もしかしたらまず、親たちに「基本的信頼感」を身につけていただくところから始めないといけないのかもしれません。

なにかあったら責任を問われることも多い、難しい時代になりました。
でも、健やかに赤ちゃんたちが育っていくようにするにはどうしたらいいか、大人たちが「あきらめずに」考え、繰り返し工夫を凝らしていく必要がありますね。がんばりましょう!!

※ 撮影 室伏淳史氏 2022 2/20 土肥

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