Nobby

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」(幸若舞「敦盛」より)。 気づくと…

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「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」(幸若舞「敦盛」より)。 気づくと赤いちゃんちゃんこに手が触れそうな年(汗)。だから一瞬一瞬がボーナスステージ、サドンデスだと思って生きています。 https://www.instagram.com/umanohoneband/

最近の記事

ぼくにとっての幸せな時間

昨日降った雨が地面に残り、まだ気温が上がり始めていない朝は、水たまりを踏んで走るのが心地よい。土鳩がクックーと鳴き、雀が羽虫を一生懸命追いかけるのを眺めながらの朝ジョグ。いろんなことがあるけれど、こうして今日も昨日と同じように走ることができるだけで十分にウェルビーイング。なんと安上がりな幸せ感でしょう(笑)。 湿度と温度が上昇してきた頃に家に戻りシャワーを浴びる。まず念入りに足を洗い、そのあとはつま先から太ももの付け根にかけてリンパが流れ始めるようにさすりあげる。たったそれ

    • カウンターは未来への扉

      先日、高校1年生になった親友の息子Yくんとカウンターで語り合ったことがあった。「親友の息子と父の友達」というのは一般的に言えばかなりレアな組み合わせだが、私とYくんは15年以上の付き合いでもあり、もしかするとYくんの父(すなわち僕の親友)よりも真剣に語り合っているかもしれない(笑)。 Yくんが医学の道を志していることがわかり、その話題でしばらく話をしていたときに、ふと自分が社会人になって数年目に、父と一緒にカウンターで焼き鳥を食べている時のことを思い出した。 それは、こん

      • あの山の向こうに

        山の向こうには何があるんだろう・・ 人類の祖とチンパンジーの境が今以上に曖昧だった頃から、きっとそんな、自らの、あるいは社会の境界線を越えようとする意思の火があったんだろう。 普通に考えれば、時間を使い、筋肉や内臓を痛めつけるよりも、42.195kmなんて距離はガソリンを燃やしてエネルギーを取り出し、革張りのシートに身を埋め、空調の効いた快適な空間で移動した方がいいに決まってる。 でも毎年人口の0.2%くらいの人間が42.195kmを自分の足で完走しているのは、どんな人

        • 木も見て 森も見る

          少し前、私の社外の兄貴に怒られました。 「ノビー、お前は『木を見て森を見ず』だ」と。 よく知られている諺ですから今更説明は不要でしょうが、「小事にこだわり大事を忘れる」ことで、ケンブリッジ英英辞典にも「can’t see the forest for the tree」とそのままの諺が載っていますので、きっと今も世界のどこかで、こうやって怒られている人がいるんだと思うと、ちょっとホッとします(笑)。 皆さんが想像するほど私は器用ではなく、一旦興味を持ってしまうとどこまでも

        ぼくにとっての幸せな時間

          職場の隅の哲学者

          若い頃、仕事にやりがいを感じずにグレかけていた自分に、30歳くらい歳上の先輩が言ってくれた。 先:「ふーん。おまえはバカだなぁ。」 の:「なんでですか?」 先:「朝起きて、今日やる仕事がある。これに勝るシアワセなんてないね。」 の:「そんなもんですかねー」 先:「そうだ。高望みするからグレるし、グレるから自分ができることすら視えなくなるんだ」 タバコの煙をぷはーっとはきながら話をしてくれた先輩の姿は、今でもその時の周りの風景と共に脳内に強く残っている。 しばらく前に職場の話し

          職場の隅の哲学者

          伴走してくれたのは、ナゴヤの街だったこと

          伴走するためのテザーロープを握っていたのは自分だけれど、42㎞を通じて移動しながら沿道で声を張り上げて応援してくれた仲間達、ビブスに書かれた名前を見て「たっちん、頑張ってね♪」と声をかけてくれた女性ランナーたち、つまり街全体が2万人近くの女性たちを伴走した日、それがウイメンズマラソンなのだと思う。 10㎞過ぎからスイッチが切り替わり、1㎞7分10秒前後の安定したペースで最後まで走り、ゴールした後、「頑張ったよね!」と涙を流すたっちんをハグしながら思わずもらい泣き。ランナーで

          伴走してくれたのは、ナゴヤの街だったこと

          褒められるより、かけがえのない達成感がいい

          先週末、いつもの伴走練習会に、ワラーチで繋がった方が伴走体験にやってきました。その方がこれから伴走の世界にハマっていくか、楽しみに見守りたいと思いますが、後日、彼のSNSにこんなことが書いてありました。 「ある方は言った。『余裕綽綽で目が見えず耳が聞こえない人を助ける』という状況にしたくない、と。より力をつけてから伴走を考えていたのだけれど、この言葉にハッと心を打たれた。イーブンでいいんだと。ともに高め合えばいいんだと。緊張感の中で成し遂げてこそ、かけがえのない達成感がある

          褒められるより、かけがえのない達成感がいい

          ヌゲバワカル。ヌゲバカワル。

          週末はワラーチ作りや試作にあけくれた二日間。いつもの喫茶店に同じ会社の若い仲間たちに集まってもらい、一足ずつ気持ちを込めて作る。会社の仲間たちからは材料費も頂かないのが一応マイルール。 「仕事の成果で返してくれればいいよ」ということにはしているけれど、実のところ本当の気持ちはちょっと違う。未来の仲間に教えてもらった渋沢寿一先生の本: 人は自然の一部である ”日本人は「仕事と稼ぎ」という概念を作りました。山村では仕事と稼ぎの両方が出来て一人前なのです。「稼ぎ」とは、自分たち

          ヌゲバワカル。ヌゲバカワル。

          選択肢があること、先に進めること

          おはようございます。今晩から寒波が到来するようで、朝の時点では気温こそそれほど下がっていないものの、空気の中に冷たい風がマーブル状に紛れ込んでいるのを感じる朝です。いつもと違うジョグコースで1㎞続く長い坂を登って暖まった身体にあたる冷たい風が、サウナから出た後の水風呂みたいで気持ちいい(笑)。 QoL(Quality of Life)という言葉が用いられるようになって久しいですが、言葉が出てきた当初、自分にとって「高いQoL」とは、「選択肢があること」・・・多すぎず少なすぎ

          選択肢があること、先に進めること

          あたたかさも いたみさえも

          穏やかで雲ひとつない暖かな元旦の朝、初日の出とともにお日様の暖かさを感じます。素足だからこそ感じる暖かみがあるのなら、素足だからこそ感じる痛みもある。分厚いゴム底に覆われた靴より、きっとワラーチの方がそんな気持ちを感じられるのだろう。「ワラーチ、作ってみたいな・・」「愛用のワラーチ、直したいな・・」という声は、そんなひとの気持ちが言葉になって現れてきたものなのかもしれない。 なーんて感じた優しい気持ちの朝。 May the huaraches be with you. 素敵な

          あたたかさも いたみさえも

          生きているという実感

          「青菜炒めを食べられたらいいよ(笑)」・・その言葉をそのまま受け止めて、彼らの宿の近くの中華料理屋に入ったのはこれが初めてでなく、3年前に彼らがFord F350を改造したキャンピングカーで国内の幾つかの素敵な場所でイベントをやって回った最終目的地が名古屋だった時も、やっぱり兄貴のリクエストは同じでした。 今回、厳しい暑さの中を4日間、一日70〜80km自転車で走ってきた兄貴と姉貴は64歳と63歳。「なんで名古屋なの?」。。。出発前も、その途中も何度も受けた質問について、兄

          生きているという実感

          しごとのいぎにきづかされたこと

          次女が大学を卒業して、某製造業のソフトウェアエンジニアとして働き始めました。そんな次女の入社初日の夜のおはなし。 私が帰宅して食卓につくなり、ため息をつく次女。 私「どうだった?」 次女「えー?疲れた(笑)」 私「疲れたって、まだ入社式とちょっとした導入教育くらいでしょ(笑)」 次女「だから疲れた。立ってるか、座ってるかだから」 私「いずれ現場実習が始まるから、そいつはキツイけれど、楽しいと思うよ」 次女「うん、工場実習楽しみ。でもさ、パパ」 私「なに?」

          しごとのいぎにきづかされたこと

          Yさんのこと

          どんな年齢でも性別でも、偉い人でもそうでない人でも態度が全く変わらず、暖かい、というか「分厚い」感じで接してくれる人でした。出逢ったのは、私がワラーチとか裸足に本格的に凝り始めたころだから、もう8年くらい前。少し強面、笑うと可愛くなる笑顔の持ち主。当時すでに色々な大会を、かなり再現度高い飛脚の恰好(草鞋、褌、入れ墨のシール)で楽しそうに走っている姿をみて声をかけたところ、逆に僕のワラーチに興味を示してくれて、根掘り葉掘り聞いてこられ、すぐにその後作らせていただくことになり、そ

          Yさんのこと

          インクルージョン〜包摂性について思うこと

          たくさんの誕生日メッセージに心がポカポカの夜です。 今日はカナダの生物学者David Suzuki著「いのちの中にある地球〜最終講義:持続可能な未来のために」を読み返していました。 よくネットで引用される彼のQuote: “The way we see the world shapes the way we treat it. If a mountain is a deity, not a pile of ore; if a river is one of the ve

          インクルージョン〜包摂性について思うこと

          みえるとみえなくなる

          このあいだ、伴走仲間(晴眼者のガイド)から、面白いから読んで見るといいよと: 「視界良好<1><2>」河野泰弘著 視界良好―先天性全盲の私が生活している世界 視界良好〈2〉視覚障害の状態を生きる を紹介されました。 先天性全盲の著者が「捉えている」モノは、Vision(視覚)で環境認識することが当たり前になっている晴眼者のモノとかなり異なること、触覚や聴覚というモーダルから感じる入力で頭の中により複合的な認識が形作られているという著者の表現を読むと、視覚に頼っている自分の脳

          みえるとみえなくなる

          What Starts Here Changes the World

          連続ジョギングチャレンジは今朝で1644日目。ジョギングと言ってもキロ4分で飛ばすわけでもなく、1時間たっぷり汗をかくわけでもない、老人徘徊にちかい(笑)緩いペースなので、実際のところ、走ることそのものは大したことはないです。「すごい!」と言われるたびに、「いや、大したことないよ・・」と答えるのは、本当にすごくないジョギングだからです。 ただ「すごくない『自分』を変えたい」という思いだけは昔も今も、特に柄にもなく偉そうな名刺を持つことになって以降は、より強く思うようになってい

          What Starts Here Changes the World