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日本社会の「妬み」の渦とどう向き合うか

先日読んだ本『コロナ禍貧困の記録』

この本は、コロナ禍で貧困にあえぐ人たちが、生活保護を申請したり、ホームレスになったりと、生死ギリギリのところで必死に生きようとする人たちを追いかけたルポ。

なぜこの本を手に取ろうかと思ったかというと、コロナの時代になり、生活困窮だけでなく、コロナ禍で見える人々の「心の闇」みたいなものが、物凄く気がかりだったので。

なんかこう、人々が他人のことに敏感になり過ぎているというか、自分が満たされないあまりに、他人を攻撃する人がSNS等で増えているような。肌感でそんな気がしていたから。

コロナで生活困窮したのは、以前からギリギリの生活をしていた日雇い労働者、パート掛け持ちのシングルマザーだけではない。今まで安定した収入があった持ち家世帯も、困窮している。

「家のローンが払えない」という相談も支援団体へ多く寄せられているという。つまり、生活に苦しむ層は拡大しているのが、コロナ禍の現実。持ち家がある人は、生活保護対象から外れてしまうので、ひたすら仕事を変えたり掛け持ちしたりと、ずっと懸命に働き続けなければならない。

生活保護が申請できる人、そうでない人。苦しんでいるのはどちらも同じ。

この本の中で、私がとても印象に残っているのは、今までわかりやすい弱者性のない「マジョリティ」層にいた(持ち家が買える層にいた)人たちの”嫉妬”じみた感情が爆発寸前になっている、という話だ。

振り返れば、00年代前半には「公務員バッシング」があり、10年代には「生活保護バッシング」があった。バブルの頃は、誰も公務員など羨ましがらなかったのに、格差貧困が拡大すると「安定・高収入」と非難されるようになり、また人々の暮らしが地盤沈下していくと、生活保護を受けている人がバッシングの対象となった。そして、この数年広がっているのは「障害者ヘイト」だ。
障害者だけでなく、公的な支援の対象となるものに「特権だ」と言いがかりをつける人がいる。障害者が「守られているように見える」のは、おそらく障害も病名もない人たちが、「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は、野垂れ死にてことで」と言う、無理ゲーをこの20年以上強いられているからだろう。本当は苦しいけれど弱音を吐いた瞬間に落伍者とみなされてしまう。だから、弱者が守られているのが許せない。おそらくそんな気分の同一線上に、ベビーカーで電車に乗る人を執拗に非難する「子連れヘイト」があり、駅など女性だけを狙ってぶつかってくる「わざとぶつかる男」がいる。

マジョリティが無理ゲーを強いられ、マイノリティや社会的弱者が優遇される社会。

つまり、「こんなに俺たちは必死で生活維持しようとしてるのに、楽して俺たちの税金で生活しようとしやがって!」という人たちが一定数いる、という事実。コロナ禍でこの手の人の「妬み」が溢れているという。まさに、人間の心の闇の部分が露呈している。

生活に困窮すればするほど、一線超えて生活保護を申請した人を「ずるい」と言い、税金で保護されている障害者を「ずるい」という。

先月、「幸せそうに見える女性」を狙った殺傷事件も起きたが、犯人の動機はよく知らないが、おそらくこういう昨今の女性たちへのヘイトなのだろう。

他にも、最近のことだと、コロナワクチンを接種し酷い副作用に苦しんでいる人ほど、他人へワクチンを勧める、という話も聞く。それは「私はこんなに副作用で苦しんだ。自分は仕事も休んで苦しんでたのに、あなたは苦しまずにいるなんて酷い。この苦しみもたくさんの人に味わって欲しい」という「妬み」の裏返しらしい。

妬みの例を挙げればきりがないが、この本を読み、日本社会を取り巻く「妬み」の渦が大きくなっているように感じてならない。

これは、社会格差が大きく広がりすぎてしまった一方で、人と人との繋がりが希薄なので、一人で頑張り続ける人が増えすぎてしまっているからではないか、と思う。つまり、苦しい状況にもかかわらず、周りや公的支援に頼れず(公的支援があることを知らない、も含め)、一人抱え込む人が多いからではないか、と思うのだ。

私の好きな投資家の藤野英人さんの本『投資家が「お金」よりも大切にしていること』に、こんな一説がある。

太古の昔、人間はアフリカで細々と生きていた、弱い哺乳類の1つだったようです。そんな中、インドネシアで大規模な噴火があり、それによって地球の温度が一気に寒冷化に向かい、多くの生き物が死に耐えました。人間の祖先も多くが死んでしまい、絶滅の淵に立たされたそうです。
しかしここからが面白いのです。生き残った人間のうち、さらに生き延びることができたのは、血縁ではなくお互いに助け合い少ない食べ物を争わずに分かち合ったグループだけなのでそうです。
要は「協力」こそが、人間が生き残った大きな戦略であり、人間を人間たらしめている大きな要素だということです。協力することで「company」になり、いま持っている資源を「share」することは、動物には絶対にできない人間独自のものなんですね。

日本は経済が成熟しきってしまい、マーケットも飽和状態。一方で、自殺者は増える一方だし、国民の幸福度も上がらない。なんか、悲しい現実よね。

だからこそ、みんなで生き残るためにも、藤野さんの本にあるように協力し資産を「シェア」していくことが一層大事な時代に入ったんじゃないか、と思う。

具体的には、自分ができる範囲で、社会を少しでも住みやすく心穏やかに過ごせる環境にするためにできることをやる。それぐらいなら、特別資格も要らないし、今日からできるし継続してできるんじゃないかなって。

例えばこんなこと。

①フードバンクへ食料を寄付する(自治体でもやってます)

②収入のうちの一定額を社会的に困っている人たちへの寄付に回す

③社会的に弱い位置にいる人たちがつくる製品を買う

例)フェアトレード商品(ソラシスの商品もフェアトレードです)

障害者を雇用している企業から買う(下記は私が個人的にファンな企業)

・QUONチョコレート(障害者やその家族を雇用しチョコレート商品製作)

・ヘラルボニー(障害者アーティストの作品、グッズを販売)

・新興国の株へ投資する

個人的に藤野さんの考え方が好きなので、藤野さんが代表をされてる「ひふみ投信」で、私はコツコツ資産形成&投資中

つまりは、日々の「なんとなく」の買い物を辞め、未来にリターンがあるような資産の使い方をすること。ただ消費して捨てる社会じゃなく、捨てる前にシェアする時代。

妬みに溢れた人々の心の闇を「怖い」「狂ってる」「残酷」と言うのは簡単だが、闇が深くなれば、自分や自分の子供達が生きる環境にも大きく影響してくる。

つまり、無関心を無関心のままにしておくと、必ず自分にツケが回ってくる。自分も社会で生きてる1人として、今よりも少しでもマシな社会が来るように、具体的に行動していくしかない。やっぱり、みんな笑顔で幸せな方がいいよね。きれいごとかもしれないが、人は誰だって幸せになりたいし、それは自分だけじゃなく、みんな笑顔がいいって思ってるはずだ。だから、人は死んだら地獄より天国に行きたいって思うわけだし。(天国がどんな場所かわからないけど、みんな穏やかで笑顔で幸せなイメージあるよね)

だから、これをお読みの方には、今日からできることでシェアできる手段で、あなたの愛を社会へ循環させてほしい。食料、お金、商品、何でもいいから、できることから。

そして、自分だけじゃなく、家族や隣人、関わる人々へ笑顔で接して欲しいし、存在することへの感謝を言葉で伝えてあげて欲しい。

少しでも今日より明日、明日より明後日の社会が、生きやすく穏やかなものでありますように。


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