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ハクスリー「素晴らしい新世界」

私の人生を変えた一冊を紹介しようと思う。

遠い未来に私たち人間は、理想のユートピアの実現した。
そんな未来を描いた、オルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」だ。

ネタバレを含むので、そのつもりで読んで欲しい。

あらすじ

楽園

ここは、人類の夢を実現したユートピア。
生きていることに幸せしか感じられないような社会だ。その人以外は。

主人公の男性は、自他ともに違和感を抱えた日々を過ごしている。
ヒロインに淡い恋心を抱くがそれも上手くはいっていない。
周りの人々はささやく、彼はきっと出生の時に何かの薬物が誤って混入したのだろうと。彼自身、そうかもしれないとも思う。
何かがうまくいっていない。なぜなのかははっきりしない。

このユートピアが実現した世界では、皆それぞれ本当に幸せにくらしているのに。
家族の問題も、病気も、格差も、老化も、ストレスもなく、皆に楽しい仕事があり楽しく休みには最高の娯楽を楽しめる。なぜだろう。

ユートピア社会

この幸せな社会は、人々が考えた全ての問題を解決していた。

家族制度はなくなった。
ユートピア社会の全ての人間が、試験管から人口受精工場から生まれるからだ。
生まれた環境によって格差はない。それぞれが、将来の為に最良の環境で最良の教育を受けることができる。

出生からの環境に違いはある。将来の幸せの為にDNAから最適なものが与えられる。そして、個人はその仕事に応じて作り分けられる。個人は、自分の環境が一番幸せを感じるように、感じる為には必要である格差が与えられており、それによって人々は不幸を感じることはない。それ以上に心から納得する環境が整えられているからだ。生まれた人間は、従事する仕事によって階級付けされるが、教育によって個人は自身がそのランクであって本当に幸せだと感じるようになる。
例えば、肉体労働に従事する予定の子供は、小さなうちから体を動かす訓練が始められ、課題を克服するほど充実した気分を味わえることを知る。自分に備わった能力を十分に発揮できる仕事ほど十分なものはない。その為に美しいものを扱う必要がない仕事に就く子供は、物心つく前に花に興味を持って手を伸ばした時には電流が流される。
 こうして、大人になり働く時に、必要なもの全てが手に入った状態で必要のないものには興味がわかなくなる。仕事によって得られるものは、充実した疲労感だ。十分な休みの時には、政府から無償配給される合法麻薬を楽しみながら、仮想現実4D映画館などの娯楽施設で思いっきり気持ちの良い時間を過ごしてストレスと疲労を回復させることができる。
 病気や老化の治療法は確立されており、死んだときには皆で楽しくお祝いをして遺体はリサイクル施設へ行き、そこで皆の役に立つ物質へと変換される。

原始社会

その男は、くすぶっていた。
皆が心から幸せそうに過ごしているのに、なぜか心の片隅に暗い影を感じるのをやめることが出来ない。

気晴らしに出かけた旅行での出会いが、運命の転機だった。

ユートピア社会の外側には、今なお母から生まれその社会を構成する人から少しずつ生きる為に必要なものを学びとり考えて一人の人間の大人として成長している原始社会が受け継がれている場所があった。

くすぶった男は、その原始社会で人工授精工場長の息子と出会う。工場長はかつて飛行機事故でこの社会の住民たちに救出されていたのだった。
工場長の息子とくすぶった男は、その胸の内にある影の部分で共鳴しあい、行動を共にすることになった。

帰還

彼らは、ユートピア社会へ戻ってきた。

ここからは、工場長の息子である野生の男から見たユートピア社会得で、得体の知れない違和感がくすぶった男と共鳴しあう。

 帰還してすぐは、野生の男を珍しがるユートピア社会の住民たちがひっきりなしに取り巻き、やがて自分たちの生活の中に彼を受け入れ、野生の男はユートピア社会を楽しんだ。

 野生の男はある日、病院で息を引き取った母親と子供達の光景を目にする。死にゆく人には恐怖はなく、子供達の教育者は、母がなくなるとお祝いに皆にエクレアを配って楽しみながら食べた。人は死んでも皆の役に立つから悲しいことはないのだと子供たちに教えながら、エクレアを食べる。子供達は不思議そうに関心しながら、エクレアを楽しむ時間が流れていた。

時間が経つにつれ、野生の男の中の暗い影は濃くなる。
原始生活で、教わりながら自分で木を削って道具を作っていた時を恋しく思うようになる。
やがて、彼は孤独を求めユートピア社会の辺境の地でひっそりと暮らし始める。

そこで、彼は気づいてしまった。
そして彼はこのユートピアの世界の創設者にこのような事を言い残す。


「ところが、わたしは愉快なのがきらいなんです、わたしは神を欲します、詩を、真の危険を、自由を、善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」

「それじゃ全く、君は不幸になる権利を要求しているわけだ」


「それならそれで結構ですよ」
「わたしは不幸になる権利を求めているんです」


「それじゃ、いうまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、梅毒や癌になる権利、食べ物が足りなくなる権利、しみだらけになる権利、明日には何が起こるかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利、 あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」

永い沈黙がつづいた。

「わたしはそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー著/松村達雄訳、25刷、講談社、2006、東京、pp278-279


そしてーーーーーーーーーー

作品について

結末を考える

この物語は、登場人物の視点によってハッピーエンドであり、バッドエンドでもある。

くすぶる男を主人公とするのならば、ハッピーエンドだ。なぜならば、彼は、自分の社会と現実の影を知ってしまったので、影を知りながら光を守ることに専念することが出来れば、偉大なる工場長の後継者となれるのだから。くすぶり続ける男から皆の憧れの工場長へ一気にイメージを変える資質を手に入れた。ただし、彼の他者から見られるイメージを好転させることが出来たとしても、心の中の感情は何も変わることはないだろう。
印象に残っている描写で、子供達が冒頭で目を輝かせながら工場長の後にくっつきながら歩き、ノートに一言一句その言葉を逃すまいと書き留める場面があるが、くすぶる男は、誰よりも聡明な故にその工場長の言葉が、光の部分しか語らない違和感に気が付いていたのではないだろうか。

野生の男は、誰よりも人間的な感情を知り、自覚をもつ聡明な男である。ただ、彼は不幸にも、生きることの中で感じる不幸な感情を経験し、明るすぎる人口の光の中の人生を知ってしまったがゆえに、生きることの絶望にも気が付いてしまった。その絶望とは、ないものを手に入れる為に理想を掲げ自身の人生を選択しながら生きる中で、現実に感じる不安や恐怖や悲しみがあることを知ってしまったことに他ならない。
彼は人間として、それを持つ権利を主張する道を選択する。彼はそんな人生を愛してその感情をもって生きることを望んでいるのだ。しかし、ユートピアの住人は生まれてこのかた不安恐怖悲しみを知らない。まぶしすぎる世界しかしらず、それが世界の全てだと考える必要性すら気が付かない。心に悲しみや不安や恐怖を感じた経験と記憶がないのだ。彼らは光の中に生きている。
野生の男は、その光の中で自分を顧みた時、自分の中にある影は以前より深くなってしまったことに気が付く。
そして、彼は、自分の人生を影を背負いながらそれを愛することをやめないという選択を行動に移して物語は完結する。つまり、一人の部屋で重力に身を任せふらふらすることを選んだのだ。
彼が、試験管から生まれ、感情を知らずに生きていたら、ユートピアの住人でありくすぶる男となっていたのだろう。

ヒロインを代表とするユートピアの住人にとっては、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。そもそもハッピーが日常でバットを知らないのだから、ただの日常が終わりを迎えただけなのである。常に変わらぬ日常が永久に続く。死ぬまで続く。それ以上の幸せはないところに生きている人は、自分を幸せだと思えるのだろうか?
いづれ、退屈を感じた時に、死がそこから逃れる唯一の希望になるのだろう。それは、野生の男より、もっと哀れな最期なのかもしれない。少なくとも野生の男は、自分で考えて多くの事を学び、それを生かしてほしいものを手に入れる喜びと言うものを知っていたのだから。

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