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石丸 智仁/石丸農園

法人名/農園名:株式会社修斗/石丸農園
農園所在地:愛媛県松山市
就農年数:15年
生産品目:伊予柑 温州みかんなど柑橘20種類、ゼリー、マーマレード
HP:https://ishimaru-nouen.com/

no.151

伊予柑畑を次世代に残したい。6次化し、苗木を植える

■プロフィール

 愛媛県で50年以上前から伊予柑を中心に柑橘類を生産する農家の5代目として生まれる。

 東京理科大学進学を機に上京し、兄とともに食品加工の会社を起業したが、25歳の時に、家業の農園を仕切っていた祖父ががんにかかり、両親だけでは農業経営が困難になったことから、食品加工会社の経営は兄に任せて、Uターン就農。

 安価な輸入オレンジによって国産ミカンの価格が低迷し、伊予柑の産地である松山市でも廃業したり、耕作放棄地が増えるなか、通年で収益を確保するために、ジュースやゼリーなどの6次化加工に力を入れ、成長を遂げる。 

 伊予柑の産地を守るために、木のオーナー制度を進めてきたが、2022年からはANAグループと連携して、耕作放棄地を再生利用するために、苗木を植樹する「農園プロジェクト」をスタートさせた。

■農業を職業にした理由

 ミカンの産地として知られる愛媛県でも、松山市は伊予柑が特産品。

 糖度が高い高級柑橘類の人気や、安価な輸入オレンジに押されて、伊予柑の価格が暴落し、高齢化によって多くの伊予柑農家が廃業を余儀なくされる現状に直面して、子供の頃から農作業を手伝ってきた伊予柑畑の風景を守りたいと、25歳で就農を決意。

 がんを患った祖父に代わって栽培に挑戦したところ、B品が多くできてしまったことから、廃棄はもったいないとして、BtoC向けに6次加を進めようと、ジュースやゼリーなどの加工を始め、経営を立て直す。

 松山空港や松山城でのジューススタンドやソフトクリームなどがメディアを中心に話題を集め、収穫がない夏場の収益化につながった。

■農業の魅力とは

 校長先生だった祖父の時代には、コンテナ一杯8,000円で売れた伊予柑が、今では、4分の1に下落しています。

 「せとか」や「紅まどんな」など濃厚な品種の人気の影響もあって、伊予柑は手を汚さないと食べられなかったり、手軽で便利なものがウケる現代の流行からは逆行しています。

 ゼリーやソフトクリーム、ジュースに加工することで、一般の人に食べてもらう機会が広がりましたが、単純な6次化ではありません。

 どの時期に、どの品種を、どんなふうに加工したら、美味しさを最大限に引き出せるのかは、熟知している農家にしか作れないもの。スイーツごとに専用のミカンがありますから、加工は栽培時点から始まっているのです。

 また、販売スタッフにも収穫を体験させることで、お客さまにミカンの特徴を正しく伝えています。非効率的に見えますが、栽培を経験することで、年ごとに異なる微妙な違いを感じ取れるようになります。

 それもすべて伊予柑を守るため。ミカンを通じて関わりができた人たちと良い関係性を築くことが、愛する伊予柑畑の存続につながるのです。

■今後の展望

 僕は経営というより「行商」が好きなのです。

 経営は効率を重視しますから、収益にならない無駄を排除しますが、会社の利益ばかりではなく、時代の流れに合わせて、次世代に残せるミカン農園を目指しています。

 祖父はよく、新しい畑に木を育てて1トンの収量が得られたら、次の年には1.5トンを目指すのではなく、同じ収量でいいから「もっと美味しいもの」を作ろうと言いました。

 農家はよく人件費を売上原価に入れないと批判されますが、小さな頃から農作業が生活の一部になっていますから、事業を拡大するより、生まれ育ったミカン農園の風景を次世代に残したいという気持ちが強いのです。

 ANAグループと連携して、耕作放棄地の再生や、ミカンの木のオーナー制度を始めたのもその一環です。また、柑橘類の産地が多い西日本では難しいですが、ミカンが取れない北海道や東北にはこれからも販路拡大のチャンスがあると思っています。

 札幌の百貨店で松山展を開くと、毎日100万円単位で売れていきますから、伊予柑の魅力を知らない地方の人にもっと広めていきたいと思っています。

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