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予定日過ぎても出てこないBaby、陣痛促進剤の痛みーママこそ贅沢をー

だらしない生活のせい?

出産ーー血液採取でさえビクビクしている私(子どもを産む母とは思えない弱メンタル。何回もやれば慣れるものかと思ったら、そういうものではなかった)が乗り越えられるものなのだろうかって予定日が近づくにつれドキドキしていた。さくらももこのエッセーで、帝王切開は産むときは楽だけど産んだ後が激痛って読んで、それでもいいから帝王切開がいいってほざいていたくらい、自分の股を通って人間が出てくることが全く想像できず、怖くて仕方なかった。

ドラマで見るような破水が起きるのだろうか、急に痛みに襲われるのだろうか、いろんな想像を膨らめながら、早く出てこないかなーって気持ちとこのままずっと中にいてくれたら楽だなーって気持ちと共に、お腹を愛でて日々が過ぎていった。

しかし昼夜逆転生活、夕方に起きては夜通しずっとNetflixを見てほとんど動かずにいるという妊婦らしからぬ怠惰で不規則な生活をしていたからか、陣痛の気配は予定日に近づいても全くなく。

とうとう予定日を超え、そろそろ出てこないとまずいって日になっても出てこずに(心音?を記録する時にお腹を揺すぶられても爆睡し続けていた娘=出てくる気全くなし)いよいよ入院して促進剤を点滴しながら人工的に計画的に陣痛を起こすことになった。 

出産当日


11月24日。緊張した気持ちでクリニックへ向かい、陣痛よりも点滴(針をずっと刺したままの状態なんて無理すぎ)に恐怖しながらワンピースに着替える。誰もいない部屋にベットが一つ。天井は青空に雲が浮かんだ柄になっていた気がする。(夜は星空になって光るみたいな)

樹木希林風のベテラン助産師さんのどんと構えた対応と雑談に少し安心させられて、午前10時、点滴投入。

陣痛の間ウイダーとかいろいろ飲めたり、自由に動き回ったりするイメージをしていたけど、点滴されてるからってなんとなく動いちゃいけないような気持ちになって、ずっとベッドの上で横たわっていた。

ときどき担当の先生とか助産師さんが様子を見にきて話しかけてくれるけど、基本一人。これからどんな痛みが襲ってくるのか、どんな感じで苦しくなるのか、ただただ心細く不安な気持ちで構えていた。

午前中はそこまで痛みがなく、出されたお昼ごはんももりもり食べた。

15〜16時ごろ、波のように痛みが押し寄せてくるようになった。とてつもなく大きなものが下から出てこようとしている痛み。いつまでこの波の緩急が続くんだ、ってしんどかった。ー後に促進剤の陣痛は自然じゃないから、めちゃくちゃ痛くて辛いらしいと聞いて安心した。痛みに弱い私だから痛いとかじゃなかったことに。だよね、痛いわけだってー

相変わらず心細かったけれど、出てこようとしている赤ちゃんも頑張っているのだと思うと、心強い気持ちになった。「頑張ろうね」って呟きながら呼吸に意識を向けた。

このしんどい姿、死ぬ気で力を振り絞る姿は誰にも見られたくないかもって気もした。

痛くなっては少し和らいでの繰り返しに疲れ、だんだん痛みの間隔が短くなってきて、いつの間にか思い切り力まずにはいられないところまできていた。

それを見た助産師さんが慌てて「もう生まれそう笑」って予想外に進みが早かったらしく、バタバタし始める。

一気に力みすぎずに呼吸で調整しながら、力むところで力んで、、、、

会陰切開を恐れてオイルマッサージをしてきたのも虚しく、見事にジョキッと切られ「頭出てきたよ!!」と言われて見ると宇宙人みたいな大きな目をした小さな赤ちゃんの頭が見えて、顔がほころぶ。もうここまできたら大丈夫だって束の間の安心。

頭が出てからは一瞬だった。
するんって出てきて、一拍置いて、小さな泣き声が聞こえてきて今度こそ、ほんとの安堵。

樹木希林風のベテラン助産師さんーー陣痛中も産む時も入院中も、この人の立ち居振る舞い、会話にものすごく安心させられたし励まされた。心強かった。ーーに産んだ直後「優秀優秀」だか「偉い偉い」だか「上手だったよ」だか「頑張ったね」みたいなことをにっこり笑顔で言ってもらえて、すごく嬉しかったのを覚えている。

朝10時から点滴を打ち始めて、本格的な陣痛が14~15時ごろ?始まって17時12分誕生。あっという間だった。ジェットコースターだった。

不思議な感じ。自分がもう一人を生み出した。

アドレナリンが出ているからか、その日は興奮して眠れなかった。さっき生まれたばかりの小さな生き物が気になって。気持ちを落ち着かせようと叶姉妹のポッドキャストを流しながら寝たら、いつのまにか眠ることができた。

めちゃめちゃ安産。感謝。
頑張ったね、私たち。

出産直後の生活、気持ち


次の日の朝、珍しく早起きして(多分まだアドレナリンが持続してて)勉強中だった保育士のユーキャンを開くも、文字が内容が全く頭に入ってこない。チーン。諦めた。

産前と産後でこんなに自分のコンディションが変わってしまうなんて、これは体感しないとわからない。母から、産む前に始めるなんて絶対続けられないよ無理だよって言われた意味がここにきてわかった。

起きてすぐの採血、出産の痛みを乗り越えた直後なら平気かと思いきや(マシではあったけど)無理なことに変わりなかった。やっぱり別物らしい。

ノックが聞こえて、小さなベットに寝かされたベイビーが部屋に入ってきた。愛おしさと不思議さで溢れて夢みたいな感覚。これが今日からずーっと私の近くにいるんだ・・・って思うと、ものすごく変な感じだった。

ご飯をもりもり食べ、授乳に苦戦し、名前に悩み、何をしても泣き止まない赤ちゃんに困り果て・・・

私がみていたい!って気持ちが強くて、昼も夜も頑張った。赤ちゃんが寝ている時は一緒に寝ればいいのに、つねに戦闘態勢、覚醒モードみたいな。寝顔も観察していたい!って。ご飯を食べるときも預ければいいのに、抱きながら食べていた。泣いてる時はずっと抱っこしてあげたい!みたいな。

そんで、何しても泣き止まなかったのに、看護師さんがきて抱っこ交代するとピタって泣き止んだり「オムツかな?」って換えたら泣き止んだりして凹む。「オムツだったか!!」って一人で悔しがる、みたいな。笑 

今思うと、退院後は嫌でも自分一人で見なきゃいけなくなるんだから、産んだ直後の病院にいる間くらい助産師さん看護師さんたちの力借りて頼って預けて、一人でゆっくりする時間取ればいいじゃんって感じなんだけど「頑張りたい!!頑張らせて!!」って気持ちがとにかく強かったんだろうな。

あとは、ホルモンの影響で普段の何倍も過敏に感じやすく揺れやすくなっていて、心がグラグラだった。ちょっとのことに泣けては、揺れては、傷付いては、怒っては、些細なことをずっと引きずっていた。

裂けた股、悪露、母乳で張る胸、普通に排泄できて、座れて、歩けるってありがたいことなんだなあってことも感じた。

家事も掃除も、やったら命取り。できなくて当たり前。
周りの人の助けが必要。助けてあげてください。(←距離感難しいかもしれない、、、。積極的にやってあげたらやったで私がやりたいのに!ってなるし、やらなかったらやってよ!ってなるみたいな笑 だからママ自身も手放す、任すって心持ちが大事なのかもな)

生まれる前はあんなに暇で余裕があったのに、生まれてすぐやることが盛りだくさんに忙しくなる。お風呂の入れ方、ミルクの作り方あげ方、おむつの替え方、服の着せ方、抱っこの仕方、、、、たくさん配られるチラシや冊子、そこに書かれた情報も消化できずに溜まっていく一方。

何にも入ってこないです、今。って感じで、興味関心は赤ちゃんのみ。

小さな命を守らねばという使命感とまだ頼りない不安な気持ちと共にお世話をする。自分が生み出した、自分に似ているようで、全く別の人間。

それが隣に寝ていることがやっぱり不思議で、お腹のなかにいたはずの存在がここにいるってこと自体が可愛くてしょうがなくて、実際に出てきてくれたことで心強い気持ち、どこかむしろ孤独で心細い気持ちが入り混じって、感情も忙しかった。

病院での出会い


1日違いで生まれた子のママが2人いた。貴重。何度か会っていて、自分の子と合わせてその子たちの成長を見ていると、より感慨深さが増す。同じ病院で1日違いで生まれたんだなーすごいなー、大きくなっていってるんだなーって。

自分はきっとママ友とか苦手だろうな、無理だろうな、めんどくさいだろうなとか思ってたけど、案外、楽しいし面白いし心強いし頼りになるのかもと思い始めている。これも子どもが産まれたが故の自分の新しい扉の開拓。

産んだ病院はできたばかりの綺麗な(プリンセスをイメージした?)クリニックで、とても快適に過ごせた。

アロマディヒューザーが置いてあったり、エステのサービスがあったり、ニューボーンフォトのサービス(めちゃめちゃ良かった。すごい可愛いの撮ってもらえる。一生残るそのときだけのもの。払う価値あり)もあったり、食事も華やかで、1日だけコースディナー(ノンアルのシャンパンもグラスに注がれた)があったりして、産後を少しでも心地よく気分よく過ごせるためのエッセンスとこだわりが所々に散りばめられていて、よかった。

そこで体験したエステは今も通っていて、通い始めてから、ものすごく肌の調子が良くなった。学生時代の肌は汚かったので、久しぶりに会う友達に「肌綺麗になったね!」「マジで綺麗。こんな綺麗な肌なかなか見ないよ」と言ってもらえるくらい変化があった。

出産を期に時間がなくなり、肌の手入れがテキトーになってしまうのではなく、むしろ出産というイベントをきっかけに自分の肌、使っているもの、手入れの仕方を見直すいい機会に、チャンスにしてしまえばいいんじゃないかってことを体感した上ですごく思う。

だから産院でエステサービスがあるのって、入口としてすごくいい。きっかけとして入りやすい。

エステは気持ちよくて、肌も心も満たされる。そして基礎化粧品等々の質と使い心地がめちゃめちゃにいい。肌感覚で、あ、いいなこれ、他と違うなってなる。肌に合うのがわかるというか、やさしく馴染むというか、いいもの使ってるな、って気分の面においても、とても潤う。(ちなみに、ふかきょんのCMでお馴染みのエステ)

そこが出してるモノ自体がいいっていうのもあるけど(国に認められてるやつらしい)エステの人がまたすごくいい感じで、洗顔の正しい知識、メイクの仕方、マッサージの仕方などわかりやすく伝授してくれ、ケーキとお茶も出してくれ、ゆっくり話を聞いてくれる。

ただただ楽しく喋って気分転換、ストレス発散になったり、そこで感化されたり、自分の頭の整理の時間になったり、カウンセリング的な要素も大きくて、そういう時間が子育てしながらとれるってすごくありがたいし、大事だと実感している。

いろんな情報をくれたり、アドバイスしてくれたり、意見をくれたり、気づけば私のメンター的な存在になっていたエステセラピストのTさんはあと3年するといなくなってしまう。悲しい。

美容師さんとの相性もそうだけど、そういう方がいなくなってしまうのって、友達が引っ越してしまうのと同等に(いやそれ以上に?)ぽっかり穴が空いたりする。なかなか次の相性がいい方を見つけるのって難しい。

Tさんは「ママさんたちにもっとお肌のお手入れをメイクを楽しんでほしい!」って気持ちで発信していて、確かに「ママだから時間がないからやらない」ではなくて「ママだからこそやるべき」だなって共感する。

綺麗でいることって大変で手間でめんどくさいことに思えるかもしれないけど、実際は楽しくて気持ちよくて嬉しいこと。少しでもいいから気にかけて、ママが綺麗でいることで、余裕ができて、子どもも嬉しくて、ってなったらめちゃめちゃWINWIN。いいことだらけだって思う。

自分のお肌に毎日つけるものだから、いいものを使う。
1日の中で自分のお肌と丁寧に向き合い触れる時間を取ってみる。月に1回、そんなに高くないお金を払って、エステでじっくり綺麗にしてもらう。

エステって言うと(とくにママがエステってなると)「贅沢」だったり「ありえない」って声もまだまだ出てきそうだし、自分自身も「エステ行ってる」って言うことに引け目を感じる部分がある。

確かに贅沢ではある、お金も多少はかかる、でも肌が綺麗になる。だけじゃなく、それ以上のこと、人生を左右するほどのプラスな影響がたくさんある。肌が綺麗であることってそれくらい強いパワーを持ってる気がする。

ママこそ贅沢をすべきであって、ママが「我慢」ではなく「贅沢」をすることで、生まれるポジティブな影響がたくさんあると思う。

我慢って結局自己完結なことが多い、どころか「我慢させちゃってる・・・」って周囲の気持ちもダウンさせて「だから私も我慢・・・」みたいに縮こまりが波及してしまうというか、周囲の気持ちをも縛ってしまう気がする。

「エステ」って響きが、ラグジュアリー感出してしまうから良くないのかもしれない。もっとママたちがカジュアルに一般的に堂々と普通に通えるものになったらいい。脱毛みたいに。

出産からだいぶ話が逸れてしまったけど、ママこそ、我慢ではなく贅沢を。

追加で記しておきたいこと


子宮と頭皮は繋がっていて、シャンプーの香りが羊水からしてくるらしい。だから「妊娠中に髪を染めない方がいい」みたいな情報があるのか、って妊娠して間もなく髪を緑色に染めていた私は今になって後悔する。

妊娠してすぐお酒とタバコが不味く感じるようになったのも、母の本能。

娘を妊娠した時「なんでいま?」という声が聞こえたけど、そうじゃなく「いまだからこそ」だったんだと思う。

父が倒れた代わりかのように生まれてきてくれて、家族みんなに元気と活気を与えてくれた。

子どもと二人きりで過ごしていると、子ども向けの音楽漬けになって頭がおかしくなりそうに、よくわからなくなってくることがあるけど、そんな時に余裕を少しでも持って、生まれた時の瞬間を思い出すと、愛おしさを取り戻せる。こいつ、お腹の中にいたんだなーって思うと途端に「頑張って生まれてきてくれてありがとう」って思う。

娘は寝る時よく、壁や布団をバシバシ蹴っているけど、それを見ると、お腹の中でもびっくりするくらいぼこぼこ蹴ってきたことを思い出す。蹴って楽しんでたのかなーとか思うと笑みが溢れる。


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