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音楽と音楽の記憶とそのメモ。

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マガジン

  • ヘアウェイブ・レコードの「思いのままにペンでスラスラ」

    音楽と音楽の記憶とそのメモ

最近の記事

2023年1月の出来事

Steamroom 4 By Jim O'Rourke Steamroom 4の「Another Slow Night」。40分を超える1トラックの作品で、2011年に東京のSteamroom(Jim O'Rourkeの自宅?)で録音されたという程度しか情報がない。冒頭は低くプロペラの回転するような音が現れては消え、現れては消え、夜の闇に浮かぶ鈍色をした光のように見え隠れしている。真夜中の車の移動しているような感覚がある。次第にさまざまなテクスチュアをした音が重なり、それら

    • 前奏曲集

      連休なので、息子と一緒に無印のぼってりした体にフィットする巨大なクッションでゴロゴロしながら、Appleミュージックでモーリス・ラヴェルとかクロード・ドビュッシーとかオリヴィエ・メシアンとかを再生していた。ふと、イェルク・デムスの演奏を思い出した。検索するとピアノ作品全集があったが、私の記憶に残っているのは、20代中盤頃、当時住んでいた市川市の図書館で借りた、彼の演奏する『映像 第1集』だった(そのCD自体はトマス・ヴァーシャーリとカップリングの廉価盤だった。懐かしきドイチェ

      • モーリス・ラヴェルのピアノ三重奏

        モーリス・ラヴェルの作品には、石造の建物の内部で体験するようなひんやりとした感覚と、そこから窓の外に差す強い日差しの眩しさや、冷たい水の入ったコップに浮かぶ水滴、そして限定された色彩を緻密な変化によって表現したような眩暈のするようなモザイク状のテクスチュアがあり、まるで遊び心と死の峻厳さが同居したような極めて優れた多くの作品を生んだ。彼の作品のトップ5を選択する作業は極めて困難を極めるが、強いて言えば(というか今の気分では)、『左手のためのピアノ協奏曲』『夜のガスパール』『ス

        • パリ、テキサス

          大学の図書館にあったレーザーディスクを観たのは25年前だ。こういった事実には未だに慣れることができない。「こういった事実」というは、つまり多くの時間がすでに経過して失われてしまったという事だけど。そして、これは失われた時間についての映画だ。痛みは時間の経過とともに癒されることはなく、形を変えていくだけに過ぎない。主人公が元妻とマジックミラー越しに会話するシーンで、カメラがハリー・ディーン・スタントンからナスターシャ・キンスキーに視点を変えて行き、彼女の刻々と変化する表情と言葉

        2023年1月の出来事

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        • ヘアウェイブ・レコードの「思いのままにペンでスラスラ」
          4本

        記事

          静寂

          昔の妻に捧げた曲を新しい妻と演奏するって、普通に狂っているよね。今の時代ならSNSに蔓延る有象無象によって大炎上させられることだろう。しかも、ソロは屠殺場のような音が鳴り響いている。しかし、なのになぜこんなに美しいのだろう。まるで静寂のようだ。

          毒々しい綿菓子

          Boards of Canadaのいくつかのアルバムを聴いているうちに、なんだかオーガニックな体裁をしたエコなClusterみたいだな、と思った(言葉にすると愚か者みたいだ。実際に愚か者なのかもしれないのだが)。『Zuckerzeit』は核爆発によって汚染された雲が湧き上がるような簡素なサウンド形態を持つ電子音楽であった。ある種、1970年代の子供達が考える未来の音楽であり、チェルノブイリの子供達が想像する未来の音楽であり、2021年の視点から見る濃い紫やピンク色をした毒々し

          毒々しい綿菓子

          緩慢な死

          シューベルトの退屈さには中毒性がある。それは緩慢な死を連想させる。多くの人々はきっと緩慢な死を求めているのだろう。

          緩慢な死

          夜の闇

          最近、寝る前には必ずヴィルヘルム・ケンプの演奏するシューベルトのピアノ・ソナタを聴いている。ここ15年に渡り、私にとってのシューベルトのピアノ・ソナタといえば、旧東ドイツ出身のピアニストであるディーター・ツェヒリンがベルリン・クラシックスに残した録音がレファレンスになっていた。そして、20、30代の頃は、ケンプなど過去の遺物に過ぎないと思っていた。今では、よく分からなくない。色々なことが夜の闇のように分からないのだ。そして人々は闇の中へ消えていき、誰かに期待することはやめた。

          カラフルなアルペジオ、疾走感

          R.E.M.の音源を色々と聴いていたが、結局このアルバムに辿り着いてしまう。インディー・ロックの良いところが凝縮されている。バーズのようなカラフルなアルペジオ、疾走感、無垢さ、サウンドはいつ聴いてもフレッシュで、まるでくすんだ青空のようで、高校生の頃に出会っておくべきアルバムだった。

          カラフルなアルペジオ、疾走感

          ビデオ・テープよ回れ

          高校一年生の夏に地元の小さなCDショップで購入した。その頃はビーチ・ボーズやアイレス・イン・ギャザやストーン・ローゼスやプライマル・スクリームやバッファロー・スプリングフィールドやマイ・ブラッディ・バレンタインを知る前だったし、日常生活で何らかの発見をすることが不可能な田舎町で、類人猿のように怠惰な学校の連中に囲まれていたせいか、その未知のサウンドにぶっ飛んだ。まるでパンクのようだった。そして「ドルフィン・ソング」は私の人生の3分の2に及ぶ期間において幼い頃の夏休みの記憶を彷

          ビデオ・テープよ回れ

          背後に点滅する青や赤の光

          メシアンの和声はかなり独特で、光が当たる角度によって色彩やテクスチュアが変化していく映像の様なものを思い浮かばせる。例えば、オスカー・フィッシンガーの様なイメージが近いだろうか。私の最初の記憶は、暗闇の中で強い光を受けながら、その背後に青や赤の光が別途点滅しているのを見たことなのだが(土曜ワイド劇場のOPと記憶を混同しているのだろうか?)、あれにも近い印象がある。オンド・マルトノはまるで古い時代のエレクトロニクス・ミュージックのようで、それもそのような感覚を増長させているのか

          背後に点滅する青や赤の光

          ディレイ、フェイズ、ユニット、ストラクチャー、1996年

          真夜中に見た美しい花のようなサイケデリア。色褪せたカラー写真。1979年に私が誤ってバックミラーを折ってしまった父親の白いカローラのフォルム。チェルノブイリ原発事故の後、校庭に降った虹色の放射能の雨。ほんの少し前に思いついた言葉で、形や記憶を辿る事はできるのに、口にすることができない見失ってしまった言葉と目眩。記憶のように親密な鈍色のストリングス。ディレイ、フェイズ、ユニット、ストラクチャー、1996年。

          ディレイ、フェイズ、ユニット、ストラクチャー、1996年

          夜明け前の赤と紫のグラデーション

          クラシック音楽の批評には「精神性」という言葉が頻繁に登場する。これって「よく分かんねーけど、すげー」とかいう程度の感想でしか過ぎず、音楽を言語化する努力を放棄し、自意識だけが拡大していった人々が好んで使うキーワードだ。「精神性」、憶えておいて欲しい。しかし、ケンプのこの晩年の録音を聴いていると、そういった表現が妥当とも思えてくる(私が言及しているのは、特に16曲目以降のケンプ自身の編曲についてのもので、これはレコードで1枚にまとまっている)。このバッハはいわゆるバッハの音楽の

          夜明け前の赤と紫のグラデーション

          ガラスについた雨粒越しに見る風景

          真夜中に主人公が戦争映画を観ていると、時間の逆転現象が始まり、映画が逆回しに進んでいく。戦闘機は爆弾を回収し工場へ運んでいく。工場では女性たちが爆弾を解体していく。そして兵士たちは母親の子宮に帰っていく。それはカート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』の1シーンで、このアルバムを聴いていると、そこからここへ、ここからそこへ、といった場所や時間がずれていくような揺らぎを感じる。隣家で鳴っているようなサウンドであり、ガラスについた雨粒越しに見る風景に過去の記憶が重なり揺らぎ

          ガラスについた雨粒越しに見る風景

          銀河超特急

          2001年にはあまりにも無機質でアブストラクトに過ぎる印象のあった"Confield"だったが、今の耳にはエキサイティングで比較的ポップな感想を抱いている(最近はリズムさえあればポップだと思ってしまう)。当時、RadioheadのThom YorkeがAutechre好きを公言したせいか、その周辺にいた基本的には愚かでただのミーハーなのだが、自意識の肥大した自己評価の高い連中が角砂糖に群がる蟻のように大挙してやって来た(その中の一人に私もいた。仕方ない。誰でもどこからか始めな

          銀河超特急

          そこからここへ、ここからそこへ

          真夜中に主人公が戦争映画を観ていると、時間の逆転現象が始まり、映画が逆回しに進んでいく。戦闘機は爆弾を回収し工場へ運んでいく。工場では女性たちが爆弾を解体していく。そして兵士たちは母親の子宮に帰っていく。それはカート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』の1シーンで、このアルバムを聴いていると、そこからここへ、ここからそこへ、といった場所や時間がずれていくような揺らぎを感じる。隣家で鳴っているようなサウンドであり、ガラスについた雨粒越しに見る風景に過去の記憶が重なり揺らぎ

          そこからここへ、ここからそこへ