インプット

こんにちは、こんばんは、そしておはよう、アキです。
今年2024の目標は、ざっくりと「インプット」と掲げたわけなのだが、(健康第一は人生の目標として常設済)なかなかこれが難しい。

このインプットというスローガンを設定し早二ヶ月が経とうとしているのだが、まずは具体的にインプットについて説明しておこうと思う。というか、説明するまでもなく、まんまなのだが、映画や音楽、美術館など、さまざまな作品に触れる機会を作っていく、人間関係や仕事を通して、自分を形作る上での基盤みたいなものを再度見直し、リメイクしていくそんな一年にしたいという意味で立てた。
部屋の片付けの次に継続が苦手な私にとって、インプットはどちらかというと、こちらから働きかけるものではなくて、あくまで受け身で自分が面白いと思ったことを吸収するだけでいいのだから、これならば続くのではと思ったが、インプットはただ作品に触れるだけでなくて、自分の中に落とし込むところまでのことを言うのではないかと気づいた。

こうなってくると、雲行きは怪しくなってくる。まずただ単に作品に触れるのではなくて、触れた後作品に対してどう感じたのか、気に入ったとしたらなんで気に入ったのか、逆に嫌いだったらなぜ嫌いなのかを言語化できないと、ただ単に「あー面白かったなあ」で終わってしまえば、それはインプットではなくただのいつもの鑑賞である。じゃあ、それを加味して作品に触れればいいじゃないか。いや、そう言う訳でもない。それを意識しすぎると、作品に触れながら、どんな感想になるだろう、ここは結構自分の中で大事なところだろうななど、作品に触れながらそのことで頭がいっぱいになってしまう。そうなると、作品に触れながらも頭の片隅で別のことを考えていて、作品に対して集中できていないし、感想を考えるために作品に触れているのであって、仮にそれが面白いとなったところで、果たして本当にその作品の面白さをまず自分で感じとれているのだろうか。こう思った訳だ。好きな作品を見つけても、自分のインプットのために、自分はこう言う傾向が好きになるべきだという考えが働いた結果この作品を好きになっているのではないか、果たしてそれは本当に自分の好きな作品といえるだろうか、そんなふうに自分に自信が持てなくなってしまうのだ。
現に今その状態である。

インプットという目標を掲げたはずなのに、その目標だけが先行しそのために作品に触れてしまい、本来の作品を楽しむと言う一番の目的が失われてしまっていることに気づき、まずは全力で楽しみ、しっかり楽しみ終わってから、なぜ楽しかったのかなどを考え、自分に落とし込む作業をしていきたい。頭の中でこの良い塩梅を身につけるにはまだまだ時間がかかりそうだが、、、

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