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何かになりたくて、何者にもなれなかった、けれど。


最近、中高時代の友人たちと、オンラインで集まっている。話し始めると、10代の頃に感覚が戻ってケラケラと笑い合える。今も変わらずに話せることが嬉しい。

旧友と話し終えたあと、ふと考えた。

10代では「何か」になりたかった。今の自分は特に「何者でもない」けれど、そんな自分を受け入れている。この間、どんな変化があったんだろう。


★★★

小さい頃から「大人になったら何になりたい?」と聞かれるたびに身近な職業を答えてきた。

お花屋さん、ウェイトレスさん、保育園の先生、CMを作る人、青年海外協力隊員……。

「なりたいもの」にどうしたらなれるのか、よくわかっていないのに、口に出して「○○になりたい」と言うだけで、「なりたいもの」に近づいた気がした。「大人になること」=今の自分ではない「何かになる」ことだと思っていた。

その頃の「なりたいもの」は、遠くにある渚みたいにキラキラして見えた。


高校生になって進路選択を迫られるようになり、将来が急に現実味を帯びてきた。自分が「何か」になるためには、資格や勉強、教育機関に進学することが必要らしい。

これまで見ないで過ごしてきた「なりたいもの」になっていく過程が、初めて突きつけられた。強く願えば魔法のように、何かになれるわけではないらしい。

未熟な自分ができることを積み重ねていった結果として「何かになれる」。それなら今の自分を何かしらの方法で変えていかないといけない。

当時、どこかの高校生が作った現代短歌に痛く共感した。

なれるもの 探し始めたそのときから なりたいものは 遠のいていく

俵万智さんの短歌も心に残っていて、ちょうどこんな気分でもあった。

「可能性」という語の嘘を知っている 十七歳の 面倒くささ

高校時代までに「なりたいもの」を見つけている友人たちもいた。通訳士になりたい、メイクアップアーティストになりたい、芸事を極めたい。身を置く環境をひらりと変えて、昨日までいた学校から新しい世界へと飛び出していく姿は、強くて勇ましくて、カッコよく見えた。

すでに道を定めて進み始めた友人と、まだどこに向かって何を積み上げたらいいのかわからない自分と。そこにはすでに、歴然とした差があるような気がした。「何かになる」ときにゴールテープがあったとしたら、すでに走り始めた人のほうが先に、ゴールテープを切るんだろうな。私はそこまでたどり着けるんだろうか。

自分の進路を考えたとき、「なりたいもの」は、以前よりもわからなくなっていた。どれも今の自分と結びつかなくて、困った。

答えが見つかりそうにないから、仕事とか将来とか、未来のことを考えるのを一旦横においてみた。そして「今の自分が大事にしたいこと」を探すことにした。

探してみると「人の思い」と「言葉」が浮かんできた。人と比べずに自分が大事にできるものを軸にしていけたら、それは揺るがないんじゃないか。

たとえば、根っこがあって、水やりを怠らなければ根を張っていくことができる。しっかり根を張れれば、風が吹いても倒れない。自分が大事に思うことをずっと大事していければ、それでいいんじゃないか。そう思えたら、外からの評価とか、人と比べてどうとか、あまり気にならなくなった。

高校卒業後、浪人して、文系の大学に進学して、大学院にも進学した。大学院まで行けば「文章がスラスラ読める」ようになる、「今の自分ではない何かになれる」と思っていたけれど、現実は甘くなかった。

小学校の算数ができなくてメソメソ泣いていたのとたいして変わらない自分が、大学院でもメソメソと苦しんでいた。発表の準備が辛くてしんどくて、たくさん恥をかいた。環境を変えれば「自分ではない何か」になれる魔法はなかった。日々、地道に修正を重ねていくことの繰り返しだった。

大学院に通いながら就職が目の前に迫ってきた。教員免許を取ってはいたものの、本当に教員になりたいのか、自分に問うてみると、わからない、というのが正直な答えだった。挑戦してみたい気持ちと、自信のなさが渦巻いていた。

そう思っているうちに、目の前に仕事に就くチャンスがめぐってきた。押し出される形で、高校の非常勤講師として勤め始めた。

素晴らしい先生方を間近でたくさん見てきたからか、自分が「先生」になるなんて、とてもできない、と思っていた。そのままの自分では「先生」にはなれないんだから、精一杯やらないと生徒たちに申し訳ないと思った。懸命に背伸びをして、毎授業、汗をかきながら、生徒の前に立った。

最初の一年は、土日も図書館に行って準備したり、朝5:00に起きて予習したりと、無理をしていた。どんなに準備しても、いつも不安だった。お風呂に浸かりながらも明日の授業のことを考えた。

かろうじて、見様見真似で、1年の仕事をなんとか終えた。そういうことを5年繰り返しながら、教員として勤めてきた。

(今も専任で働いている学校の先生方を、本当にすごいと思っている。自分には、続けていくのは難しいと思ったから)

2年ほど前から、学校を離れて通信制高校や塾に仕事の場を移した。無理をして「先生」であろうとしなくてもよいと思えるようになったら、すっと肩の荷が降りた。

今は、一人一人の生徒と「そのままの自分」で関わることができている。失敗談とか、ドジなところとか、よく話すようになったら、生徒も心を開いて話してくれるようになった気がする。

「何かになりたかった」私は、いまは個別指導塾で働いている。塾で仕事をしているだけで、「個別指導塾の先生になった」わけではない、というのがミソだ。今は、「そのままの自分」が塾でも働いている、という表現がしっくりくる。

10代で何かになりたくて、20代で自分以外の何かになることはできないと知った。30代に入って「今の自分ができること」を積み重ねていけば、それが仕事になっていくこと、「そのままの自分」でも大丈夫だということを知った。

最近は、ずっとやりたかった「書くこと」にもnoteで向き合えている。「何者でもない自分」の中に、大事にしたいと思えるものがあって、よかったな、と思っている。

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