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ボクは野球というスポーツに出会えて本当によかった。平成時代の記憶に残る野球人たち。

みなさん、こんにんちは。

平成最後のGWいかがお過ごしでしょうか?!

平成元年から平成31年。そんな年号マタギに立ち会えることってラッキーですよね。いい機会なので何か平成を振り返ってみようと考えてみたら、ボク自身平成で一番長く没頭していたのは野球だったなと。(仕事以外で)

野球を通して、礼儀やルールなど人としてあるべき姿勢をただただ、がむしゃらに取り組む中で自然と学び身に付き、それが気が付いたら大人になった今でも自分に活きてきていることもたくさんあるような気がする。
ボクは野球というスポーツに出会えて本当によかったと思っています。

みなさんもボク同様に何かに打ち込み、そこで得た経験や知識が大人になった今に活きてくる。そんな体験ってありますよね?

きっとこんなコト、平成最後じゃなかったら振り返らなかったと思うので
平成最後ありがとう!

前置きが長くなりましたが、今回はそんなボクが平成時代に影響をうけた野球人たちを小中高とざっくりに分けて振り返ってみたいと思います。(完全にwho文脈ですみません。面白くないです。)

野球を通して学んだこと。みたいな自己啓発系はやめておきます。w

■小学生時代 平成3年~

ボクの野球歴は小学3年ごろに当時通っていた小学校で土日に練習していた少年野球に入団したところからスタート。
当時はショートを守ることが多かったんですが、その流れで影響をうけたのが、ジャイアンツの川相昌弘選手。

守備はもちろん神的にうまかったんですが、何より送りバントでのちに世界新記録を取るわけです。プロ野球においてここまで徹底的に自分の必要とされている場所を見つけそれを徹底的に続けられる。泥臭くてもいいから。まさにプロ中のプロだな。とその職人魂みたいなものに惹かれていました。

ボクにとっての川相選手は偉大だったなと。

■中学生時代 平成8年~

やはり、この人。オリックスのイチロー選手

まだ若いなーという印象ですが、振り子打法が衝撃でしたね。
中学生に入りみんなタイミングの取り方がイチローよりになっていったのを覚えています。

そんなイチロー選手ですが今年で引退となりホントにホントにさみしい限りです。日米通算4,367安打って凄まじい数字ですよね。

3月に行われた引退会見も心に刺さるものが多く、その中でも以下のコトバは特に刺さりました。(イチロー引退会見より)

「成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんです」

みなさんは、何個刺さりましたか?やはり偉業を成し遂げたプレイヤーのコトバひとつひとつとってみても重みが感じられますね。

まだまだ、います。

平成の怪物こと松坂大輔を中心とした松坂世代。

確か中三の夏。この年の夏の甲子園は実にドラマチックでした。

豊田大谷の古木、敦賀気比の東出、高知商業の球児、日南の赤田、九州学院の吉本、明徳義塾の寺本、東福岡の村田、鹿実の杉内、沖縄水産の新垣、浜田高の和田、PLの上重、本橋、古畑、もちろん横浜の小山、常盤、後藤など。本当にツワモノぞろいでどの試合を見ていてもレベルの高さと感動の連続でした。これがプロで活躍するレベルなんだと思い知らされた感じでした。

■高校時代 平成11年~

中学から無事高校に進学するわけですが、強豪校にはいかず地元の春日部東高校という高校に入学し野球部に入部。

1年の時から1軍の練習試合にちょくちょく呼んでもらっていて多くの高校と対戦してきたわけだがその中でも別格だったのが、春日部共栄の一つ上の代にいた、中里篤史。

(映像は2000年の夏の県大会決勝)

ボクらが対戦したのは2年生の秋ごろの練習試合だった気がする。
この映像からもわかるように滑らかなフォームからくるストレートはやばかった。。。初速と終速の差が大きく手元でビュンと伸びてくる。練習試合なので100%全力ではなかったんだろうけどまったっく歯が立たなかったことを覚えている。

ボクは投手ではなかったけど中里ファンになっていた。のちに中日に入団し彼の活躍をみていたが度重なる怪我により引退。。。もっと勝てる投手だったのに残念だ。

■高校3年生

さてさて、ボクの野球人生のクライマックスである高校3年時。当時はYouTubeもTwitterもFacebookもないので鮮明な映像はないのだけど奇跡的に100回大会の特別番組の中にボクらの決勝の模様も放送されたみたいだ。

決して強豪校ではなかったものの2枚看板を筆頭にまさに今で言う「ジャイアントキリング」的な勝ち上がりで決勝まで上りつめたボクらと、強豪校の花咲徳栄との一戦。

まずは、徳栄のエース宮崎。
彼のクセの強すぎるストレートは真ん中に入ってきても芯を外され内野ゴロの山。徳栄とは2回くらい公式戦で対戦しているが打てたためしがなかった。右バッターには食い込んでくるし。左バッターには手元で逃げるしもう数ある失投をものにするしかなかった気がする。

その宮崎の投球で築く凡打の山を軽快にさばく、ショートの根元。(のちに東北福祉大からロッテ)ボクらの甲子園は根元に阻まれたといっても過言でもない気がする。

映像にもあるように、最後のバッター(うちの左のエース渡邊)の左右間のゴロを深いところからアウトにするあたりマジでハンパない。

もし、あのショートゴロがセーフだったらツーアウト1塁3塁。
そして次のバッターはボクでありヒットがでれば同点。何度そんな妄想をしたことか。。。

(案外歴史は変わらないものだからおそらくボクでゲームセットだったんだろうけど。)

そんなこんなでボクの野球人生はクライマックスとジエンドが同時にくることとなりました。

 あくまでどこにでもいそうな高校球児のお話ですが最高の仲間と最高の状態でプレーできたからこそ県大会決勝というところまで行けたのかなと。

実はこの夏の大会前チームの士気がバラバラでまとまりがなく一時はどうなる?このチーム?と思えるような状態まで落ちましたが、チーム全員で練習後腹をわって話合い(思いっきりぶつかりあり)結束が強まったそんな記憶もかすかに残っています。

まだまだ、印象に残っている選手や影響を受けた選手はたくさんいるのだけど長くなってしまうのでここらへんでやめておきます。

こんな個人的なお話に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


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