見出し画像

6月11日 埼玉西武ライオンズ対広島東洋カープ inベルーナドーム

 昨日ベルーナドームに行って西武対広島の試合を観戦してきました。

 生で野球の試合を観るのは3年ぶりだったのですが、最近はテレビが壊れてBSが映らなかったり、夜バイトのシフトが入っていたり、単純にバラエティの方が見たかったりするのもあって、1試合丸々観るのは久々だなあぐらいの感覚でした。

 つまり、行く前のワクワクする気持ちは訪れなかったのです。手帳を確認して「あっ、この日は友だちと野球観に行く約束してたっけ、だとすると課題はその日できないから前の日か次の日にまとめてやらないとな」、そんな気持ちでした。(”みる”と打って変換すると、毎回”見る”を経由して”観る”にいかないといけないのでめんどくさい)

 今文字に起こして考えると、かなりつまらない生活を送っていたように感じます。「この日は野球観に行けるからそれまで頑張ろう!」とかではなく、「課題やっとかないとな」です。もう一度言います。「課題やっとかないとな」です。この差は近いように見えて歴然としたものです。マックブックとマックシェイクくらい歴然とした差です。

 私は誰に頼まれているわけでもない、大学の課題、笑サーライブに向けたネタ作りの奴隷になっていたのです。自分の中で完璧にこなそうとしすぎてああでもない、こうでもないと頭の中だけで考え、結局学校にも行かず、何も行動しない、という負のスパイラルに陥っていました。

 自分の中で、楽しむ=楽をするという意識が欠けていたのです。だって、何も行動しないのが一番しんどいから。自分の内側ばかりに目を向けて、外で何かを試す、楽しい事をするという意識が全くありませんでした。

 野球場では、論理とか関係なしに、楽しい、ワクワクする、悔しい、格好いい、自分もこうなりたい!、という少年の心が呼び起されました。

 何のために頑張るのかというと、それは、認められたい、好かれたい、負けたくない、笑ってもらいたい、という外でしか成しえない目標のためでした。そりゃあ家にいて自分の心が満たされないわけだ。

 野球は、闘争心が欠如している僕でも、本能的に負けたくないと思える場です。それは、試合開始2時間前から球場の入り口に集うお客さんだったり、そんな人数いる?と思うほどの係員だったり、笑顔で踊り続けるチアガールだったり、グッズショップにいる愛想の良い店員さんだったり、コンコースに連なる出店だったり、健康的なヤジを飛ばし笑いあう家族であったり、一人で静かに戦況も見つめるおじさんだったり、目をキョロキョロさせてお客さんを探すビールの売り子だったり、ノリのいいヤンキーお兄さんであったり、外国人選手なのに3ボール1ストライクからコンパクトなセンター返しをするマクブルームであったり、ベルーナドーム特有の行き帰りの獣道であったり、帰りにウトウトするモノレールであったり、誕生日プレゼントもくれて一日を共に過ごした友だちだったり、そうしたすべての要因がそうさせてくれるのだと思います。

 人といてめんどくさいなと思うことは多々あるけど、人といて自分が予想もしてない感情になるのも確かです。

 野球をやってきて、辛いな、嫌だなと思うことは多々あったけど、たまに試合でヒットを打ったり、いい守備をしたりして、試合に勝ち、皆で喜び合ったときの喜びは何にも代えがたいのです。 

 母から、「よくあんだけ嫌だって言ってたのに野球やってこれたよね」と言われ、確かになんで野球やってこれたんだろう?と今考えると、それはそうした一瞬の、一人では絶対に味わうことのできない喜びがあったからなのかもしれません。

 それに気づいて野球をやめなかった高校までの自分をほめてやりたいです。

 因みに試合は応援していた広島が1-2で惜しくも敗れました。

 自分に何一つ影響ないのにめちゃくちゃくやしかったです。




この記事が参加している募集

#すごい選手がいるんです

2,721件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?