さほ

32歳、女性。東京育ち。山梨県在住。中学・高校で非常勤講師の経験あり。いまは個別指導塾…

さほ

32歳、女性。東京育ち。山梨県在住。中学・高校で非常勤講師の経験あり。いまは個別指導塾で働いています。子ども・教育・文学に興味があります。

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    日記・エッセイをまとめています。

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はじめまして

こんにちは、はじめまして。 新しい場所に行くたびに、何度も言ってきたことだけど、noteで言うのははじめてだ。どきどきするし、わくわくもする。 これを読んでくださる方を想像して、自分のことを話してみたい。 ★ 私はいま、富士山の近くに住んでいる。 日々の中で好きなことは、 掃除、料理、学ぶこと、教えること、おしゃべり、お風呂、図書館に行くこと、ランニング。 生活の中に、これらの時間がバランス良く入っているときには、とても調子がいい。健やかで、穏やかで、ご機嫌でい

    • 山梨での暮らし-風景スケッチ-

      ★ ちょうど去年の今ごろ、山梨県に引っ越してきた。 来たばかりの頃は、富士山がすぐ近くに見えることがもの珍しくて、色んな角度からパシャパシャと写真を撮っていた。 この地域では、とうもろこしが特産なのだと聞いて、とうもろこし畑の間を歩いてみたりもした。とうもろこしの葉が風に擦れる音を、やけに大きく感じた。 富士山の写真を日常的には撮らなくなって、とうもろこし畑にも目を留めなくなったなぁ、と思ったら、あっという間に1年が経っていた。 ★ 家の玄関を出るとすぐに、山が見

      • あの頃は、バレーボール選手だった~part2~

        ★ 「あの頃は、バレーボール選手だった」を、noteのまとめ記事に取り上げて頂き、思いがけずたくさんの人に届いて、驚いている。 私がバレーボール選手だった頃、時間のほとんど全てをバレーボールに注ぎ込んでいた。今回は、前回の記事で「書ききれなかった話」を書いてみたい。 ★ 沖縄出身のコーチは、私達を1人の選手として見てくれて、決して子ども扱いしなかった。 私のポジションは、レシーバーだった。 相手チームのサーバーが上手いと、ミスしたレシーバーにピンポイントでサーブが

        • あの頃は、バレーボール選手だった

          ★ かつて一度、バレーボールの選手だった。私が「スポーツ選手」だったのは、あの頃だけだったろうな、と思う。 沖縄出身のコーチには、たくさんのことを教わった。気弱だった私を、コーチはあの手この手で立派な選手に育ててくれた。あの頃のことを書き留めてみたい。 ★ 「友達が入っているから」という理由で入ったバレーボールクラブ。月・水・金の放課後に練習があったけれど、今思えば、ポップコーンみたいに飛び跳ねていただけだった。和気あいあいとした雰囲気があった。 そこへ、沖縄出身・

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          優しさに触れたら、ふわっと心が軽くなる

          ★ 小さな流産を経験している最中に、優しさに触れた。このことを書き留めておきたい。 ★ 私の場合の流産は、手術もなく、自然に任せて終わっていった。2週間ぐらい生理が続いた感じだったので、一般的にいう「流産」という言葉をあてはめるのは、重すぎる気がする。 でも、出血の量は明らかに多くて、普通でないことが自分の体に起こっていることは感じていた。あえていうなら「軽い流産をし続けているような感じ」だったが、未だに適当な言葉が見つかっていない。 意外と、長く続くんだな、という

          優しさに触れたら、ふわっと心が軽くなる

          自分にいいこと、してあげる

          気分が沈んだ時、落ち込んだ時には、自分にいいことをしてあげる、ようにしている。 落ち込んでしまうときはだいたい、「どうにもならないこと」にぶつかったときだ。どうにかなることなら、何かしらの手を打ったり、他の人に頼ったりしている。 ついつい解決したくなったり、乗り越えたくなったりするけれど、じたばたしても「どうにもならないこと」だってある。 落ち込んでも、落ち込まなくても、どうにもならないことには変わりない。潔く諦められたらかっこいい。でも、そうスパッとも割り切れない。

          自分にいいこと、してあげる

          春風スケッチ

          ★ 今日、いつものように湖に走りに行ったら、風が強く吹いていた。 湖面は、天気によって、色も表情も変える。 空を映し出す鏡のように見えることもあれば、 波立つ海のように見えることもある。 ★ ここのところ、走っていても耳が冷たくないし、手袋も必要ない。 日に日に暖かくなってきているのを感じる。 そして、強く風が吹いている。 飛ばされてしまいそうなキャップを深めに被って、 追い風を受けたり、向かい風へ挑んだりしながら 少し息が上がるくらいのペースでゆっくり

          春風スケッチ

          母を偲ぶとき

          私の母は、もう10年前に亡くなっているのだけれど、実家には、母の遺した写真がたくさん残っている。 ずっとそのままになっているのが気がかりで、最近ようやく、整理し始めた。 ★ 母は晩年、長い病を患った。闘った末に、あらゆるものをそのままにして旅立ってしまった。 そのあと、父と私で協力して、母が遺したものを色んな形で整理してきた。 ★ 母が遺したもので、私の生活に取り入れたものがある。母が友人の結婚式に着ていた訪問着は、今は私が友人の結婚式に着ていくようにしている。

          母を偲ぶとき

          何かになりたくて、何者にもなれなかった、けれど。

          最近、中高時代の友人たちと、オンラインで集まっている。話し始めると、10代の頃に感覚が戻ってケラケラと笑い合える。今も変わらずに話せることが嬉しい。 旧友と話し終えたあと、ふと考えた。 10代では「何か」になりたかった。今の自分は特に「何者でもない」けれど、そんな自分を受け入れている。この間、どんな変化があったんだろう。 ★★★ 小さい頃から「大人になったら何になりたい?」と聞かれるたびに身近な職業を答えてきた。 お花屋さん、ウェイトレスさん、保育園の先生、CMを作

          何かになりたくて、何者にもなれなかった、けれど。

          5回の引っ越しを経て、定住することになった話

          夫との引っ越しは5回目だけれど、真冬の引っ越しは初めてだった。山梨の冬は、底冷えする。いつ雪に降られやしないかと空を見上げながら、フリースにフリースを重ねて、モコモコしながら作業した。冷蔵庫を運びながら息が白くなって、手先と足先は随分と冷えた。 ★★★ 新しい家に着いたときの期待高まる感情よりも、住んでいた家を離れるときの感情の方が、なんだか忘れがたい。 新しい部屋にベッドを入れて、ほっとしたこと。 その土地で知り合った人を家に招いて、夜な夜なワインを開けたこと。

          5回の引っ越しを経て、定住することになった話

          年賀状の向こう側

          あけましておめでとうございます。2020年にnoteを始めて、皆様からの反応が頂けて、とても嬉しいです!今年もよろしくお願いします。 ※上の写真は、今年の年賀状で使ったものです。 ★ 毎年、年賀状を出している。1年に1回の挨拶でも、交わせば続いていく関係がある気がする。 小学校の頃の担任の先生や通っていた公文の先生には、もう20年近く年賀状を出している。母が出していた年賀状を受け継いで、いつしか、私の名前で出すようになった。 自分から出す年賀状には、手書きで三行ほど

          年賀状の向こう側

          学校の校務員さんに、憧れている

          学校に勤めていた頃、お掃除をしてくださる校務員さんとよく話していた。 話すのはささいなことで、「校庭の桜が綺麗に咲いてますね」とか「文化祭も終わりましたね」とか。その一言を積み重ねていくうちに、色んな話ができるようになってくる。 「先日、孫が生まれたんですよ。今はお世話が大変で」 「今週末、彼のご両親とお会いするんです。どきどきします」 校務員さんは、学校の中心から離れた場所にいる存在だ。見ている視点も、流れている時間も、先生たちとは違う。その距離感が程よくて、話せば

          学校の校務員さんに、憧れている

          くじらの湖を、夫と走った日曜日

          自宅からほど近くに、くじらの形をした湖がある。 平日には一人で、休日には夫と一緒に、この湖の周りをよく走る。走る、といっても、二人で会話できるくらいのスピードで、疲れを感じたら歩く。 引っ越してきた後にすることの一つに、「ランニングコースの選定」がある。近所の色んなコースを試した末、景色が良くて、起伏が少ない、このくじらの湖が選ばれた。いつも走るコースは、くじらのしっぽの部分。お腹や背中も走ってみたけれど、車道と一体となっていて危なかったり、直線が長くて景色が単調だったり

          くじらの湖を、夫と走った日曜日

          「宝物BOX」の整理

          最近、実家から「過去の思い出品」を持ち出してきて、整理を進めている。生まれてから30年、これまで「捨ててこなかった物」はずいぶんと増えてきた。これらを改めて取捨選択し、取り出しやすい形にしようと考えている。 高校の頃、シングルベッドの下にある引き出しを「宝物BOX」と名付けていた。未来の自分に影響を与えそうなものを「宝物」として選り分けて仕舞っておき、いつでも取り出せるようにしていた。今見ても心動かされるものが、「宝物BOX」には所狭しと詰まっている。 「宝物BOX」の中

          「宝物BOX」の整理