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【歴史の話】【#読書感想文】ぼくたちは「農耕民族だから平和的だ」という先入観を見直すべきかもしれない

はじめに


 「西洋人は狩猟民族だから好戦的で、日本人は農耕民族だから平和的」
 というイメージを筆者は持っているし、同じようなイメージを持つ日本人はかなり多いのではないでしょうか。

 そのイメージは、事実とは異なるらしい
 実は古代史の分野では、これから書くようなことがすでに分かっているようなのです。
 さらにこの記事では、日本人の平和感に斬り込んで、今現在日本でDXが進まないことの考察まで、書いてみたいと思います。

農耕と戦争

 本格的な農耕が始まった弥生時代に、本格的な戦争も始まっています。
 おなじみの『後漢書ごかんじょ東夷伝とういでん』『魏志ぎし倭人伝わじんでんに記録される、二世紀後半の倭国大乱わこくたいらんが典型的です。
 文献の上だけでなく、実際に遺跡からの出土品でも、武器や外傷のある骨などが急に多くなります。

 そのような戦争は金属器の普及が原因だと思いがちですが、逆に主な原因は農耕の方にあると考えるほうが合理的です。
 つまり、農耕を開始したことで富の蓄積が進み、土地や、水利権や、余剰の食料をめぐって争うようになるということです。

 石器から金属器への進化は、古今東西の科学技術の進歩と同じく、戦争の原因ではなく、戦争を有利に進めるための手段にすぎないわけです。
 同時に、鉄器は農業生産力を飛躍的に上げて、富の集中を加速しました。

 そして、大陸からの鉄の輸入ルートという利権が脅かされることは集団の死活問題であり、血を流してでも守らねばならない。
 二十世紀では、そこに石油が加わりました。
 そう、農耕民族は利権を守るためなら、死に物狂いで戦うのです。

 このような歴史学者の成果を分かりやすく一般人につないでくれるのが、在野の歴史研究家やライターということになります。
 しかし、彼らは諸説あるうちの一説に強くこだわってしまうことが多々ある。
 そのような諸説のうち、エンジニアの自分から見ても説得力があると思えることが書いてあったのが、この一冊でした。

「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける (PHP研究所)

縄文人は戦争を誘発する農耕を狂気とみなした?
(p.127)狩猟社会では、食料の種類は豊富だったが、農耕の場合、資源は単一化する。
 不作になれば、命がけでよそから食料を奪ってこなければならない。ここで、戦争が始まる・・・。
 しかも、土地や水利の奪い合いも起きるわけだから、恨みが恨みを買い、戦争は反復し連鎖していく恐れもあった。
 もう一つ、定住生活の始まりが、戦争を招く可能性がある。苦労してせっかく開墾した土地で、人びとは農耕を営む。
 土地に対する執着が、排他的な発想に結び付いていくというのだ。

(p.197)優秀な海人だった縄文人たちは、中国大陸で何が起きているのかを知っていたと思う。
 農耕を選択し金属器を手に入れた漢民族は、森の樹木を冶金の燃料とすると共に、耕地を拡大していったのだ。
 その結果、富は蓄えられたが、森(大自然)は失われ、戦争も始まった。

(p.198)縄文人たちは、技術が無かったから水田稲作を行わなかったのではない。
農耕の狂気、金属器の無謀を、知り抜いていたとしか思えないのである。

「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける (PHP研究所)

 これらは全て同書の前半部です。前半での関氏の結論はつまり、「縄文時代という平和な時代を、農耕技術・金属器という文明の利器が乱した」ということです。

 同書の後半にはヤマト政権の成立過程や、一神教(キリスト教や国家神道)を手にした諸民族が増長して攻撃的になった過程など、より広い範囲の仮説も含まれていますが、それらはまさに諸説の中の一説であると感じます。

 筆者がこの記事で紹介するに値すると判断した内容は、先に引用した前半部分と、このまとめの一節ということになります。

平和な時代に戻りたいと願った日本人
 日本人は、ことあるたびに、「昔に戻りたい」と、請い願っていたのではあるまいか。
 争乱の時代がつづくと、「戦争をやめて、昔のように、穏やかに暮らしたい」という願望が、首をもたげるのだ。

「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける (PHP研究所)

産業のコメ

 ここからは、関氏の持論とは違って、あくまでも筆者の私見です。

 戦争のない平和な時代。それは稲作の導入を拒否して小さな集落で暮らした縄文時代であり、遣唐使を廃止して国風文化が栄えた平安時代であり、海禁政策を徹底した江戸時代であり、米国の保護の下で内需拡大に専念できた20世紀後半でした。(余談ながら、関氏の持論では、平安時代は「藤原氏が富を独占した暗黒の時代」ということになります。)

 このように、島国の日本では、外国との門戸を閉ざす(または、小さく絞る)ことで平穏が訪れるという幸運がたびたびありました。

 結果として日本人にとっては平和と鎖国はイコールであり、鎖国を好むようになっていると考えます。

 門戸をこじ開けようとする者は、平和を乱す厄介者。それは農耕技術を持ってきた渡来人であり、蒙古襲来であり、黒船であり、インターネットでした。

 1980年代から、鉄鋼に代わって半導体が「産業のコメ」と呼ばれるようになりましたが、何と示唆に富んだ喩えなのでしょう。

 日本でDXが進まないのは当然だと思います。なぜなら、世界中に自分たちのプラットフォームを押し付けるGAFAM(や、Qualcomm, nVIDIA)の存在は、現代の黒船そのものなのですから。
 (ここでの「黒船」は、既得権益者を時代遅れにする者という意味です。持たざるものにとっては好機なのですが。)

まとめ

 歴史を紐解くと、「日本人は農耕民族だから平和を好む」という事実はありません。農耕民族といえども、利権を脅かされれば全力で戦います。
 そうではなくて、日本は島国であるため、鎖国を繰り返すことにより(つかの間の)平穏を享受することができた、というのが実情です。

 私の信ずるところによれば、最近数世紀の(日本国の)歴史は、実際大して重要なものではない。何となれば、その打ち続く長い平和の間、万事旧態のまま推移し、外国と交渉しなかった日本は、全く桃源の夢をむさぼっていたのであるが、突如その夢を不本意ながらにまされたのである。

『長崎海軍伝習所の日々』 カッテンディーケ・著 水田信利・訳

司馬遼太郎『胡蝶の夢』第二巻

 外国の進んだ科学技術は平和を乱すものとして嫌悪されますが、それは平穏だった時期に積み重ねた既得権を過去のものにするからでしょう。
 令和の今でも、特に既得権益を持つ人たちにとっては、何か理由をつけては国を閉ざしたいのが本音なのではないでしょうか。

貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。