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海外学生生活④ 男を天秤にかけだした頃

前回のお話
海外学生生活③ トラウマを越えて

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ハタチ。

自分自身を取り戻すどころか、自信が付いて少し気が大きくなってしまった私。

中身は同じ人間のままで、頭が良くなった訳でもなかった癖に、謎に自信に満ちていた頃だったと思う。
(人前では謙虚を心がけていたのがまた巧妙…)


イヤなガキになりつつあった


海外生活の頃の実家は、日本の住居と違って部屋も多い一軒家で(賃貸ではあったが)、親が空き部屋に住まわせるルームメイトを常に一人確保していた。
大概は学生が住む事になり、数年で卒業して出ていってしまうため、特定のサイクルでルームメイトを新しく募集する事が多かった。

一人娘の私がいた為、親は日本人の女性しか家に入れないようにしていたが、突然気が大きくなった私は、何を思ったか気に食わない歳上の日本人女子ルームメイトに若干攻撃的な態度を取ってしまう。

まあ、実際気に食わなかった。
懐かしの「臨死!!江古田ちゃん」の猛禽にビジュも中身もそっくりな女だった。

コイツもコイツでお遊び留学していた金持ちの娘さんで、学業そっちのけでイケメンの日本人彼氏を作っていた。
(海外で見る若い関西人の男性ってチャラい奴が多過ぎるの何故なのか?)
娘と全く同じ髪型とメイクをした若作りママを日本から我が家に一週間ほど招待して、「わたしホームステイ先でも信頼されてるし海外でこんなに頑張ってるよ!」アピールをした直後、ママの帰国と共に我が家を去って彼氏と同棲を始めた伝説の猛禽ちゃんだ。
私がナメた態度を取る気も少し察して欲しい。


そんな感じで、実家では日本人ルームメイトが出たり入ったりしていたが、年代も学校もバラバラで、おまけに大体私とは気が合わない人達ばかりだった。
今でもたまに連絡を取る子はたった1人だけ。

オーストラリア経由で来たセクシー健康美女も、
実際一緒に住んでみるとガニ股だし、デカい足音とドアバンといった生活音が破滅的にうるせーし、現地人と不倫してるし、性格悪いし、一口に日本人女性のルームメイトといっても色んな女がいた。
まあ、そりゃそうか。


が、そんな中で、何代目かのルームメイトの紹介で知り合った相手が、私の人生三人目の彼氏となった。

どこがどう繋がるかわからないね。


その彼は、私より8個歳上で、当時28歳。
関わっていく最中で29歳になったと思う。

学生ではなく、仕事で海外に来ていた。

Textでやり取りする中で距離が縮まり、思う存分甘えさせてくれるのも当時は嬉しかったので、私は安定を求めてこの人と付き合う事にした。

職種もパイロットで、その時は堅い職業と感じた。(実際のところ堅いのかは判らなかったが…)
顔や雰囲気は正直全然タイプじゃなかったが、初めての彼氏の頃から一貫して、顔の造形と外見には重きを置いていなかった。

親にもちょくちょく紹介しつつ、しっかりめの交際が始まった。

知り合ってから付き合うまでのペースはなかなか良かったと思う。

しかし残念ながら、昨年夏の事件のトラウマで、私の心は異性に対しては随分ひねくれてしまったようで、別の相手を見つけようがそう簡単には幸せを感じられなかった。


いかに相手と楽しく接していたとしても、内心では「この人と果たして本当に幸せになれるのだろうか」という事ばかり考えてしまう。

次第に私は、彼氏以外の男性にもパートナーとしての判定をかけまくる事となる。
とはいえ実際手を出して浮気する事はこの頃は無かったのだが、彼氏以外にも「もしこの人と付き合えたら今より幸せになれそうかどうか」と一度は想定しまくる、といった感じだ。

実際に付き合っている相手からしたら失礼な話極まりないので、そんな考えは隠しつつ、しかし常に他にも目をやりながら、上手く交際関係を続けていた。

既に歪みが見えている感じだが、まだまだこの頃は健全な部類だった。

ただ、愛は見えていなかったと思う。

彼氏への小さなプレゼントや気配りを欠かさず、日々思い出を作り、人を愛する振りだけは得意だったのだが。



幸せにならなければいけない


恐らくトラウマによる呪いだったし、意地でもあった。

こっちが下手に出ていれば、男達は付け上がる。
あんな思いを味わいたくないし、もう私の方が上位な恋愛しかしたくないし、私は誰よりも幸せになる権利がある、と胸の内に秘めながら私は日々を過ごしていた。

誰よりも幸せになるには、より幸せになれる相手と幸せな環境を築くしかない…。

ハタチの時点で意外と真面目に人生のパートナーをうっすらと探していたと思うが、残念ながら3人目の歳上彼氏がその相手となる事は無かった。

操縦士の彼と付き合って半年頃、彼は仕事の都合で一度日本に帰る事となった。

ちょうど私は短大卒業間近で、次にトランスファー予定の現地の大学も無事決まっていたが、彼は遠距離恋愛をしながら私の学業終了と共に日本で結婚をする気満々だった。

早い段階で向こうから将来の話を振ってくれていたし、なんなら彼の方は29歳で結婚を焦っていたようにも思う。
今までの彼女とは途中で全然上手くいかなくなってフラれるケースばかりだったが、いつか子どもがたくさんいる家庭を築きたいのだと、彼はよく語っていた。

まあ、確かにちょっと癖がある彼氏ではあった。
女性側がたまに引いてしまう気持ちも解る。
日本人だけど家庭の事情でアジア育ち、怒ると猛烈にまくしたてあげる癖まであってたまに怖かったし。

彼の帰国後、一緒にSNSを楽しんだり、国際郵便で月一何か贈りあったり、Skypeで日本で流行っていたドラマの話をしたりして、少しの間遠距離恋愛をした。

そのうち私は無事学校を卒業。

単位を真面目に取り、仲が良かった同い歳の日本人留学生達と一緒に、皆揃って卒業式に出る事に成功。

日本で言うところの短大的な位置の学校だったけど、流石に海外の学校の卒業式は良い感じである。
キャップとガウンを着て、大きな花飾りを貰って首にかけ、セレモニーに出席した後は盛大なパーティー。
小2の頃に母と離婚した実父までパスポートを取ってわざわざ会いに来てくれたのを覚えている。
懐かしいな。

友達の親御さん達もここぞとばかりに娘達に会いに渡航していて、卒業式のついでに海外家族旅行をするといったコースがみなお決まりだったので、卒業式後の夏休みは暫しのお別れだった。

少し寂しかったが、大体の子はまだまだ完全帰国せず9月にまた会える予定だったので、私も卒業後はお祝いとしてたっぷり3ヶ月ほど日本に帰国させて貰う事にした。


成人してからここまで長い間日本の土を踏むのも初めてだったし、この3ヶ月間は、私の人生にとってかなり濃ゆい期間となった。



一時帰国中に彼と別れる


前章で書いたパンクとロリータのアパートの週一のパーティーにも少しの期間参加していたメンバーの中に、やや非常識な日本人のお嬢様(留学生)がいた。
パッチリした瞳の賢そうな美女だが、中身は何事も自分さえ良ければいいというタイプの重度のヲタクだった。
家主からはサブカルの話が通じるので気に入られ、少しの間は毎週参加していたが、短大卒業と共に消えた面子である。

そのお嬢様は我々より4つ歳上だったが、入学と卒業時期は一緒。
私同様に二次元も好きだったが、三次元では海外の俳優の熱心な追っかけで、今にして思えばかなり痛い女子だった。

人気俳優に宛てた重い英語の手紙を持って、その俳優が居ると噂されるホテルまで車無しで向かって(※日本とは訳が違う広さの土地)結局会えなかったし帰れないから迎えに来て~と夜遅く泣きじゃくって電話をかけてくる感じの浅はかな女である。

当時の私は夜間の運転が大嫌いだったので、夜遅くに知らない遠い土地に行くだけ褒めて欲しいもんだが、頑張って迎えに行って彼女をなだめてホームステイ先まで送り届け、更に遠い自宅まで帰るのは大変だった。
海外の知らない夜道は結構怖い。
しかも彼女はというと、礼も言わないしガソリン代も払わねーしクソ。

まあただ、この勘違い追っかけ女子と縁が切れていなかった頃、たまたま想定していた帰国予定日が被ったという事で、私達は夏休みに同じフライトを予約して帰国することになった。
(その後日本で絡む事はそんな無かったけど…)

この追っかけ女子は、普段から自分の欲最優先で周りへの配慮が浅いタイプだったので、ブスではないのに全くモテなかった。
まあ拘りが強過ぎる所為でもあると思うけど。
彼氏も24年間できた事が無かったようだし、そもそも生身のオスの話を好まないので(他者に対して謎に厳しくて怖かった…)、ロリータ達と違って恋愛の話が全く出来ない相手ではあった。

よって、同じ便で帰国した我々だったが、私の方は彼氏が空港まで迎えに来てくれていたので、羽田空港到着後バイバイしなければいけないのだが、反応が怖くてとうとう最後まで彼氏が迎えに来てくれている事を彼女に打ち明けられず、そそくさと「親戚来てくれるみたい!バイバイ!!」と言って逃げる形で離れてしまった。
彼にこっそりメールしながらさ。
我ながら何やってんだろと思うけどね。


まあ、そんなくだらない幕開けだったが、ボーナスステージ的な日本での夏休みがゆるっと始まった。

この時の彼氏は実家が太く、仕事も生活もしっかりしているように見えた。
日本で彼女をもてなすんだと、最初の方はかなり張り切ってくれた。

空港から直で向かったのは都心のレンタルルームだった訳だけどね…。
男って感じ。

久しぶりに再会した彼氏と、着いて早々初めての日本のレンタルルームでセックス。
その後ご飯を食べさせて貰って、居候予定の私の親戚宅へ送り届けて貰い、初日はあっという間に終わった。

帰国して最初の頃は、お台場ドライブデートやペアリング作り、当時話題だったカフェ巡り、みなとみらいデートなど、世間一般の理想的なデートに連れ倒してくれて、相手との性格のギャップを感じながらもまあまあ嬉しかった。

相手の実家にもすぐにお呼ばれされ、ご両親への挨拶やお泊まりを重ねたりした。

私もそれによく適応していたので、夏休み最初の週は彼にとって理想の展開だったようで、彼は常にご機嫌だった。
全員私より大人で話は合わなかったけど、彼の地元のバーで友達もたくさん紹介して貰った。

しかしながら、私は彼と会うだけで貴重な日本滞在の夏休みを潰す気はなくて、自分の友達にも会いたかったし、初めての日本での仕事も経験したかったので、解放されたタイミングでそれぞれのスケジュールをしっかりと組んでいた。

彼は常に一緒に過ごしたい派だったのでそれすら少しイヤそうだったが、軽く邪魔されても私は気にせず、短期アルバイトや派遣の面接へ行ったり、友達と遊んだりしていた。
これに関して私は全く悪くないと思う。
私の休みなんでね。

夏休み二週目以降は早くもそっちの方が楽しく感じてしまって、初の日本での労働に励みまくっていた。
最初は「お手隙」という言葉すら知らなかった当時の私だが、次第に日本の職場でありがちなワードや暗黙のルール、職場でのマナーを学び、とても良い経験となった。

おまけに、当時熱心だったSNSで繋がったネッ友とオフで会う約束も幾つかしていて、純粋に夏休みを楽しんでいた。

日本、ほんと最高。

そして、夏休み三週目くらいで会ったネ友のうち一人が配信者だったのだが、そこまで人気はないけど声がいい28歳男性サラリーマンで、オフ会の後急に距離が縮まり、むこうからアプローチをされ始めた。

私はその時彼氏持ちだったので堂々と浮気はしなかったものの、ここで初めてしっかり男達を天秤にかけ、未来を決断する事とした。

なんとも大胆。
夏の力か……?


しかも、自分の中でよく考えた結果、なんとその時はパイロットよりも過疎配信者が勝った。
うーん、血迷ってんね。


そうなると、2人目の彼氏の時のように、酷い喧嘩をした訳でも相手に大きな落ち度があるわけでもないのに別れ話を切り出さなくてはいけない。


かなりしんどかったが、振る時はどのみちいつも大変だ。

例え配信者の存在が無かったとして、パイロットの彼氏は普段優しいが結構合わない部分が多々あったし、たまに見せる癇癪がとても怖いので、どのみち別れる一択ではあったと思う。
私がいつか切り出さないと、そのまま結婚して地獄に入っていたと思うし…。

もうそろそろ日本に来て1ヶ月といったタイミングで、数日ぶりに呼び出してきた彼の車の中、私はしんみりと別れ話を始めた。


案の定彼は、「何でオレと付き合った!?オレの時間返せよ!!!」と激昂し、怒りに任せて高速でアクセルとブレーキを交互に踏みまくった。

怖かった。とても。

同時に、この人と結婚しなくて本当に良かったとも思った。

「のあちゃん最初の週は会いまくってたのに一ヵ月後会う頻度減ったし、地元の仲間からも次が彼女と会えるの最後かもなあって言われてたんだよ!!オレ知ってたよ!もう!!」と、彼は運転しながら子どもみたいにわぁわぁ泣き喚いていた。

この時投げられた言葉の数々はよく覚えている。

夏休み最初の週以降、基本的に私は普通に働いていただけなのだが、言い訳してこれ以上興奮させてもいい事がなさそうで、会う頻度の文句に関しては黙っていた。
というか、高速運転中に地団駄踏んで取り乱しまくる彼にかなり引いていた。


「最初の週のあちゃんに9万使ったんだよ!?返して欲しいわ!!」とまで言われた。

ちなみに彼には一度足りとも何かをおねだりした記憶がなく、帰国時のデートも彼が全て自分からセッティングしたものだ。
支払いも全部俺からじゃないとイヤだと言っていた。


「別れ話で相手に幻滅するケース、こんな感じなんだな」と、命の危機を感じた後の私は次第に冷静に考えるようになっていた。

それから、どうにか無事親戚宅の近所までは送り届けて貰ったのだが、今この人と一緒にはいられないなと判断し、早々に話を切り上げ、逃げるように去った。
彼はまだ話したそうだったが、もう無理だった。

家の中にいた従兄弟が、帰宅後の私の顔色を見てひどく心配していたのを覚えている。
高速で事故らなくて本当に良かった…。
ペアリングを外し、シャワーで冷や汗を流して眠りについた。


翌日、少しだけ冷静になった彼がもう一度話し合いたいとメールを飛ばしてきたが、私は怖いので無理ですと返してしまい、それにまた怒った彼は、「このまま別れるなら別れるでいいけど、オレの実家に挨拶に来い。オレが今まであげた物も使って欲しくないから全て持って来い。」と強要してきた。

…思い返すと眩暈がしてくるようなシーンだ。
こうして見るとケツ穴小さいモラ男っぽいよね。


いきなり別れ話をした私も悪いとは思うが、相手とすり合わせづらい根本的な部分が合わない事が解った時点で離れるのは正解としか思えなかった。
実際この時浮気もしていなかったし、合わないから別れたかったのは事実だ。

愛のない恋愛ごっこを続けてあげる方が失礼である。
互いの人生は長い。

かなりイヤだし怖かったのだが、私は言われた通りに夏休み序盤でお邪魔した彼の御実家へ挨拶へうかがう事にした。

こういう理不尽なのってバックれてもいいのかもだけど、一応ケジメもあったし…。

もう彼女じゃないという事で、元彼は電車で来いよと冷たく突き放してきたが、ご実家が駅から遠い住宅地にあった事と私の方向音痴もよく知っていたので、最寄り駅からは渋々車で迎えに来てくれた。
元彼から今まで貰ったプレゼント一式を大きな袋に詰め、背中にはデカいリュックサックといった大荷物で1時間半かけて電車を乗り継ぎ来たわけだが、ここで予想だにしない事態が発覚。

なんとご実家に着くなり、元彼母・元彼父はニコニコと嬉しそうに私を大歓迎してくれたのだ。

二人の対応に非常に違和感があったので、私はリビングに通されながら、元彼にこっそりと「ご両親もしかして今日お話する内容知らないの?」と訊ねた。

すると彼は、「伝えてるワケないじゃん。自分で一から全部話して?」と返してきた。


思い返して、クソ腹立ってきた。

この赤ちゃんみたいなアラサー男、別れ話した途端に性格悪過ぎじゃね?


お母さんから良いケーキと紅茶まで出されて、本当にばつが悪い状況の中、21歳なりたての私は、「先日息子さんと別れ話をしました」と、泣きながら語った。


29歳の息子当人は、遠くからブスくれた表情でラーメン屋の宣材写真みたいに腕を組んでこちらを見ていた。
本当に、嫌な空気だった。

しんどくて泣きじゃくって話が進みづらかったが、最後は少し落ち着き、「折角結婚まで視野に入れてお付き合いさせて頂いたのに、私の気持ちの変化により別れてしまい、申し訳ございませんでした」としっかりと結んで、深々と頭を下げた。
えらい。

一通り話を聞いた後のご両親のリアクションとして、お父さんはどこか申し訳無さそうで、お母さんは無言で厳しい顔をしていた。

お父さんの方は実は常識人だったので、「のあさん、ウチのが迷惑かけてごめんね……」と逆に謝ってくれた。

しかしお母さんの方は息子と性格が結構似ていて、とことん詰めたいタイプだったらしい。
数分前までケーキを手にニコニコしていたのが嘘のようにツンケンした態度を取り始め、「それはつまり今後もウチの息子と寄りを戻す可能性が無いということ?もう完全に我が家とは切れるということ?あ、パパは黙っててね。のあさんがハッキリここで断言しないと私もどう対処していいかわからないからね。」などと早口でガン詰めされた。
怖……。

息子のキモい目論見のせいで既に場は最悪のムードだが、この母親が普通の反応で終わらない以上、私も話を終わらせられないので、私はここで「息子さんと今後よりを戻す事はないと思います。」と断言せざるを得なかった。

万が一だが、元彼が何も知らない両親の前で私を公開処刑したのち私自身の愚かさに気付かせて別れ話を取り消すことを計画していたとしたら、このババアの言葉のせいでそれは永遠に叶わなくなったと教えてやりたい。
そりゃ、ヨリを戻す可能性はないのかと第三者からガン詰めされたら、ねえよと返すしかないのだから。

色々と私は萎えきってしまった。

私達の話を聞いてどこかソワソワしだした元彼に、私は荷物の大半となっていた元彼からの過去のプレゼントを明け渡した。

どちらかと言うと面倒だからイヤだったのだが、奴から返すよう強要されたので、今回集められる分だけまとめておいたのだ。

その殆どが衣類やプチプラのアクセサリー、ぬいぐるみなどの雑貨で、今回の長期帰国でスーツケースに入れて持って来たものが多かったので、こうして返す事ができた。
この時の私は日本に滞在中というだけの身なので、当然海外の実家にまだ多少は残っていたし、細かい事を言うと全てのプレゼントではないのだが、おおよそはバッチリ荷物に入っていて、この度めでたく返却となった。

元彼はムスッとした顔で受け取り、「これで全部じゃないんじゃないの?まあいいや。」と捨て台詞を吐いた。
腹立だしい。

一時帰国中なのに全部出せるワケねーだろ、むしろ大半日本まで大事に持ち込んでいて今日出せた事に感謝しろよ、と言いたくなる気持ちをグッと堪え(じゃあ実家戻ったら国際郵便で送れよって言われたらクソダルいので……)私は深くお辞儀をして、元彼の裕福そうだが冷たいご実家を後にする準備を始めた。


元カノに過去プレゼントした物を使って欲しくない心理なのはわかるけど、実際に返せと言ってきた男はコイツが最初で最後だったし、そもそも女物スカートとか返してどうすんだよ!どうせ捨てんなら私が捨てんのも変わんねーだろ!とイライラしてしまってもうダメだった。

一刻も早く帰りたかった。

これで、相手がして欲しいことは全てしてあげたつもりだ。


しかし自分の荷物を纏めていると、待てよ、こっちのプレゼントも持って帰れよ、と言う低い声が上から降ってきた。
嫌な予感がした。

見ると、大きなゴミ袋2つにぎっちりと入った、8ヶ月分の私からのプレゼントや手紙類を両手で押し付けようとしている。

うげえええぇ…。


実は彼よりも私が贈った物の方が量が多かったんだなあ……とぼんやり考えたが、流石にそれらを持って1時間半以上かけて電車で帰るのはキツ過ぎる。
精神的にというか、普通に体力的にだ。

重くて電車移動が大変だから、流石にそちらでゴミ出ししておいてくれますか?と訊ねたのだが、「いやオレは捨てたくねーしお前が持って帰れよ」との事。
きっしょwwww

結局、リュックサックに両手ゴミ袋という出で立ちで私は帰った。


流石に長距離移動で荷物が重過ぎるとしんどいので、駅で中身を軽く確認して選別し、ゴミ箱に捨てられそうな物だけその場で捨てて行った。
手紙やカード、小さな物とかね。

大半は帰宅後に捨てたわけだが、本当に謎の手間を強いられた。
香水やハットなど、メンズの小物は従兄弟が欲しそうな物だけあげた。
(今だったらメルカリかな…)

なかなかヘビーな日だったが、帰った後は別れて正解だったな~と少し気が軽くなったのを覚えている。
相手の方は知らんけど。

ちなみに元彼とのオチとしてはこの2ヶ月後、私が日本を去った後くらいに、「もしのあちゃんがまだ心変わりしてなければ、国際郵便で送りたい物があるのでお返事下さい」というメールが突然届いたのだが、タイミングも謎だったので普通にガン無視したら、激怒されて全SNSをブロックされ、郵便物を見ることはなかったという…。

どうせ私が返したプレゼントか新しいプレゼントを手紙と一緒に送って復縁狙ってたんだろうとは思うが。

数ヶ月後ようやく吹っ切れた後の彼は、共通の知人からの噂によるとガツガツ婚活して、その後すぐにデキ婚したらしい。
他者にあまり怒らず自分の理想を押し付けない形で、幸せになっていて欲しい。



出会いは意外とたくさんあった


その後、特に寂しい思いをする事もなく、私は日本の夏休みを満喫していた。

短期アルバイトと派遣に挑戦したのは本当に良かったと思う。
経験値もグーンと増え、日本で遊ぶ軍資金も得られて、毎日にっこにこだった。

居候先の親戚宅のメンバーとも仲良しだったし、日本の食べ物は海外と違って例え安物でも何でも美味しいし、初の日本でのバイト先でもネット上でも新しい友達が多くできた。
この頃に知り合って、のちのち10年来の友達になった子もいる。


連絡を取っていた例の歳上配信者とは、彼氏と別れた後に正式にデートへ行く事になった。

私は異性は性格重視で、顔以上に相手の声すらどうでもいい派だったので、イケボは別にタイプという訳じゃなかった。
周りから美声と言われ続けていた彼の方は、なぜネットの他の女子達と違って私が簡単にデレないのかが不思議で仕方がなかったらしく、すぐに興味を持ってくれたのだ。
単純か?

まあネットで絡み出しただけあって趣味も合い、最初はそれなりに楽しく、このまま普通に付き合ってもいいかな~くらいに軽く考えていた。


私の日本滞在時間にリミットがあった事もあり、交際まで今回もそんなに時間はかからなかった。

相手は、いざ付き合う直前までいくとイケボ配信者らしく(?)謎に勿体ぶったりじらしてきたが、私の方がテキトー言って最終的に相手から付き合おうと言わせた感じだったと思う。

海外の縁を介さず知り合って、日本で付き合った彼氏は初めてである。
これが4人目の男。


実はこの時の彼氏、特に実害があったわけではないが、個人的に初彼氏と同等くらいに最悪な印象がある。


すごく噛み砕いて簡潔に言うと、性格最悪で絶対何らかの病気もあるだろって感じ。

メンタルがとにかく異常だった。


最終的には3ヶ月ほどでこちらから完全に手を引いた。

相手との性格の不一致とヤバさを察知したら恥を忍んですぐにでも切る、という事を覚えだした頃である。
他者に対して今もその自衛法は実施している……。


長くなってきたので、また次回に続きます。

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次のお話 執筆中

この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。 なんだかいつもより美味しく感じました☕️ 誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。