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医療少年院卒を公にしようと思った理由

自分が少年院卒であることを公にするのは、デメリットばかりだ。

私が少年院卒であることを知る人は、現実世界にほとんどいない。

人生を通して様々な経験をし少年院という場所で暮らして、生意気にも子育てや教育について口を挟みたい気持ちに駆られた。

机の上でペンを握っているだけでは分からない、実際のドロドロした部分に気付いてほしいと思ったのだ。

何事もまずは知らなければ、始まらない。

無知は罪だ。知ろうとしないことは、もっと罪だろう。

今日はそんな話をしよう。


日本の少年院は更生とはほど遠いことをしている


何度か皆さんに「更生とはなんだろうか」という疑問を投げかけているが、私の考える更生は社会にとって良い人間になることではない。

自分にとって良い人間になることが、私は更生だと思っている。

どんなに反抗期でも、どんなに思春期でも、どんなにふてくされていても、自分の人生を悪くしたいと思う人はいないだろう。

これでいいや、という諦めはあるかもしれないが、諦める必要がないのなら自分にとって良いと思える選択をするはずだ。

だが、今の日本の少年院で教えていることは、社会にとって良い人間になる方法である。

・どうしたら人に迷惑をかけないか

・どうしたら普通になれるのか

・どうしたらみんなと同じようになれるか

どうして少年院に来てまで、抑圧されなければならないのだろうか?

どうして逮捕されてまで、みんなと同じにならなければならないのか?

そんなに型にはめ込んで、日本は一体子どもになにを背負わせたいのか。

少年院に送致される少年は、他の少年よりも出てしまった杭だろう。

叩き元の場所まで押し込むこともできるが、出過ぎた杭を生かすか殺すかは社会ないし大人次第でないだろうか。

私はヤンキーが好きだ。

嘘をつかず、堂々と生き、友人のためなら命だって惜しまない。

SNSの登場で薄っぺらい関係性が増える中、彼らの考えや論理はとても人間らしいと思う。

「適材適所」

という言葉がある。

フリーランスや会社員など働き方について相談される際によく使うのだが、自分の好き嫌いに関わらず(大抵は無意識に惹かれているが)人には誰しも適材適所がある。

自分では分からないことが多い、自分の良い部分や自分だけの武器を生かすことができる場所は、誰にでも必ずあるのだ。

経験がなければ知り得ないことは誰もが持っている武器で、子どもはその活かし方を知らない。

知っているのは大人だけ、そこへ通じる道を示してあげることができるのも大人だけだ。

今の少年院がやっていることは、個性を殺してみんなと同じようにするだけの刷り込み教育でしかない。

考えさせろ、自分の意思で。何年かかったっていい。

そのために税金が使われるなら、クソミソの政治家に使われるより本望だ。

時間がどれだけかかるかは、個性である。

私のようにアラサー手前までかかる人もいれば、数年で気付く人もいる。

重要なのは、自発的に問題を解決させる力をつけさせることだ。

誰にも迷惑をかけず、みんなと同じことをし、感謝しながら生きなさい。

そんな綺麗事を言っているのではなく、もっと現実で役立つ方法を教えたらどうだろうか。


教師は子どもでいい、大人になる必要などない


申し訳ないが、私は教師が嫌いだ。

先生と生徒を上と下に認識している教師が多いのと、教師以外の社会経験がないくせにさも知ったような口を利くのが理解できない。

少年院には様々な肩書きを持った人が講演に来るが、刑務官と少年を「主人と奴隷」という言い方をした講師がいた。

私は懲罰も考えず立ち上がり、こう言った。

「何を考えているか存じ上げませんが、私たちと先生は主人と奴隷の関係ではありません。犯罪者かもしれませんが、先生たちは私たちを奴隷のように扱ったりはしません。」

もちろん懲罰にはならなかったし、刑務官に「配慮が足りていなかった、ごめんね」と言われた。

私は人に対しての好き嫌いが昔からひどいため、たとえ担任の先生でも気に食わなければ面談のときすら話をしなかった。

単位を落としても、減点されても、母に注意されても、未だに人に対する好き嫌いは治らない。

だが、好きな先生も何人かいた。

小学校にひとり、中学校にひとり、そして少年院にはふたりだ。

全員に共通することは、内面が子どもだったこと。


小学校の担任は金八に憧れた元薬剤師


教師の中ではかなり特異な経歴を持った人が、小学校4年生から卒業まで担任だった。

彼は薬科大学を出て薬剤師になったものの、どうしても金八先生への憧れが消えず独学で勉強し教員免許を取得した。

そして初めて受け持ったクラスが、私のクラスだ。

とにかく熱い、むさ苦しい、うざったい、どちらかというと金八先生ではなく松岡修造さんそのままである。

30代前半だった彼は毎日元気いっぱいで、時々、大学時代にやっていたやり投げ用のマイ槍(キャサリンと名付けていた)を持ってきて校庭で披露していた。

私の小学校は地元でも有名で、中学よりもひどく荒れている。

授業中に突然「今から原宿行こう!」と誰かが言うと、ものの数分で何人かが授業を放棄して出掛けてしまう。

算数の授業中に答えを間違えた男子生徒を他の男子生徒がバカにし、殴り合いが始まり椅子を振り回して喧嘩をする。

クラスで飼っていた金魚をハサミで解剖する生徒、保健室の先生に性的誘いをする生徒、女同士で殴り合いをして血まみれになる朝のホームルーム。

年に何回かこういった授業放棄が原因で、クラス閉鎖が起こっていた。

あまりにも手のかかる生徒ばかりだったため、他のクラスの授業風景を見学し反省会をさせられたほどだ。

生憎、初の担任でそんなクラスを任されてしまった先生だが、彼はひとつひとつの出来事に誠意をもって対応していた。

それを強く感じたのが、親に怒鳴り散らしたときである。

現代において、親というのは教育者にとって子どもより厄介な存在だろう。

自分の子を傷付けられれば腹が立つのは当然だが、今の親には余裕がない。

怪我のひとつやふたつ笑えるだけ、子どもを信じていない。

私もそんな親になるのは避けたいが、担任の先生は親を呼び出し教室で怒鳴り散らしていた。

というのも、クラスに佐々木くんという男子生徒がいた。

彼はかなりの問題児で、授業中に隠し持っていた牛乳をぶちまけたり、机に乗って奇声をあげたり、教科書をライターでも燃やしたりしていた。

平成生まれの小学校にそんなところがあるのかと思うが、一都三県のどこかに存在するのだ。

そんな佐々木くんには、虚言癖があった。

特に都合が悪くなると暴力を駆使するため、先生も扱いには気をつけていた生徒だったろう。

クラスメイトの間でも、佐々木くんに自ら絡みにいく勇者はいなかった。

そんな佐々木くんがある日、いじめられたと騒ぎ出した。

例のごとくまた嘘だろうと思っていると、佐々木くんは他の男子生徒を名指しして泣きわめき暴れ出す。

その日の学校が終わり生徒もほとんど帰った頃、佐々木くんの母親が学校に乗り込んできた。

私は誰もいない学校が好きでよく居残っていたため、妹と遠くからその様子を観察していた。

担任は相手の生徒と親御さんも呼び出し、教室で話し合いを始めた。

佐々木くん同様ファビョりだす母親、隣でドヤ顔の佐々木くん。

意味が分からず泣き始める相手の生徒、始まって間もない段階で疲れ気味の相手の親御さん。

最初は佐々木くんの母親をなだめながら話していた担任も、限界が来たのだろう。

ドラマかと思うが、机をバンッと叩くとこう言った。

「履き違えるな!学校はあんたたちだけのものじゃない!多くの子どもがここで過ごしていることを忘れるな!なんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いなんだよ!」

担任の顔は真っ赤になり、息切れをしながら「言っちゃった…」という顔をしていた。

しかし、正論だろう。

母親と佐々木くんは逆ギレしながら帰っていったが、それ以来、佐々木くんが騒ぎ立てることも母親が出てくることもなかった。

担任の先生は、物怖じしなかった。

できるならやってみろと、真っ向勝負をしていた。

今の時代にそれができる教師はとても少ない。だが、子どもは真剣に向き合ってくれる大人が好きだ。

一度だけ、聞いたことがある。

「先生はイライラしたり、仕事を辞めたいと思ったりしないの?」

彼はこう言っていた。

「思わないよ。腹が立つのは、好きだからだ。直してほしい、よくしてほしいと思うからだよ。そんなに熱くなれるものに出会えるのは、稀なんだ。だから好きなものを見つけたら、絶対に手放してはいけないよ。」


デメリットを背負ってでも、変えたいことがある


今の日本で少年院卒を晒すことは、デメリットしかないだろう。

メリットになることはほとんどなく、会話のきっかけや好きになってもらうきっかけにしかならない。

それでも晒そうと決めたのは、変えたいことがあるからだ。

日本の教育法ないし子どもに対する環境は、戦後からほとんど変化していない。

時代は平成から令和へ変わったのに、少子化を嘆くばかりで教え育むことは放置されている。産めよと言うだけで、教育について考えないのは一体どういうことなのだろうか。

現実を知っているものが声を上げなければ、医療少年院の実態など誰も知ることはないだろう。

頭のおかしい子しかいないのだから、まともに相手にされなくても仕方ないのかもしれない。

だが、彼女たちには可能性がある。やり直すことはいつからだってできる。

問題児でも犯罪者でも、可能性はいくらだってあるのだ。

その可能性を生かすも殺すも、社会次第でないだろうか。

人々が自分の権利を訴えるようになった昨今で、子どもたちの権利にも目を向けてほしい。

覚せい剤を打たれて育った子どもにも、幸せに暮らす権利はある。やり直す権利も生きる権利もあるのだ。

そんな子に手を差し伸べられるような、機会を与えてあげられるような、そんな社会であってほしい。

私には信じている言葉がある。

「上なるものは下なるものに、下なるものは上なるものに。」

奪い合うことよりも与え合うことを、傷付け合うよりも癒し合えるように。


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