ふつうを感じる。
”ふつう” 深澤直人 著
を読みました。
年明けに2020年を振り返るのは、どうかと思いましたが、この本を読みながら早速、昨年の出来事を振り返ってしまいました。
ただ、今回の振り返りは、この一年、事業を練り進めて行くにあたって重要なものごとの捉え方になりそうです。誰もが、これが”ふつう”だと感じるきっかけを探していきたいと思います。
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昨年、それまでの私たちの日常に変化が訪れました。
人前ではマスクをする。
外出は感染リスクを伴う。
外食は後ろ髪を引かれる想いのもと。
1日何度もウイルスを怖れてアルコールや次亜塩素酸水で消毒する。
こんなことを1年間続けていれば、これが現代の日常になってきました。
なってしまいました。
でも、
”ふつう”は、人前でマスクをしません。
”ふつう”は、外に出るのに躊躇しません。
”ふつう”は、談笑しながらの外食を禁止しません。
”ふつう”は、1日何度も手が荒れる程に消毒をしません。
”ふつう”とは、現代の私たちにとっては”非日常”になっています。
でも、
公園でマスクを外し、肺いっぱいに空気を吸って深呼吸する。
まだ人通りの少ない早朝に、ランニングをする。
空が晴れていること。
こんな時期だからこそ、
ごくごく”ふつう”のことが出来ることに、幸せを感じます。
”ふつう”は、日常のあたりまえに通り過ぎていく出来事を自覚した時に感じます。
このような何気ないことに対する感動こそ、一番の心の安らぎになると感じたことはありませんか?
同じような感動は、日々仕事やテストに追われている忙しい時期に、ふとしたタイミングで自覚することがあります。
または、個性的なファッションが交差する原宿の街で、シンプルなモノクロファッションを見かけると、それそのもの以上に格好いいなと感じることがあります。
「何も大層なものは求めない。”ふつう”な人生を歩みたい。」という願いは、
ふつうではない非日常の世界に生きるからこそ、その有り難みを感じることができるのではないかと思います。
この著書の一節に
「ふつうとは、意識の中心。ふつうとは無意識をデザインするというよりは、むしろ意識が交差する分子を探すことである。」とありました。
そのイメージは、渋谷のスクランブル交差点。
多方向からの不規則な流れの中で1点にぶつかる感覚。
談笑する騒がしい一室で、ある時それぞれの会話が止まり、シーンとなる瞬間が訪れるあれ。
です。
”ふつう”に対して抱く懐かしさやあたたかさを覚える感覚は、普遍的無意識なものだと思います。
”ふつう”を感じられるほどの毎日を過ごしていきたい。
”ふつう”を感じる体験を提供したいと新年早々思っています。
緊急事態宣言が発令されますが、この非日常だからこそ、”ふつう”を探していきたいです。
ps.ダメージを受ける場所に、適切な支援が届くことを願っています。