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豊崎神社へ行く

どうも西尾です。

12月の寒さの中で、手の乾燥によるひび割れに苦しんでおります。

ハンドクリームをつけているのですが、なかなか治りません。

最近知ったことですが、手を洗う時にはお湯ではなく、水で手洗いする方が手荒れしにくいみたいです。

冬はただでさえ寒いので、手を洗ったり、食器を洗う時はもっぱらお湯でした。

しかし水洗いの方が手荒れしにくいということが分かったので、これからは水で洗うようにします。

冷たいので嫌ですが、我慢です。

豊崎神社へ行く

先日、大阪市北区の豊崎神社へ行ってきました。

大阪メトロ御堂筋線の中津駅より歩いてJRおおさか東線(梅田貨物線)の線路まで北上します。


中津駅 ③出口



その後東へと向かい、JR東海道本線の高架をくぐる手前で北上し、JRおおさか東線の高架をくぐった先に豊崎神社はあります。

JRおおさか東線高架

少しややこしいので地図を載せておきます。

中津駅から豊崎神社まで

歩いて約10分ほどで着きます。

豊崎神社

祭神孝徳天皇ほか。伝えによると、孝徳天皇造営の長柄豊崎(ながらとよさき)宮の廃墟をいたみ、正暦(しょうりゃく)年間(990~995)に小社を建てたのが最初という。しかし明和9年(1772)火災で記録一切を失ってそれも定かではなくなっているが、難波宮発堀調査により、長柄豊崎宮は前期難波宮と同一のものと考えられるようになって、当地に存在していたとする説は否定されている。

大阪市ホームページより

大化改新で孝徳天皇が都を奈良(飛鳥)から大阪(長柄豊崎宮)へ移転
          ↓
後に都は京都へ移転する
          ↓
この地(長柄豊崎宮)が荒れ果てたのを哀しみ、孝徳天皇を祀る社を建てたのが始まり
          ↓
後の発掘調査で長柄豊崎宮=前期難波宮と考えらるようになる
(この地に長柄豊崎宮は無かった?前期難波宮は法円坂一帯の上町台地に)

→孝徳天皇造営の長柄豊崎宮の廃墟を悼んで、作っているのだから、長柄豊崎宮はあった。しかし発掘調査で前期難波宮(法円坂一帯の上町台地)と同一と考えられた。では、この地には何があったのか?

そう考えると謎が深まる。


社務所

最後に社務所になります。

一見すると木造建築に見えますが、よく見るとコンクリート造りになっているのが分かります。

そして、正面から見ると何だかロボットの顔のようで面白いです。


今回は以上になります。

謎が深まりますが、色々調べてみると楽しいものですね。

お読みいただきありがとうございました。

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