母は諦めない


毎日note更新84日目。

この前父親の事を少し書いたので今日は母親の事を書こうと思う。

僕の母親はめちゃくちゃ過保護である。

元々の性格もあるかもしれないが、僕は一人息子なので余計にそうなったのだと思う。

さすがに最近はなくなったが昔は中々凄いものがあった。


僕は小学校の頃、大きな団地の10階に住んでいた。

小学校へはバスで通っていてバス停は団地のすぐ前にあった。

家から本当にすぐそこなのだが母は心配していつもバス停までついてきていた。

初めのうちは他の生徒の親もいたりしたので気にならなかったが、次第に周りのみんなは1人でバス停に来るようになった。

そしてとうとうバス停までついてきているのは僕の母だけになった。

さすがに恥ずかしくなった僕は

「明日からついてこなくて大丈夫」と母に言った。

母は激しく心配した。

しかし僕も引き下がらなかったので母はしぶしぶ納得した。

翌日。

僕は1人でバス停に向かった。

向かうと言っても本当に家のすぐ前である。

一瞬で到着した。

同級生もバス停にいた。

今日は母もついてきていない。

僕は胸を張って「おはよう」と言った。

その瞬間だった。

同級生が「何やあれ!?」と叫んだ。

僕は「どうしたん!?」と聞いた。

すると同級生は震えながらこう言った。

「ま、マンションの上の方に生首浮いてる!!」


僕は同級生が指を指した方を見た。

母だった。

僕を心配して窓から顔だけを出してバス停を見つめている母だった。

母は僕を見送る事を諦めていなかったのだ。

10階なので遠くから見ると頭だけ空中に浮いているように見えなくもないのだ。

同級生はまだ怯えている。

「違うねん、あれ生首じゃなくてお母さんやねん」

とは言いづらかった。

僕は同級生に何も言わなかった。

すると母と目が合った。

母はこっちに向かって手を振ってきた。

同級生がまた叫んだ。

「な、生首が手を振ってる!!!」


いや、手あったらそれ生首ちゃうやろ。

そう思ったが僕は何も言わなかった。


結局この事はしばらく

「バス停近くの団地は生首が出る」


という怪談話として同級生の中で語り継がれた。

僕は母に窓から見るのも止めるように頼んだ。

母は分かったと言いながらも全く諦めなかった。

その後も隙を見ては窓から顔を出した。

その度に生首の出現情報が出回った。

僕はなるべくその話に入らないようにした。


ある日僕はバスに乗ってからランドセルに上靴を入れるのを忘れた事に気が付いた。

どうしよう。

バスはもう走り出している。

今になって思えば上靴ぐらいどうって事ないが当時は一大事である。

上靴が無かったらスリッパで1日過ごさなければいけない。

僕は絶望した。

下を向いていると周りの乗客がどよめき出した。

僕もみんなが見ている方を見る。

後ろからバスに向かって誰かが走ってきている。

走行しているバスに走って追いつこうとしているのだ。

母である。

僕が上靴を忘れている事に気が付いた母が追いかけてきたのだ。

右手に上靴を持った母が走ってバスに追いつこうとしている。

しかしバスは早い。

信号で追いつきかけては離されを繰り返していた。

それでも母は諦めない。

必死に離されながらもバスに追いつこうとしている。

乗客全員が母を応援していた。

頑張れ、頑張れ。

誰かが追いかけている事に気づいたバスの運転手さんがバスを一瞬止めてくれた。

やった、これで追いつける!

みんながそう思った瞬間

母がバスを追い抜いた。


全員が心の中で「何でやねん!」とツッコんだ。

走る事に必死すぎてバスが止まった事に気が付かなかったのだ。

少し抜いてから気づいた母は戻って上靴を僕に渡してくれた。

めちゃくちゃ息切れしている。

それだけ必死で走ってくれたのだろう。

僕は周りの「よかった〜」という声にちょっと照れながらも上靴を受け取った。


僕の小学校は月に1回

「お米一握り運動」という寄付活動をしていた。

その日だけはみんなそれぞれお弁当をおにぎりだけにしてちょっとだけ食べるのを我慢するのである。

そしてその我慢した分のお米を貧しい国に寄付するのだ。

今ならもしかしたら賛否両論の活動になるかもしれないが、当時は誰も不満を言う事なくやっていた。

そのお米一握り運動の第一回目の前日。

僕は母にその活動を伝え「明日のお弁当はおにぎりだけでいい」と言った。

母はひどく心配した。

おにぎりだけで足りるか?

フラフラならへんか?

僕は当時から体が大きかったのでおにぎりだけで足りるのかと心配していたのだ。

僕は「大丈夫やから」と言った。

周りのみんなもおにぎりだけやし、くれぐれもおにぎりだけにしてやと念を押した。

母は分かったと言った。

しかし母は諦めていなかった。


昼休み。

僕は弁当箱を取り出した。

やけに重い。

おにぎりだけのはずなのにめちゃくちゃズッシリしている。

嫌な予感がする。

僕は恐る恐る弁当箱を開けた。

開けた瞬間、僕は声を失った。


俵型のおにぎりが16個、弁当箱をビッシリ埋め尽くしているのである。


圧巻のおにぎり祭り。

むしろいつもよりも超絶ボリューミーである。

足らんと言うよりむしろこれ食いきれるんか?

僕はまるでフードファイターのようにおにぎりを口に放り込んでいった。

苦しい。

腹パンパンである。

何とか食べきった僕はちょっと吐きそうになってしまった。

お米を我慢する活動なのに。

むしろいつもより遥かに米を食った。

確かに僕は昨日「おにぎりにして」としか言ってなかった。

個数については何も言わなかった。

母はそこに目をつけ、一休さんのとんちのように息子の腹を膨らます事に成功したのである。

さすがとしか言いようがない。


このように母は常に僕を心配してきた。

こうやって書いているとよくこの歳で東京に行くと言った僕を送り出してくれたものだと思う。

内心はめちゃくちゃ心配だろうし、今現在も心配しているだろう。

早く安心させてあげれるように頑張らなければ。










この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,302件

100円で救えるにっしゃんがあります。