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改めてヒトがチャレンジしていくことの価値は向上するのでは?

ChatGPTが登場し、創作する価値がどうなっていくか。その出来た作品はChatGPTで創作したものと比べて、どういう評価を受けるのか。その存在意義はどうなのか。

そういったことを考えてしまうような状況へさしかかってきています。しかし、スポーツもそうですが、もしロボットが速く走っても、その価値が人間と比較し、認められるかというとそうではないと思います。最初は面白いかもしれませんけど。

もちろんロボットをペーサーにして、サポートに使うという意味ではありかもしれません。そこまでまだまだ時代も行っていないと思いますが、そういった活用という発想では意味があると思います。

ただおそらく、自分がプレーをするにしても、見るにしても、ランニングを人が行う価値というのはいささかも棄損することはないと思います。

同じように、AIが良い音楽を作ることができるようになってきました。もちろんそうであれ、何であれ、AI がそれなりのレベル、クオリティで作成可能となっていくでしょう。

演奏もミスすることなく、完璧なものと なって人々に届けることができるでしょう。それはそれで素晴らしいし、価値が高いとは思いますが、一方で人の演奏するものは必要ないかと言われると、そんなことはないと思います。

小学生が一生懸命に演奏する。中高生の吹奏楽が 一生懸命に努力し、少しずつ上手になっていく。忙しい社会人が努力して演奏できるようになる。

これはスポーツも同じですが、パフォーマンスはレベルやクオリティだけを基準にするならばAIに負けることもあるでしょう。しかし、そこにストーリーがあり、努力だったり、背景だったりといった部分が感動を呼んだり、価値を高めたりするものだと思います。

むしろ、完璧なものが出てくれば出てくるほど完璧を目指しつつも、まだまだな部分も含めて人が演奏する方がより高い価値を持ち可能性があると思っています。

むしろ、どちらかと言うとこれからそういった方向の価値はさらに高まるような気がします。特にここ数年の社会的状況において、リアルにそういった演奏や、スポーツの場が無かったりしていた分、より需要が高まっているような気もします。

ライブ感、臨場感、そういった文脈の中で行われる演奏会やスポーツはよりその存在感や価値を高める可能性はあります。

今後もAIやテクノロジーが進めば進むほど、かえって人の行うことというのは、そのストーリーや表現方法、発信方法の工夫などを加え、より価値が高まっていくのではないでしょうか?

noteも同じで、ChatGPTの作ったnoteも価値はありますが、一方でその人らしいnote、その人が滲み出てくるnoteはさらに価値が上がるような気がします。

だからこそ、自分の価値や人が何かを作ったり、活動したりプレイしたりする価値を改めて見直してみるのはいかがでしょうか。

他人に対する評価も、自分に対する評価も、改めてみることで、より多く自分の そういった価値が分かってくるような気がします。このnoteが参考になれば幸いです。


こういった感じで発信や創作、フリーで活動するためのノウハウ、こういったテクノロジーをスポーツやコーチに活かす方法。いろんなことが研究材料となると思います。学びに来る方、一緒に研究する方はぜひ登録、参加ください!

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