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2019年11月、浪江取材/更地にされる町

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もう3ヶ月前も経ってしまった。昨年11月の取材記録をアップしたいと思います。

12月の個展『偽り〜RESTORATION FUKUSHIMA〜』に向け、浪江へ取材に。本来は10月に行く予定だったのが、あの台風19号の影響が大きく響き、11月にずれ込んでしまった。

いつもの一泊二日の取材では、1日目は富岡、2日目は浪江を歩くのがパターンだが、今回は2日とも浪江を歩くことにした。

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いつもは電車だが、この日は高速バスでいわきへ。ぎゅうぎゅうの車内。しかし計算したところ、JRで週末パス+特急で行くのと実は値段がさして変わらないことを知った。バスに乗ってくなら平日だなと思う。

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(いわきより、スーパーなひたち)

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常磐線から見える、いわき市内の復興住宅。ここにも、原発事故避難者と津波避難者との間に分断がある。

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竜田駅前の復興住宅。平家の一階建て。マンションに住むことを考えれば広さはそんなに変わらないのだが、一瞬仮設かと見紛うばかりの家に、最初は驚いた。大熊の東電ヒルズと比べると、大きな違和感を感じてしまう。

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竜田駅前。この店は新しくできたのかな。竜田に富岡に浪江、少しずつ小さな店が出来てはいるが、どこもメインのお客さんは廃炉や除染に関わる作業員で、昼しか開いてなかったり、日曜は閉まってる店も多い。

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富岡駅前に唯一残るフレコンバッグ。以前僕が描いたものだ。何故かここだけボロボロのグダグダで残されている。中に放射性廃棄物が詰め込まれているならダダ漏れだと思うのだが、違うのか。

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富岡駅着。浪江行きの代行バスが出るまで少し時間があるので駅前を歩く。

学校へ向かうこの道は、19年夏にこのように封鎖された。廃墟があるからか校舎を取り壊すからか。何にせよ、意味のわからないガードレールだ。

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(ここはずっと工事をしているイメージがある)

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線量計をセットして代行バスに乗車。0.12μSv/hというと、首都圏より高いと思うかもしれないが、このガイガーカウンターはメーカーの説明書によると、0.2μSv/h以下の低線量域は少し高めに出る。実際は、自然放射線分の0.04を引いた値(0.08)より少し低い程度だ。0.3μSv/hを上回るレベルならほぼ正確と思っていいらしい。

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この廃墟は相変わらず。持ち主の所在がわからなければ、そう簡単に解体はできない。東京五輪の聖火リレーはどこを走るか知らないが、行政としては目の上のタンコブだろう。

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帰還困難区域に入ると、当然のように上がる。

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帰還困難区域内、ここに立つ警備員はどれだけの給与を得ているのだろう。普通に考えれば給与以外に危険手当がつくはずだが、中間の会社で中抜きされまくって、正当な賃金を得てるとは考えられない(実際にそういう証言を聞いている)。

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福島第一原発。ここから見える光景も刻一刻と変わっている。

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19年夏から排気筒の解体が行われている。あれが見えなくなれば、尚更「なかったこと」にされていくだろう。

工事を請け負っているのは地元企業のエイブル。NHKでは、原発の象徴である排気筒を地元企業が解体することに意味があるとして、まるで地元の英雄のようにドキュメンタリーやニュースで紹介している。しかし実態は、この企業の地元での評判は非常に悪く、震災前には行政指導も受けたことがあるという。高濃度に汚染された排気筒の解体には多くの危険が伴うが、それ故に東電が下請けに押し付けたというのが本当のところのようだ。

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双葉町役場。17年11月に行って以来。早くも2年が過ぎた。

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双葉厚生病院。避難の際に多数の患者が亡くなった双葉病院は大熊町の病院で、これとは違う病院だ。

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浪江駅到着後、東へ。1日目は、請戸川河口付近のマリンパークなみえを目指す。この定食屋は営業しているようだ。

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詩集「紅」に出てきた風景を反対側から。あれは昨年12月に撮影した写真を元に描いたものだが、あの時と景色は変わっている。建物が解体され、次々と更地が増えていく。浪江駅前を更地の街にして、一体この国は何がしたいのか。

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水神さま。今の浪江をどう見てるのだろう。

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倒れたままのバス停、放置された廃墟、更地にされていく土地。震災当時のままの姿を晒した建物の脇で、傷口に塩を塗るようになぎ倒され消えていく思い出の場所。土地が悲鳴を上げているかのようだ。

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左の店舗は「こわす」と書かれている。真ん中は8年8ヶ月前のまま。解体するかしないか、そこでも分断は生まれる。

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ここも解体か。片っ端から解体して、その先にどんな町を作ろうというのだろう。元反社会勢力の◯組長やら、「イノベーション」と称して利権目当てのカネの亡者が、福島を食い物にするべく群がってくる。果たして、連中の思い通りに物事が進むのだろうか。

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イオン浪江。思ったよりも小さかった。つい先日、ドキュメント72時間でここが舞台になったが、年末年始ゆえ多数の帰省客が訪れていたが、この日も次の日も僕が見る限りさほど人はいなかった。

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6号線沿いのパチ屋も解体か。

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海へ向かって歩く。

<続く>

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