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カウンターは未来への扉

先日、高校1年生になった親友の息子Yくんとカウンターで語り合ったことがあった。「親友の息子と父の友達」というのは一般的に言えばかなりレアな組み合わせだが、私とYくんは15年以上の付き合いでもあり、もしかするとYくんの父(すなわち僕の親友)よりも真剣に語り合っているかもしれない(笑)。

Yくんが医学の道を志していることがわかり、その話題でしばらく話をしていたときに、ふと自分が社会人になって数年目に、父と一緒にカウンターで焼き鳥を食べている時のことを思い出した。

それは、こんな話。

父はいつものように僕と目を合わすことなく、小さな声で「救えた命より、救えなかった命のことばかり記憶に残ってる」と。

医学とは対象が人の命であり、工学の領域よりも遥かに高度なアブダクションを必要とする仕事だと思う。だからこそ思うように上手くいかないことが多いはず。

医学者の父ほどではないけれど、そういえば自らを振り返ると、自分の無力さとか世の中の理不尽さを感じるたくさんの経験が、自分自身の「基準点」をつくってきたこと、

だからこそ、日々の新たな出会いや日常のちょっとしたことも、その基準点と比べれば「なんと有り難いことなんだろう」とポジティブに考えることができるようになったのかもしれない。

カウンターでY君と話をしているはずなのに、脳内のパーテーションの反対側で、自らを内観している自分がいた。

内観の機会を与えてくれたYくんに感謝しつつ、彼もあの語り合いからきっと何かしらの啓発を得るのかもしれない。30年前にカウンターの横に座った父のつぶやきから、私が小さなことを学んだように。

人は1世代周期で未来に進んでいく。予測不可能なはずの未来は、もしかしたら同じことの繰り返しで、カウンターはそんな未来への扉なのかもしれない。

季節とともに一年周期で庭に同じ種類の花が咲くように。

Wishing you have a nice day.

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