見出し画像

くじらの湖を、夫と走った日曜日

自宅からほど近くに、くじらの形をした湖がある。

平日には一人で、休日には夫と一緒に、この湖の周りをよく走る。走る、といっても、二人で会話できるくらいのスピードで、疲れを感じたら歩く。

引っ越してきた後にすることの一つに、「ランニングコースの選定」がある。近所の色んなコースを試した末、景色が良くて、起伏が少ない、このくじらの湖が選ばれた。いつも走るコースは、くじらのしっぽの部分。お腹や背中も走ってみたけれど、車道と一体となっていて危なかったり、直線が長くて景色が単調だったりした。しっぽの部分は、なだらかなカーブで二股に別れてるので、歩を進めるごとに風景が変わっていくのがいい。

先週の日曜日には、夫と二人で走りに出かけた。12月になったので、インナーを暖かくして、帽子と手袋もつけた。家事を終えて、15:00頃家を出たら、もう日が傾きかけていた。

最初に、湖の上にかかっている木道を目指す。木道からは富士山がよく映えるので、普段は写真スポットとなっている。さすがに寒いからか、その日は散歩する人も少なかったが、代わりに50匹ぐらいの鴨たちがくつろいでいた。

私達の足音が近づくと、鴨たちはいそいそと移動を始めた。よちよち歩きながら精一杯急いでいる感じで、50匹がお尻を振りながら、緩斜面を上がっていく。全員がお尻を向けて、ふりふりと上がっていく姿は、とても可愛らしい。夫が「よく見ると、お尻の振りが激しいのと、あまり振らないのがいるね」と気づく。

木道の先端まで行き、同じコースを戻ろうとしたら、先程の鴨たちがもとの場所に戻っていた。また近づいたら、鴨たちに移動を強いる気がしたので、コースを変更して戻ることにする。ここでは、鴨たちの暮らしが優先だ。

またしばらく走っていると、「理想の家」が見えてくる。「理想の家」とは、湖の畔に立てられた一軒家のこと。とてもセンスがいいから、夫と二人でそう名付けた。家の前の大きな庭は、いつも綺麗に掃かれている。ログハウス調の家には、使われていない赤いボートが立てかけられていて、アクセントになっている。屋根には煙突がついていて、中には暖炉もあるようだ。窓から見える灯りはオレンジ色に統一され、外からはよく見えない家具たちも、きっと選び抜かれたものに違いない。

――家主は、きっと都会育ちで、隠居してここに住んでいるんだよね。プライベートビーチみたいに、湖を眺められるこの場所が気に入ったんだよね。

――ここを買ったときは安かったんじゃないかなあ。場所選びが良いよね。

――もし、家主に会うことがあったら「いつも素敵だなと思いながら走っているんです」と伝えようか。

他愛のない想像を膨らませながら、家の前を走っていく。

キャンプ場を通り掛かる時には、水飲み休憩をする。不思議と、ここで飲む水は透明で美味しい気がする。シーズンオフなのに、テントが3棟ほど立っていて、煙が上がっていた。

水道管が凍らないように、蛇口全部からジャージャーと水が出ていた。蛇口が凍らないようにする方法の一つとして、内蔵コルクのようなもので止めるということがあるらしい。物の仕組みに詳しい夫から説明を受けたものの、私にはよくわからなかった。ふうん、と言って、わからないまま、また走り始める。

走っていると、茂みの中にたぬきが見えたので、私が急に立ち止まった。夫も慌てて立ち止まる。枯れ草の向こう側に、痩せたたぬきが一匹居た。目が合うとたぬきは隠れようとするけれど、姿が枯れ草に透けて見えてしまう。よく見ると、元気がなく、毛も抜けている。

――冬を越すのは厳しいだろうな。元気なたぬきなら、人間にここまで近づかれない。たぬきでも、弱ると集団でカラスに襲われたりするんだよ。

冬の自然は、厳しい。そういえば、さっき一羽の鴨も水辺に打ち上げられていて、その近くに猫がいた。弱った動物は、他の動物に襲われてしまう。夏には見えない自然の摂理が、冬になると露わになる。

夫は、一ヶ月ぐらい前から膝の調子がおかしかったけれど、アマゾンで買った膝用バンドをして走ったら、今日は痛みがないらしい。

――膝を固定する方法は二種類あって、縦揺れをおさえるものと、横揺れをおさえるものと。バスケットの選手なんかは、スピードの強弱が激しかったり、切り返しが多いので、ねじれ、つまり、横揺れをおさえるものを使うんだよ。

こちらの説明はよくわかった。私はたいてい、聞く側にまわる。一人で走っているときよりも、色んな話が耳に入ってくるので、時間が短く感じられる。一人のときよりも、頑張って走ろうと思うので、歩く時間も少なくなる。

夫の話には、よくわかる話と、ついていけずにわからない話がある。夫が楽しそうにしゃべっていれば、それが一番いいかと思う。夫からすると、もっと話をきちんと理解してほしいと思う瞬間も、あるだろうけれど。

走り終わったら、日が暮れていた。走り始めるとき、西日が眩しいからと持っていったサングラスについて、夫に笑われた。たしかに、ほとんど使わず、ポケットに入れて走っただけだった。

帰りに温泉へ寄った。湯船に浸かると、走って身体が冷えたからか、指先も足先も熱が響いてじんじんした。温まるのに多少時間がかかるものの、冬の温泉は、やっぱり気持ちがいい。浸かる人皆、いい顔をしている。

湯気の向こうに、灯りがぼんやりと輪を三重に描いたように見えた。それを見ながら、今日のことを書き留めておきたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?