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全てがFになる - ピントが価値を創造する世界で【短文】


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ふと目についたニュースを拾ってみるシリーズ👏(シリーズではない)

皆さんは、ライトフィールドカメラというものをご存知だろうか。

ざっくり説明すると、後付けで焦点などが自由に編集できる複眼構造の特殊なレンズを用いたカメラのことである。アイデアとしてはそれなりに画期的な発明であったと思うが、種々の問題により普及に失敗し、商品としては残念ながら既に開発も終了してしまっている。解像度が著しく下がるということが主たる問題であったが、それは今回の技術でクリアされるかもしれない。まだ日の目を見るまでは遠いとは思うが、それでも僕は最終的にはカメラは絶対この手の技術に行き着くと確信している。安直なところで言うと、概念的には、切り抜き動画も既にこれに近いものになっている。かつてはメディアから一方向にしか発信されなかった情報というものは専門家による「創造」こそが基本だったが、いまでは情報と言えば、創造ではなく「勝手編集」された様々なバリエーションが基本である。

もし、真のライトフィールドカメラが当たり前になるような時代が来たなら、もはや現在の意味でのカメラマンは存在していないはずである。作業工程としては、「スキャン」とでも言えそうなざっくり撮影を初めに行なって、後からそのデータを編集するというのがカメラマンの仕事になるだろう。間違いなく、写真とは「撮るもの」ではなく事後「編集するもの」になる。決定的瞬間をセンス溢れる画像に落とし込む瞬発力としての撮影技術など何の価値もなくなるだろう。そして、日本語の語感を重視するなら、アーティストという存在もいずれこの世からなくなり、クリエイターがその隙間を埋め尽くす。この意味での「クリエイター」の日本語の語感が古典的な意味でのクリエイト(創造)に関わっていないのは面白い。

編集加工のための世界のデータ化、それは写し絵ではあるが、いずれそれそのものが世界を置換してゆくのは目に見えている。デジタルとアナログの境界が曖昧になるのではなく、おそらくデジタルがアナログを置換する。デジタルとアナログの違いは情報量だけだと思うので、もう少し待てるならアナログとデジタルが融けるという状況も想定できそうだが、たぶんその前にさっさと世界はデジタルで塗りつぶされてしまうだろう。もちろん、現在も進行中である。技術的な想定としては、人工衛星を用いて地表付近の光学データを徹底的にスキャンして視点を再構築できるようにでもなれば、写し絵は真に「世界」と置換されるだろう。

この手の話は、もちろんアートだけにとどまらず、「思想」の領域にも及ぶ。既に思想(≒哲学)はアカデミックにおいては「(ダイジェスト版の)編集」をこそ重視すべきだという論は既に述べたことがある。

思想とは、もはやとうの昔から白いカンヴァスにゼロから描く行為ではなく、倉庫に積み上げられた画像データを漁って加工編集するという行為に置き換わっている。これからの時代に、それでもなお「真なる思想家」というものは存在し得るのだろうか。それは「ライトフィールドカメラでは決して生み出せない写真とは何か」を考えれば自ずと答えが出るはずである。今回は敢えて答えは伏せるが、「どんなカメラでも絶対に撮れない写真とは何か」を考えてもらえれば、賢明なる皆さんならすぐに気づくだろう。

後から何か言われた時のために、一応現時点での答えは記録として以下に残しておく。ただの記録である。「たまたま」読める人以外読めなくて構わない。

どんなカメラでも絶対に撮れない写真とは何か。

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