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不自然な文章とは?

ChatGPTの記事に、AI が書く文章は不自然な日本語だ、不自然な表現だという風に書いてありますよね。

AI 特有の不自然さというものを感じることは確かにしばしばありますが、日常的にいろんな文章を読んだりしてきている印象としては、不自然な日本語、不自然な文章というのは割と溢れているもので、全てがある程度整った、自然な文章であるとはいいにくい面はあると思います。

どちらかと言うと、不自然さよりは固さだったり、それぞれの人に付随する癖みたいなものが、ChatGPTにもあるような感じがします。

だから、ChatGPTが作った文章が見抜けるかどうかという議論をするくらいなら、なおさら使いこなしChatGPTの癖を知り尽くすぐらいのイメージが必要なのではないでしょうか。

最初にも書いたように、神屋は多くの人のnoteや記事を読んでいます。やはり、プロが書いたような記事は癖が少なく、標準的な書き方がされていたりしますが、素人が書くとある程度はその人の癖が文章に反映されていると思います。

もちろんプロの作家さんやライターさんこそ、特有の言い回しや癖を出して特定付ける高度な技術があったりもすると思います。読み慣れてくると、「あ、この文章は誰々さんのものかもしれない」と感じたりします。

そういった意味で、教育現場においても、 生徒の文章を普段から読んでいれば、ChatGPTの文章と生徒の文章の見分けはつくのではないでしょうか。

例え、多くの場面でChatGPTを活用したとしても、その人の感覚や思考に寄り添うように加工したり、修正したりする中で、どうしてもChatGPTから離れ、手入れしているその人に寄せていく形になると思います。ならば、そこに癖が表れてくることでしょう。加工する技術を学んでいくことの方がこれからの時代に重要なのではないでしょうか。

ランニングでもよくあるのですが、正しいフォームというような言葉を時折、見かけることがあります。果たして正しいとは何でしょうか?その人の癖や競技歴やパフォーマンス、能力・・・

そういった全てを鑑みた上で正しいと言う、科学的知見に基づいて導き出したものならばあり得るかもしれませんが、一律的な正しいは存在しません。走ってる姿を見ると、割とその人を特定できたりするし、個性や癖を感じます。

一部だけ意識して「正しい」。こう考えて一律を求めて練習したり、フォームを作っていったとしても、やはりそこに固有の癖が出てきます。

ですので、ランニングフォームについても明確な固有差が見えてきます。どうやっても人間の癖というのは、消えるものではないと思います。

不自然かどうかというのを考えるのって、ある意味でそれこそが不自然的な考えに感じます。あまりその辺を考えすぎず、自由な感覚で創作や物事にあたってみる方が自然な気がします。

このnoteが何かの参考になれば幸いです。


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