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一気に10本とか書けたら良いのに

筆がノルではないですが、思い浮かぶだけの量を、思考に近いスピードでどんどん書ければ良いなと思うことがあります。思考に近い速度で言えばやはり会話でしょうか。音声や動画で残していくことも良いのですが、やはり「残す」となると文章が良いと感じるんですよね。

やはりその辺は歴史学科だからでしょうか。古の情報の保管方法としては文章が一番、史料として残っているので。時代が変わり、いろんなツールが生まれてきたのでもしかしたら未来に音声や動画も残るのかもしれません。それでも文章、文字の方が残りやすいと感じるのは頭が固いでしょうか?

その検索性、コピーのしやすさ、気軽さは他の手段と比べても優れているような気がします。書こうと思えば割といつでも、どこでも、ちょっとした隙間時間でも書けますしね。ノイズも気にしなくて良い。だからこそ、多くの書き留めておきたい内容をどんどん書ければ良いのに、と思います。

書けない1番の原因は気力か、体力か。時間がないから難しいのか。それらが絡み合って「できない」となっているのか。優先順位付けの問題かもしれません。「残す」だと意欲が湧き難いですよね。もし最も「伝わる」が文章だと感じていたらもっと書くことにも熱が入るのかもしれません。

そうなると読まれるという自信や実感の方が大事になるかもしれません。もっと読まれるように工夫、環境を作れれば思う存分に書く力を発揮できるのかもしれません。

いろんなことを経験し、知見を蓄えたなら、それを後代に、誰かに伝えたいと感じるのは自然なことだと思います。それを実現する方法は凄く多様に、多岐に渡るようになりました。ただ、だからといって思い通りにいく訳でもありません。それだけ質量ともに増えているからこそ、そこに付随する様々な知見やノウハウを身に付ける、実行することも必要になっていきます。

まだまだ神屋も勉強途上です。学べば学ぶほど、取り組めば取り組むほど、多くの課題や情報、学びが押し寄せてきます。それらをクリアすればより多くのことが待っていることでしょう。そこにやり甲斐も楽しさもあって、こうして書き続け、発信を続けています。



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