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なぜ瞑想に興味を持ったのか? そしてなぜ20年以上も瞑想を継続しているのか ? 瞑想遍歴【その1】

はじめまして。
ツイッターでは瞑想王子という名前で一応活動しています。

自己紹介もかねて、自分の瞑想遍歴について何回かに分けて書いていこうと思います。

一応瞑想という軸で簡単な自己紹介は👇

10代の後半の時に偶然か必然か瞑想に出逢い、色々な瞑想法を経験。
早いもので瞑想歴は約20年程。瞑想は3度の飯より好き。

どんな分野でも、だいたい1万時間程度継続してそれに取り組んだ人は、その分野のエキスパートになるという「※1万時間の法則」があるが、瞑想に費やした時間は余裕で1万時間を越える。

※ 1万時間とは毎日3時間休み無く10年間続けると、それくらいのボリューム感になる。
2012年から本格的には2016年から湘南藤沢、東京都文京区を中心に現代人のためにデザインされた瞑想法であるOshoアクティブ・メディテーション、それと共に最近になって少しずつ分かってきた瞑想というもののエッセンスをシェアしています。

ヒマラヤ遊行庵のブログ | ネパール、マンダラ、メディテーションを通じて「からだ ∞ こころ」の幸せづくりのお手伝い


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また最近は信州聖山の2千坪の森の中で以下のようなキーワードで
持続可能な“懐かしい未来”に向けて生きる人々のための
スペースをつくっています。

滞在型のメディテーションセンターを軸として、人が森に還り、
自然の一部として在る暮らしを創造し共有していきます。

すべての人が本当に心の底、魂の底から寛げる瞑想・リトリート、Co-Creationスペースの創造を準備しています。

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Co-Creation 共同創造
Co-Creation with NATURE 自然との共同創造
Co-Creation with Every Creature 生きとし生けるすべてのものと
Co-Creation with Brotherhood and Sisterhood 想いを共にする友人たちと

Meditation 瞑想
Deep-Connection with oneself 自分自身との深い繋がり
Deep-Connection with mother nature 母なる地球との深い繋がり
Deep-Connection with Brotherhood and Sisterhood 
想いを共にする友人たちとの深い繋がり

PermaCulture パーマカルチャー
Care for the earth地球への配慮
Care for the people人への配慮
Fair share分かち合い

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それでは わたしの瞑想遍歴【その1】いってみましょう〜



世間や社会への「モヤモヤとした違和感」と「生きづらさ」

10代の後半からいわゆる世間や社会でフツーに自分が生きていく事に対して、何か漠然とした違和感やモヤモヤとした生きづらさを当時強く感じていて、その答えを最初に探し求めていたのが本を通してだった。

近くの大きな書店 有隣堂(湘南台駅の近くにあったが、SFCの学生が本を買わないせいか原因が定かではないが2004年に閉店。現在はパチンコ屋)に頻繁に立ち寄って、90年代後半である当時あまり詳しくは思い出せないが、「村上龍」「宮台真司」の本などを大した理由もなく読み始めたのが始まりだった。


宮台真司の「嘘社会」や「島宇宙化」に共感する


宮台氏が書いていた「嘘社会」「島宇宙化」などのキーワードになんとなく共感をして、もう少し詳しく知りたいと思って本格的に社会学、心理学や哲学などの本を読むことを通じて「社会や世界というものを朧げながらも理解したい」「この自分が感じている違和感や生きづらさが何のか知りたい」とティーンエージャー(もうこの言葉も完全死後かも。)の当時のわたしはバタバタともがいていたのだと思う。

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多くの本を濫読するが、知的な理解だけではモヤモヤした違和感は消えず・・・

それから沢山の本をイロイロと漁って乱読した。

ただいわゆる既存の学問の範疇で研究、理解をこころみるだけでは「違和感」や「生きづらさ」を理解して、そのモノから解放されないのではないかと直感でウスウス感じ始めていた。

だから片っ端から多くの本を読んで、知的に何かを理解しようという
行為そのモノにだんだんと逆に違和感すら持つようになっていた。

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 「瞑想のやり方」を紹介した本との出会い

そんな状態の時に社会心理学者のエーリッヒ・フロムの一連の著作に出会い、彼の著作のなかの「禅と精神分析」「愛するということ」などの著作に瞑想法が確か紹介されていたのを今うっすらと思い出す。
この時に初めて瞑想に興味をもって、参考文献リストのような箇所で紹介されていた本を読んでみようと思った。

その本のタイトルは今でも覚えている。20年以上前に購入した本でペーパーバックだけど保存状態の良いまま現在でも本棚にある。

 いわゆるマインドフルネスの源流と言われているニャナポニカ・テラ氏の本

「The Heart of Buddhist Meditation」というタイトルの本だ。

当時日本という国から外に一度出て、自然が豊かで広大な国であるカナダに行ってみたいという本当に漠然とした想いがあった。だから英語を独学で1〜2年程勉強していた。

基本的な必須単語・文法や基礎文型などを覚えて、語学留学するのに必要なTOEFLのためにもある程度勉強して合格していた後だった思う。

そのときの自分の英語の勉強方法としては、自分が持っている知的好奇心や興味にしたがってある程度分からなくてもいいので、ただ英語の本を楽しんでどんどん読んでいくやり方だった。

本を読むのに夢中になりながら、それを半年間から1年位続けていたらある程度英語を読むことができるようになっていた。

いわゆる「自分探し」という目的や対象があって、英語はその目的を叶えるため手段・道具として自然と使うようになっていた。この方法は一石二鳥以上の効果があった。

基礎的な必須単語と必要な文法や型を学んだら、英語を英語として勉強するのはすぐにやめて、英語は手段として何か自分が強く興味を持っている対象や目的に向き合った方が自然と英語は上達している。

この辺りのコトは「Learning to Learn 学びの方法論」というタイトルの記事で書いたので、もし興味があれば↓を読んでもらえると大変嬉しいです。

少し話が逸れてしまったけど、この「The Heart of Buddhist Meditation」という本はブックカバーを変えて再販されているようだが、1973年に初版が印刷された👇のカバーのものだ。著者はニャナポニカ・テラという人。

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当時90年代後半には「マインドフルネス」の「マ」の字もなく、むしろ90年代前半におこったオウム真理教事件の影響で「瞑想」や「ヨガ」というものはこじんまりとしたマイナーな感じだった。

現在のように猫も杓子もマインドフルネスのような感じではなかったが、この「マインドフルネス」の由来や歴史などで必ず出てくるティク・ナット・ハンと並んで「マインドフルネス」という英語の言葉で英語圏に紹介し、近年のマインドフルネス流行の潮流の始まりとされている。

このニャナポニカ・テラという人はドイツ生まれのドイツ人だが、スリランカのテーラワーダ仏教の僧侶で、いまWikipediaで調べたら「The Heart of Buddhist Meditation」という本は七ヶ国語以上の言語に翻訳されている本のようだ。

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バンクーバ行きの飛行機の中での初体験

実はこの本を読んだのは成田からカナダのバンクーバに行く飛行機の中だった。この本にとても感銘をうけて、その本の瞑想のやり方を説明している所を読みながら自分でも瞑想を飛行機の中で試してみた。

それが自分が覚えている限りで一番最初の瞑想体験だった。

初体験の瞑想の味わいは「なんかスゴク気持ちがよいぞぉぉお!」というのが正直な感想だった。

たぶんビギナーズラックだったと思うのだけど、雑念に惑わされるということもなく大変気持ちよく、これをどんどん探求してみたいとシンプルに感じた。

確か「The Heart of Buddhist Meditation」という本の中には「慈悲の瞑想 メッタ瞑想」というものも紹介されていて、その瞑想法も記憶が確かであれば本に書いてある通りにマネしてやってみたのだと思う。

そうしたらこれが慈悲心かどうかは分からないけど、ナンカ自分が他者に対して優しい氣持ちなれてる気がして、気がついたら飛行機から降りるときにキャビンアテンダントの人達に「サンキュー」という言葉が心から自然と出てきたのを覚えている。

成田からバンクーバ行きの飛行機の中から
わたしの瞑想遍歴は始まったのだった。




瞑想遍歴【その2】に続く👇



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参考ページ👇

うそ社会 軽やかに適応 宮台真司「制服少女たちの選択」

愛は「技術」であり、技術の「習練」が必要だ。【愛するということ/エーリッヒ・フロム】

The Heart of Buddhist Meditation


慈悲の瞑想 メッタ瞑想






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