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髪の色について ー似合う色、好きな色は、自分も人も幸せにー

【あたりまえとは何か】


まわりを海で囲まれた日本は、長い間せまい国土の中で独特の文化を育んできた

それは、必然であったり為政者の意図であったり偶然であったりする。

そして今、世界の情報に簡単に出会える時代となった。

もちろん、全ての情報が開示されている訳ではなく、目にする情報が正しいとは限らず、冷静に接することも重要になってくる。

きちんとした判断基準をもつ必要を感じることが増えてきた。当たり前だと思っていたことが、実はあたりまえではないことも、多くの情報から実感できるようになってきた。


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【外出は人との出会い】

長い梅雨がようやく明けた。

気象庁によると、1951年の統計開始以来3番目か4番目に遅い梅雨明けだったらしい。

長雨の最中、新型コロナ感染症拡大が落ち着いたかに見えたのも束の間で、また新しい局面へと進んでいる。
外出を控え自宅で過ごす時間が増えるばかりである。

家で過ごしていて、知らず知らずのうちに元気がなくなっている気がした。

そんな中、友人と会うために出かけた。

道や電車の中で、たくさんの知らない人とすれ違ったり偶然に隣り合ったりしながら、待ち合わせ場所へと向かった。

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【髪の色について】

人が多いと疲れることもあるが、今回は少し元気になった。

いろいろな人とすれ違ったが、表情も服装も人それぞれであった。

こんなに不安定な世の中でもおしゃれな人がいて、ちょっとした癒しを与えてもらった。
もともとおしゃれは自分が楽しむためのものだと思っていたが、おしゃれな人の存在は周りの者も楽しませてもらっていることに改めて気づいた。


電車の座席で斜め向かいの人の髪の毛に目がいった。

ふわっとした髪の毛は肩まで伸びている。色はアッシュベージュというのだろうか。透明感があり似合っていて思わず見入ってしまった。

その髪の色から「あたりまえ」について考えた。


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【日本人と髪の毛】

日本の学校は校則が多く、高校を卒業するまでは様々な規則で縛られる。

頭髪についての規則もあり、守っている学生も多い。そして、卒業と同時に待ち構えていたかのようにカラーリングデビューする人もいる。

制服からも解放されておしゃれを楽しむ姿は微笑ましい。

髪の毛の種類を人種によって大まかに分けると、細かくカールした縮毛で細くて固いのが黒人、ウエーブがかかっていて細いのが白人、そして、太くて直毛が黄色人となる。


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日本人、中国人、韓国人など東アジア人は、太くて直毛である場合が多い。

しかし、日本で暮らしていると気づかないが、黒い髪の毛は世界的には特殊な種類に属している。

髪の毛だけではなく、肌の色、目の色、髪の色、言語、習慣…世界には様々な人種がいることは知っているが、日本にいるとついそのことを忘れてしまいがちである。


【不確かなあたりまえ】

以前、カナダを旅行したとき。

電車や街の中に、いろんな人種の人がいることが新鮮だった。

ようやく慣れたタイミングで帰国し電車に乗った瞬間「みんな同じだ」と驚いた。

黒い髪、よく似た肌の色、よく似た目の色、よく似た服装…。

カナダにいく前と同じ風景を見ているのに自分自身の物差しの違いでこんなにも見え方が違うことに驚いた。「普通」ってかなり不確かなものなのだということに気づいた瞬間だった。

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【自分で選ぶということ】

日本では、就職する前の若者は服装も髪の毛もある程度自由で、個性的な人も多い。

しかし、就職して社会人になると、職場の状況や周りの雰囲気によって制約ができる。
職種によって髪の毛の規定が厳しいこともある。

社会人としての経験が長くなればなるほど、世間が求めるようになっていく。そしていつの間にか、目立たない、無難な髪になる。

「日本人は黒髪が一番似合う」という人もいる。いつの間にか自分の好きな色ではなく、周りの期待や雰囲気から大きく外れない髪へと落ち着いていくのだ。


一方、髪の色は自己主張の一つであるという考え方もある。

元々の自分の髪の色を大切にすること、より自分に似合う色や自分の好きな色に変えること、どちらも自己主張と言えるだろう。自分のありのままの髪を大切に思うことも素敵なことであるし、時には好きな色に染めてみるのもいい。

それを見る周りの人が幸せな気分になれるのは、ラッキーなことだと思う。

自分で選んで自分で決める、人が選んだことを認める、これは髪の色だけの話ではない。

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【表現はいつも自由に】

髪の色だけではなく、言葉やファッションや習慣など、若者はどんな時でもたくさんの刺激を大人たちに与えてくれる。忘れていることや気づいていなかったことに気づかせてくれる。

いろいろな方法で自分を表現できることは素晴らしいことだと思う。

日本のあたりまえは、世界のあたりまえではない。自分のあたりまえは人にとってのあたりまえではない。

互いに相手の表現を理解したり認めたりすることが大切だと思う。そんなことを気づかせてくれたのは、電車で偶然に隣り合わせた若者のアッシュベージュの髪の毛だった。

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【いつの時代も…】

日本で生活していて日本の枠の中で考えるのは自然なことかもしれないが、今後ますます世界の情報が大量に手に入り、世界の広さと日本の小ささを知らされる。

日本の枠にこだわっている場合ではない。

今、渦中のコロナをはじめ、地球規模で考えなければ解決できない問題は山積みである。

自分だけの物差しで「普通」や「あたりまえ」にこだわるのではなく、柔らかい発想でこれから先のことを考えなければならない。

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コロナ後の世界を予想するのは難しいと思われる。

一時的ではあるが人の移動は少なくなっているが、情報は大量に行き交っている。人と人は国を超えて連携し視野を広げていくしかない。

難しい道のりではあるけれど、それが人類の進む方向であると思う。

そして、若い人には世界を新しく変える力が備わっている。





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