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あの頃は、バレーボール選手だった~part2~

「あの頃は、バレーボール選手だった」を、noteのまとめ記事に取り上げて頂き、思いがけずたくさんの人に届いて、驚いている。

私がバレーボール選手だった頃、時間のほとんど全てをバレーボールに注ぎ込んでいた。今回は、前回の記事で「書ききれなかった話」を書いてみたい。

沖縄出身のコーチは、私達を1人の選手として見てくれて、決して子ども扱いしなかった。

私のポジションは、レシーバーだった。

相手チームのサーバーが上手いと、ミスしたレシーバーにピンポイントでサーブが飛んでくる。点数が取れるところは、的確に狙われるのだ。

精神的にタフな選手は、ミスしても跳ね返す強さがある。声を出して、次は取ってやるぞ!という気迫で、ボールに立ち向かっていく。

ところが私は、自分が連続でミスをしたときには、仲間に申し訳ない気持ちになっていた。強気さを見せようとはするものの、内心はいつも「次もミスしたらどうしよう……」と思っていた。

笛が鳴る。すると、コートの端からギョロッと睨みつけられて、速いボールが一直線に飛んでくる。

「コートの中では涙をこぼすな。相手に狙ってください、と言っているようなものだよ」

コーチに言われたことを思い出して、口をヘの字に曲げて食いしばるのに、どうしてか、涙が溢れてくる。

そんな表情を見たコーチは、私を他の選手と交代させた。ベンチに下げられた私は、への字口のまま、コーチの元へ話を聞きに行った。

コーチは、私の背中をたたいて言った。

「また泣いて~!落ち着いたらまた交代するから、まずは深呼吸!頼むよ~!」

スポーツに向く勝ち気さ、という性質があるのだと思う。けれど、私は、元々持ち合わせていなかった。

でもコーチは「ないところ」を矯正するのではなくて私に「あるところ」を見つけてくれていた。

さほには、他の人が持っていない良さがあるんだよ。
試合に出られない人の気持ちに寄り添えるところ。
ミスした人を真っ先に励ましに行くところ。

喜びを全身で表わすところ。

いいムードを作れるのだから、いい表情でプレーしないともったいないよ。


コーチはチームのメンバー一人ひとりに対して「あるところ」を見つけて、伝えてくれていた。

だから私達のチームは、仲間の持っている「良さ」をよく知っていた。コーチがいない6人のコートでも、一つのチームになれていた。

コーチはまた「人の見ていないところで努力できる選手が、本物だよ」とも言っていた。

21本連続サーブ、というメニューがあった。21本連続でサーブを入れられた人から、その日の練習を終えることができた。

この練習で、私は人より長く時間がかかった。19本目でミスしたときなどは、もう誤魔化して、コーチに「終わりました」と言いにいきたかった。自分以外に数えている人はいないから、終わらせることもできる。

そんなとき、浮かんできた考えをぐっと飲み込んで、コーチの言葉を思い出した。

「自分の練習に嘘つく選手にはなるな」

「コーチの見ているところだけで、一生懸命に練習するような選手にはなるな」

サーブ練習が終わらないことはあっても、嘘をついて終わったことにはしなかった。今となってはその経験の方が、印象に残っている。


一度、沖縄に帰ったコーチが東京へ来て、6年生になった私達の練習を見てくれたことがあった。

沖縄でもバレーボールを教えているコーチは、

「沖縄っ子は、勝ち気さがなくて、ズッコけることばかりさー。でも、人がいいから、コーチが困っているとすぐに手伝ってくれる。そこがまた、可愛くて憎めないんさー」

と言って笑った。少し日焼けをしていて、相変わらず向日葵みたいな笑顔で、目をくりくりっとさせていた。

コーチは、沖縄の子どもたちにも、かつて私達に言ったのと同じことを言っているようだった。

「コーチをいつか本気にさせてよー。みんなを真剣に怒ったときが、本気のときだからねー」

私達はバレーボールを通して「勝つこと」以上に大切なこと、バレーボールというスポーツ以外にも応用できる姿勢を、たくさん教えてもらえた。

そしてそれは、大人になった今でも残っている。

本気で打ち込んだ経験、愛をもって接してもらえた経験は、年月を経ても血肉となり、残っていく。

あのときの経験は、今でも内側から、私を奮い立たせてくれる。

「バレーボール」というスポーツが教えてくれたこと。

やっぱり、かけがえのない宝物だ。

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