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木村 和史/木村和史農園

法人名/農園名:木村和史農園
農園所在地:香川県丸亀市
就農年:2023年
生産品目:シャインマスカット、ほうれん草、ダイコ菜
HP:https://kimura-nouen.jp/
SNS:https://twitter.com/kazushifarm

no258

 400m陸上の日本代表からシャインマスカット農家へ。「今度は食でスポーツを支えていく」

■プロフィール

 香川県宇多津町のほうれん草とダイコ菜を作る専業農家の5代目として生まれ、子どもの頃から農家になることを夢見る。
 
 しかし、小学を卒業する時点で体重30kg台と華奢な息子を心配した両親から体力作りを勧められる。そこで小・中学校では、国体選手だった母の影響でバスケットボール部に入部し、香川県立坂出高校では陸上競技部に入部。
 
 2011年、IPU・環太平洋大学次世代教育学部に入学後も陸上競技を続け、2012年にはU-20日本選手権での優勝に続いて、U-20アジア選手権でも2位に輝き、U-20世界選手権にも出場。2013年には日本学生陸上競技個人選手権大会で400m1位と、400m陸上を主戦場に活躍する。
 
 2015年の大学卒業後は、株式会社四電工に入社し、香川支店営業部配属の陸上部に所属。2016年、2019年と全日本実業団対抗陸上選手権400m男子で1位に輝く。

 2017年に出場した関西実業団陸上競技選手権大会では、200m、400m男子ともに1位となる。 同年、日本陸上競技選手権大会では400m男子3位。8月にロンドンで開催された世界選手権(4×400mリレー)に出場。

 2019年には国体優勝。
 2021年に地元香川県での試合を最後に、28歳で現役引退を発表。
 
 2022年4月、香川県の農業大学校に入学し、60年以上のベテランぶどう農家・稲尾正成(いなお・まさしげ)さんを師匠にシャインマスカット栽培を研修。

 2023年4月、高齢を理由に数年以内に引退を予定している稲尾さんから経営を継承し、ガラス製のハウス6棟を借り受けて木村和史農園を設立。ふるさと納税支援企業と提携して、「産直アウル」内に出品するなど、就農前から注目を集める。

■農業を職業にした理由

 野菜の専業農家の5代目として生まれたため、幼少期から畑で遊び、農業に慣れ親しむが、一方で小学校時代から食が細く、小柄で痩せていた。

 母はバスケットボールの国体選手、祖父は丸亀市の国際ハーフマラソンを5連覇したという体育会系一家で育ったことから、華奢な息子を心配した両親から「農家になるためには体力をつけなければ…」と勧められ、小・中学校時代はバスケ部、高校時代には陸上部に入部。高校では良き指導者に恵まれて、400メートルでインターハイにも出場した。

 大学を卒業したら農家になろうと、農学部のある大学を受験したが第一希望の大学には入れなかったため、両親からは浪人するか、体育系大学で陸上を続けるか選ぶよう迫られ、スポーツの盛んなIPU・環太平洋大学次世代教育学部に入学。

 20歳でU-20日本陸上選手権大会での優勝をはじめ、世界選手権に出場するなどの華々しい活躍で注目されるようになる。卒業後は農家になるつもりだったが、両親から「自分たちはまだ若いので、そんなに急いで後を継ぐ必要はない」と諭されて、四電工に就職、地元香川支店の営業職をしながら陸上部に所属し、男子400mを中心に国内外の大会で優れた成績をおさめる。

 東京オリンピックへの出場をひとつの区切りとして引退を考えていたが、コロナ禍で国内大会の開催が次々に立ち消えになるなか、競技に対するモチベーションを維持することが難しく、28歳になった2021年、地元香川での出場を最後に引退を表明した。

 当時、母の友人の父親で80代のベテランぶどう農家・稲尾正成さんが、高齢を理由に引退を考えていることを知り、果樹農家になることを決意。引退後にすぐ地元の農業大学校に進み、果樹コースを選んで、稲尾さんのもとで研修を受けた。

 大学を卒業した2023年4月、稲尾さんが所有していたガラスのハウス6棟がある農地を借り受けて、木村和史農園を設立。

 春〜秋は木村さんの指導を受けながらシャインマスカットを生産し、秋冬は両親の畑でほうれん草とダイコ菜の生産を手伝ったり、地域の高齢農家から耕作放棄地の草刈り作業などの委託を受けている。 

■農業の魅力とは

 子どもの頃は食べることにあまり興味がなく、小学6年生の時も身長145cm、体重30kg台と小柄でした。バスケ部に入った中学時代には身長こそ伸びましたが、箱根駅伝に出場するような体格で、米俵も持ち上げることができなかったほど(笑)。

 両親はそんな息子を心配して「農家になるなら体力つけないと」と運動の道へ導いてくれました。農業する親の姿を見て育ったので、アスリート引退後に農家になることは既定路線でした。

 本来は大学を卒業したら就農するつもりでしたし、社会人になってからは、2020年の東京オリンピック出場をひとつの区切りにしていたので、コロナ禍で開催が1年先送りになったり、国内の予選大会の開催が危ぶまれるなか、アスリートとしてのモチベーションを維持するのは厳しかったです。

 地元で仲良くしているイチジク農家は、僕より若いのに法人化して従業員も雇用しています。それでも、アスリートとして日本を代表するスポーツ選手たちが集まる国立スポーツセンターを体験できたのは、これから農家としてのキャリアを築いていくうえでプラスになりました。

 例えば、国立スポーツセンターの食堂は、1日400〜1,000人のアスリートが利用するのですが。そのなかには、体重を落とさなければならない人もいれば、増量しなければならない選手もいます。でもどんな種目、選手であっても食事を抜いてはいけません。

 アスリートとしての経験があるからこそ、「バランスの良い食事」を取れていなければ、病気やケガをしたり、疲れが取れにくい、やる気が起きないなどの弊害があることが理解できるようになりました。農業経営のモットーとして「食でスポーツを支えたい」と考えています。

 例えば、シャインマスカットには抗酸化作用があるとされるポリフェノールが含まれているので、美容だけではなく、老化や酸化を防ぐ効果が期待されます。食べてもらった陸上選手には、疲れが取れたような気がすると喜んでもらえました。

 また両親の畑ではほうれん草も作っています。鉄分が豊富ですから、将来的には、僕が作ったシャインマスカットや野菜が、アスリートのための食事に採用されるのが夢なのです。

 師匠の稲尾さんのブドウ作りは、マスカット・オブ・アレキサンドリアに由来しているので、今の主流であるシャインマスカットの栽培方法とは異なります。ガラス製のハウスは、ビニールハウスに比べて保温効果が高く、燃料代の節約、二酸化炭素の排出量を減らす側面からも暖房を使っておらず、一般的なシャインマスカットより2カ月近く早く出荷できるのも特徴です。
 
 シャインマスカットを作る農家が増えて、2023年は販売価格が下落しましたが、師匠譲りのシャインマスカットは、化学肥料は一切使わず、ハウスの裏にそびえる飯野山から流れてくるミネラル分たっぷりの雨水と土壌によって育った甘味と酸味が絶妙なバランスに仕上がっています。
 
 シャインマスカットは、成長段階や季節ごとに水やりの加減が難しく、タイミングや水量を間違えると、根腐れしたり、実が裂ける恐れがありますが、師匠は60年のキャリアから、土を見ただけで適切な水分量がわかります。

 残念ながら師匠のデータは残っておりませんから、就農2年目の僕は、水分計を使って師匠の行動を観察しながらデータを集めたり、病害虫の心配がある場所をくまなくチェックしたりと毎日が勉強です。

■今後の展望

 地元には30〜40代の若手農家が少なく、先輩農家からみたら僕らは孫の世代ですから、草刈りなどの農作業を受託することも少なくありません。もともと農家が少ない土地なので耕作放棄地の問題は、数少ない僕ら世代が中心になってなんとかしていかなければなりません。

 師匠は80代で数年以内に引退を考えています。現在は僕が借りている30アール(a)でシャインマスカット、師匠が所有している20aの畑で桃を作っていますが、いずれはどちらも譲り受けて、50aに拡大してシャインマスカットを作る予定です。

 そのためにはハウスを増築しなければならないのですが、資材も高騰していますし、ガラス製で作るとなると数千万円の資金が必要になるのが目下の悩みです。

 ぶどうの木には寿命がありますから、少しずつ成木を新しいものに入れ替える必要があります。師匠はマスカット・オブ・アレキサンドリア由来の整枝方法でシャインマスカットを育てていましたが、新しく導入する苗木からは、作業効率がよく、現在主流のH型と呼ばれる仕立て方と比べて、どちらの作り方が僕に適しているのかを知っていきたい。

 ぶどうの産地というと長野県や山梨県、岡山県が知られますが、実は香川県は全国に先駆けてシャインマスカットを導入し、過去には東京の大田市場で販売価格1位を記録したこともあるのです。

 国内の生産者は増えましたが、形のいいものを作れば値崩れはしません。また一般的なシャインマスカットのピークである9〜10月より早出しできるという最大の特徴を武器にしていきたいと思います。 

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